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「愛するとは何か」考察1

以前、そもそも「愛する」という行為は何のことを指しているのだろう?と思い立ち、Instagramで意見を求めたことがある。それをようやくまとめようという気になったので、この記事を書きはじめた。そこそこ長くなりそうだが、重要な記録だと思うので、頑張ってみる。

質問:「愛する」とはどんな行為?

これは人類史における重要な命題である。「愛したい、愛されたい」と思う気持ちがありながら、それがどんな行動を差しているのか明確でない。そこで、自分の哲学として「愛する」とはどんな行為を差すのかしっかりと考えてみたい。

ここで出た意見は、もれなく正解でも不正解でもない。全てあなたの意見に厚みを持たせるための一意見である。これらを踏まえ、一緒に考えていきたいと思う。なお、私の意見はあなたにとっては一意見であり、あなたの意見も私にとって一意見である。同じになるかもしれないし、違うかもしれない。それが面白いのである。

以下、回答と私の茶々を並べていく。


回答者:新明解と日国(国語辞典)

「愛する」の意味を辞書で引いてみた。新明解国語辞典第5版には

1、(異性に対して)愛情を持つ。 2、好きで、いつもそれに親しむ。3、かけがえのないものと思って、大切にする。

とあり、日本国語大辞典には、

1、動物や人に対して(1)非常に気に入って、いちずにかわいがる。寵愛する。(2)好意を相手への行動として示す。また、特に、なでさする。愛撫する。(3)(男女の間で)慕わしく思う。好きだという気持になる。恋しく思う。

とあり、前者と後者では概ね同じである。これ以外は関係ないと思うが、一応日国の残りの部分も載せておく。

2、物事に対して(1)貴さ、美しさなどを感じて、強く好きに思う。(2)美しさ、おいしさ、良さなどを好んでそれを楽しむ。愛好する。賞美する。 3、(一説、相(あい)する)適当に扱う。子供などのきげんをとる。あやす。 4、(キリスト教で)神が、あらゆるものをいつくしむ。また、そのような精神で、自分以外のものをかけがえのないものと思う。


新明解では「愛情を持つこと」とあるが、そもそも「愛情」とは何か?新明解国語辞典第5版には、

(夫婦・親子・恋人などが)相手を自分にとってかけがえの無い存在としていとおしく思い、また相手からもそのように思われたいと願う、本能的な心情。(広義では、生有るものを大切にかわいがる気持も含む)

とあり、日本国語大辞典には、

1、相手をいとしく思う気持。人や物に対するあたたかい心。 2、異性に対して恋い慕う心。

とある。前者では、自分も相手から愛情を持たれたいと願う気持ちが入っているが、後者では、自分のみが愛する気持ちになっている。つまり、「愛情」に関する考え方が「双方的能動」と「一方的能動」に分かれていると言える。


ここからは、友人たちの意見を並べていく。いろんな観点からの意見があり非常に面白い結果となった。


回答者:ハピネス:幸せを心から願うこと

「その人や物の幸せを心から願えるほどの感情を持つこと!!!すなわち、私はあなたを愛してる!!!」だそうです。ありがとう。あなたの幸せを心から願ってます。

これは一方的能動だと言える。


回答者:たけだ:無条件に愛を注ぐこと

「愛情を持って日々過ごすこと?笑 あと見返りを求めないで無条件に愛を注ぐこと。笑」とのこと。必ず付く「笑」に照れが見える。真剣なんだこっちは。照れてる場合じゃねえ。

これも一方的能動。この回答で、もう一つ疑問が湧いた。

見返りを求めない=期待しない=傷つかないという考えはマイナス思考だろうか?

見返りを求めないことで、どんな反応をされても傷つかないよう自分を守っているのではないか。これは、双方的能動の場合「愛する」が成り立たなくなるかもしれない。自分が好いていれば「愛する」行為になる(一方的能動)と仮定し、相手からの反応をを度外視するということ。これについても意見を募集したので、次回検討していく。


回答者:サステナ:自分の時間を割くこと

「シンプルに自分の時間を割くこと、かなー」なるほど、そういう観点から来るか、という感想を持った。自分の時間は確実になくなるが、その時間を捧げても良いと思える人(や物)だから「愛する」わけである。

これは能動的であり、相手も相手の時間を割いているわけだから双方的と言える。つまり、これは双方的能動


回答者:ユカタン:それは決断であり、実現するもの

「愛するというのは決断、判断、約束であり、「愛する」という力を実現し、集中する行為。」少し難しい。愛すると決めた(決められた)のであれば、必ずやり遂げなければならないという感じか。「愛せなくなった」はそもそも「愛していなかった」の間違いであって、愛せないという気持ちは振り切ってそれでも愛することが「愛する」、と。確固たる意志を持って「愛する」必要がある。

これは、自発的な感じなので、一方的能動(かなり能動)だと考えられる。


回答者:Aくん:対象と一つになること

「愛することとは対象と一つになること、ってEフロムが『愛するということ』の中で言ってたよ。」他人の意見!でもそれに賛同していて、あなたもそう思っているから、これはあなたの意見として捉えて良いと捉えました。

そもそもEフロムを知らなかったので、調べた。エーリッヒ・フロムといい、ドイツの社会心理学、精神分析、哲学の研究者らしい。彼の意見をざっくりと理解したものが以下の文章である。(もし違ったらコメントください)

自己を信じ、他人である相手を(勇気でもって)受け入れ信用し相手を愛する=同体になる。ただし、ここでの同体とはそれぞれが個をもって、互いの個を許容しながら同一化することである。

自分以外の人を許容するって案外難しいし、接していて行動も言動も意図が見えないことばかり。受け入れるって大変な重労働で、自分の中に噛み合わないものを残したまま一緒にいることになる。それでも、相互に信用し合えるというのは類稀なる努力があってこそ成り立つ。

これはお互いの力が必要なので、双方的能動と言える。


以上が、回答してくれた人の意見である。少ないのは気にしてはいけない。

現時点では、同じくらいの割合で一方的能動と双方的能動とに分かれているが、一方的受動や双方的受動の考えを持つ人はいないか検討する必要がある。

今後の予定としては、考察2にて先述した「愛するのに見返りを求めないというのはマイナスの意見か」について書き、考察3にて偉人の名言を参考に先人の考えを知ろうと思う。ここまでは確実に記事にできると思うが、次いつやる気が出るか分からない。連載に向いていない自己を反省し、なるべく早く続きを書きたい。

めでたし、めでたし。と書いておけば何でもめでたく完結します。