【古文のはなし】『土佐日記』を読む。出発から浦戸まで。

土佐日記を読もう。教科書に載ってるところの次からやる。マナペディアを見ると、二十四日まではもうやってるらしい。

原文は青空文庫より引用。訳は他のサイトなどを駆使してなんとか自分で付けるが、読みやすさを優先して厳密な現代語訳はしない。勉強というよりは読書ですな。



廿五日、守のたちより呼びに文もて來れり。呼ばれて至りて日ひとひ夜ひとよとかく遊ぶやうにて明けにけり。

二十五日、国守の館から招待状がきた。行くと、一日中遊ぶようにしてそのまま夜が開けた。

>「呼ばれて至りて日ひとひ夜ひとよ」ここ気持ちいい


廿六日、なほ守のたちにてあるじしのゝしりてをのこらまでに物かづけたり。からうた聲あげていひけり。やまとうた、あるじもまらうどもこと人もいひあへりけり。からうたはこれにはえ書かず。

二十六日、昨日からいる館で宴会し、下男にまで褒美を与えた。楽しくなり漢詩を大声で吟じる。和歌は主催者も客もそれ以外の人もみんな詠った。漢詩はここには書けない。

>漢詩を書けないのは女で漢字の教養がないため、とのこと。なるほど、徹底して設定を守っているのだな。この設定忘れそうになる。


やまとうたあるじの守のよめりける、
「都いでゝ君に逢はむとこしものをこしかひもなく別れぬるかな」となむありければ、かへる前の守のよめりける、
「しろたへの浪路を遠くゆきかひて我に似べきはたれならなくに」。

主催である新任の国守が和歌を詠んだ。
「京都を出てあなたに会おうと来たものの来た甲斐もなくもう別れるのだね。」
というので、帰る前の前任の国守が返歌にて
「海路をはるばる行き違いにやってきて私と同じようにするのは誰だろうか、そう、あなたですよ。」

>任期を終えた筆者側とこれから任務に着く新任側が和歌を交わすシーン。せっかく会えたのに〜という社交辞令なのか本音なのか分からぬ和歌に、あなたも任期を終えたら私と同じように去るのだからねと返す。これはちゃんと返事になってるのか。ここで別れたら一生会わない可能性の高い相手だろうけれど、この宴には色々な意味があるんだろう。


ことひとびとのもありけれどさかしきもなかるべし。とかくいひて前の守も今のも諸共におりて、今のあるじも前のも手取りかはしてゑひごとに心よげなることして出でにけり。

他の人々も和歌を詠んでいたがこれといって良いものはなかったようだ。なんだかんだあって前任も新任も一緒に降りて、彼らは手を取り合って酔いどれに心地よい言葉を言い合って別れた。

>「降りて」は帰る前に家から降りる、家を退出する。気持ちよく宴会が終わったようでよかったですね。


廿七日、大津より浦戸をさして漕ぎ出づ。かくあるうちに京にて生れたりし女子こゝにて俄にうせにしかば、この頃の出立いそぎを見れど何事もえいはず。京へ歸るに女子のなきのみぞ悲しび戀ふる。ある人々もえ堪へず。

二十七日、大津から浦戸を目指して船を出す。そうこうしているうちに京都で生まれた女子が土佐で急逝してしまったので、このところのバタつきを見ても何も言うことが出来ない。京都に帰るのにあの女子がいないのだけが悲しい。みんな堪えられない思いをしている。

>女の子が出発準備をしている時に「何かあるの?」とか言ってこないってことかなあ。誰が何も言えないのか分からぬ。


この間にある人のかきて出せる歌、
「都へとおもふもものゝかなしきはかへらぬ人のあればなりけり」。
又、或時には、
「あるものと忘れつゝなほなき人をいづらと問ふぞ悲しかりける」といひける間に鹿兒の崎といふ所に守のはらからまたことひとこれかれ酒なにど持て追ひきて、磯におり居て別れ難きことをいふ。守のたちの人々の中にこの來る人々ぞ心あるやうにはいはれほのめく。

女子が亡くなってからある人が書いた歌に
「京都へ帰るというのに悲しいのは、もうこの世に帰ってこない、一緒に京都へ帰れない人がいるからだなあ」というのがある。
また、「本当は亡くなっているのにまだそこにいると思い込んでいて、ついどこにいるのと呼びかけてしまうのが本当に悲しい」というのもある。
などと言っている間に、鹿兒の崎という場所で新任の国守の兄弟などいろんな人が酒なんかを持って追いかけてきて、磯に降り、別れ難いことを言う。新任の国守たちの中でもここに来た人は思いやりがある人のようだと前任の国守はほのめかす。


かく別れ難くいひて、かの人々の口網ももろもちにてこの海邊にて荷ひいだせる歌、
「をしと思ふ人やとまるとあし鴨のうち群れてこそ我はきにけれ」といひてありければ、いといたく愛でゝ行く人のよめりける、
「棹させど底ひも知らぬわたつみのふかきこゝろを君に見るかな」といふ間に楫取ものゝ哀も知らでおのれし酒をくらひつれば、早くいなむとて「潮滿ちぬ。風も吹きぬべし」とさわげば船に乘りなむとす。

このように別れ難く言って、追って来た人々が網を一緒に持つようにこの海辺で作った歌
「別れ惜しい人がとまるだろうかとアシガモの群れのように我々はやってきた」というので、感動して、京都へ行く人が
「棹を刺しても分からないほど深い底をもつ海のように深い情をあなたたちから感じました」と詠んだ。
そんな感動的な場面なのに、舵取りはもののあはれも分からずに勝手に酒を飲んでしまって、早く出発しようと「潮が満ちたから風も吹いてくるぞ」と騒ぐのでみんな船に乗ろうとする。

>「かの人々の口網ももろもちにてこの海邊にて荷ひいだせる」ここジョークっぽいんだけど解説欲しいな。
舵取りがとてもいい。雅な雰囲気をぶち壊してくれる。友情雅物語だけでは飽きてしまう。


この折にある人々折節につけて、からうたども時に似つかはしきいふ。又ある人西國なれど甲斐歌などいふ。かくうたふに、ふなやかたの塵も散り、空ゆく雲もたゞよひぬとぞいふなる。今宵浦戸にとまる。藤原のとき實、橘の季衡、こと人々追ひきたり。

このような折に、ある人々は良いタイミングでその時に合った漢詩を吟じる。またある人は西国にいるのに甲斐歌なんかをうたう。そうしていると、船の塵も散り、空を行く雲も漂うようだという。今夜は浦戸にとまる。藤原時実、橘季衡、諸々の人々が我々を追ってきた。

>「ふなやかたの塵も散り、空ゆく雲もたゞよひぬ」は、悪いものを追い出し万物を和ませる的なことか?古今集の仮名序的な。
というか、追ってくる人多くね?そんなに仲良かったんだ。これは当時では普通のことなのかなあ。ああ、まあ、でも仕事で仲良くなった人とこの先一生会えないかもってなったらそれなりに追いかけるのは分かるかも。



いちいち和歌を覚えているのがすごい。我々が日記に書くような会話文の場合、誰かが言った言葉をそのまま覚えている必要はないが、和歌の場合は一文字違うだけで意味が変わってしまうため、うろ覚えではだめだ。紙や木などに書き付けたのをとっておいたのかな。

人々との別れ、娘との死別、和歌、面白エピソードとモリモリな内容で、これは確かに日記だなと分かる。物語だったらもう少しどれかに寄せるだろう。楽しいことも悲しいことも心のままに書きつけておく。それをしまっておかずに世の中に広めたのがすごい。ネットもないのにそんなことが出来ちゃうのか。



こういう系の話が好きな方は↓をどうぞ。

次回更新 10/23:要検討
※だいたいリサーチ不足ですので、変なこと言ってたら教えてください。気になったらちゃんと調べることをお勧めします。

めでたし、めでたし。と書いておけば何でもめでたく完結します。