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そうか!「ことば」は元々「歌」だったんだ!

「学びが繋がった!」

「読書、良いな!」

と思った瞬間の話。

少し前
「大衆煽動」について
学んでいた。

そのとき、
どうもスッキリしないことがあった

「なぜ、正しい理屈で人は動かないんだ?」

「おおざっぱなイメージでのみ
 大衆は動く…って、なんで??」

疑問だった

でも、古典の中で
先人はそう言っているし

現実もそうなっている

「ウケている」演説

もはや「歌」のようなもの

メロディーとサビに酔って
人はそれを支持しているに過ぎない

中身が問題ではない

言葉の並び
話し方の抑揚が与える
イメージだけが重要である


それが「大衆扇動」の学びの結論だった。

「疑問」は私の中に
くすぶったままだった。

少し時間を置いて
ルソーを読んだ。

ルソーに興味を持ったきっかけは

「ドMで露出狂のオジサンでも
 世に名を残す哲学者になれるんだ…
 どんなん書いてるんだろ…?」


という極めて不純なものだったが

実際、読んでみると
とても面白い。

その中でたまたま
「大衆扇動」への「疑問」の
答えと出会うことになった。

この記事のタイトル
「ことば」は元々「歌」だった
という話は
『言語起源論』に書かれている。

第十二章 音楽の起源 から引用する。

最初の声とともに最初の分節あるいは
最初の音が形成された。
(中略)
付随する感情によって、
抑揚はより頻繁になったり
まれになったりし
変化は高かったり低かったりする。
(中略)
最初の弁舌は最初の歌となった。
リズムの周期的で律動的な回帰、
抑揚の旋律豊かな変化は、
言語とともに詩と音楽を
誕生させた、
というより
幸福な時代と幸福な風土では
それらすべてが
言語そのもの
だった。

『詩と音楽が言語そのものだった』

このフレーズを見たとき
私の中で繋がった。


冒頭の疑問

「なぜ、正しい理屈で人は動かないんだ?」

「おおざっぱなイメージでのみ
 大衆は動く…って、なんで??」

その答えは

「感情」を伝える「音楽」こそが
「ことば」の本来の姿だから

である。

私は「ことば」を
「正確に物事を伝える道具」だと
思っていた。

詩的なもの、音楽というものは
後から作られたものだと。

でも、それは逆だったのだ。


「音楽」のように擬態した「ことば」
が人を動かすのではなく

そもそも

「ことば」本来の姿が「音楽」なのだ

「本来の姿」が
もっとも力を発揮するというのは

とても自然なことである。

くすぶっていた疑問の「答え」に
唐突に、偶然に、出会う

この「繋がる」快感は
きっと、読書の醍醐味の一つ
だろう

読書がまた、好きになった。

【ルソーがケツを出して捕まってた話】

【言語起源論】

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