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【連載】日本文化のはなし

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日本文化の色々を語る連載。とりあえず隔週月曜更新にします。現状、毎週月曜日は割とこういう系の話をしています。月曜日に知的になる人。
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#日記

女のふりをして日記を書いたのは亡き娘を思う悲しみを書き残したかったからではないか

『土佐日記』の話する。昨晩考えてたら寝られなくなりそうだった。 紀貫之が女のふりをして日記を書いたのは、亡くなった娘を思う悲しみを書き残したかったからではないかという解釈をした。それとも、本当は新しい試みとして取り組んでいたのが、いつの間にか旅の苦しさにともなって暗い心境を書きつけるものになってしまったか。 出発の時は景気良くワイワイガヤガヤして楽しげな雰囲気なのに、二十一日に出発して二十七日には娘の話題を出しているのよね。「この頃の出立いそぎを見れど何事もえいはず。」(

【古文のはなし】『土佐日記』を読む。海の月も山の月も異国の月もすべて同じ。

あらすじ 土佐を出発するも、なんかすごい見送りをしてくれる人が追いかけてきて、宴会とかやってたけど進むにつれてそういう人もいなくなって、いつの間にか年が明けて船旅中だから満足にそれっぽいこともできず、天候悪くあまり進まず、まったくもう早く帰らせてくれませんかね。 原文↓ 前回↓ ○ 十六日、風波が落ち着かないのでまだ同じところに泊まっている。海に波がなくなったらみさきという所を渡ろうと思う。風、波は依然止みそうにない。ある人、波が立つのを見て「霜さえも置かない地域だけ

【古文のはなし】『土佐日記』を読む。はねといふ所は鳥の羽のやうにやある

『土佐日記』続き。なかなか船は進まないけど日々は過ぎてくもどかしさ。 前回↓ ○ 十一日、夜明け前に出港して室津を出る。人が寝ているような時間帯で海の様子も見えず、月を頼りに西と東の方角を知る。そのようにしていると、夜が明けて手洗いなどいつものようにこなし、昼になった。「はね」というところに着いた。童が「はね」という地名を聞いて「はねという場所は鳥の羽のような形をしているのかな」という。まだ幼い子供の言うことだからみんな可笑しがる。女の子が「本当に名前の通り『はね』のよ

【古文のはなし】『土佐日記』を読む。海に入る月を見て、松に往く鶴を見る。

『土佐日記』続き。一週間滞在して年末年始を過ごした大湊をようやく出ます。 前回↓ ○ 八日、障ることがあってまた同じ場所にいる。今宵の月は山ではなく海に入る。京都であれば、月は海ではなく山に入る。これを見て、在原業平さんが詠んだという「ずっと月を見ていたいのに、いつもそれを隠してしまう山の端が月から逃げて、月を入れないでくれたら良いのに」という歌を思い出す。もし海辺だったら、「山の端ではなく月が海面を飲み込むのを波が立ち塞がってくれないかなあ」と詠むのではなかろうか。

【古文のはなし】『土佐日記』を読む。大湊に一週間ずっといるところ。

前回からの続き。前回は、浦戸まで進んできたんだけど、やたら土佐の人たちが追いかけてきてた。 ○ 二十八日、浦戸を漕ぎ出て大湊を目指す。浦戸にいる間に、元の国の守の子である山口千岑が酒などの良いものを持ってきて船に積み込んだ。行く行く飲み食う。 二十九日、大湊に泊まった。薬師がわざわざ屠蘇と白散に酒を加えて持ってきた。誠意のある人のようだ。 >白散知らなかった〜。お屠蘇も実際にはやったことないし。旅の道中でも季節の行事をこなそうとするのすごい。イレギュラーな状況なんだから

【古文のはなし】『土佐日記』を読む。出発から浦戸まで。

土佐日記を読もう。教科書に載ってるところの次からやる。マナペディアを見ると、二十四日まではもうやってるらしい。 原文は青空文庫より引用。訳は他のサイトなどを駆使してなんとか自分で付けるが、読みやすさを優先して厳密な現代語訳はしない。勉強というよりは読書ですな。 ○ 二十五日、国守の館から招待状がきた。行くと、一日中遊ぶようにしてそのまま夜が開けた。 >「呼ばれて至りて日ひとひ夜ひとよ」ここ気持ちいい 二十六日、昨日からいる館で宴会し、下男にまで褒美を与えた。楽しくな