人生から逃げた先にあるものは暗い

 私は今まで人生から逃げてきた。逃げて落ちて逃げて落ちて、前へ進んでも壁を越えようともしなかった。いつも、楽な道、効率のいい道ばかり探して、それはいいことだろうか。逃げて逃げたときに、良い環境を見つける人もいる。だが、自分で自分の責任をもって生きる。そう結局は決断しなくては自分の人生は始まらない。
 私は、立花隆氏の青春漂流という本を読んだ。その本の最後に、氏は、このように筆を置く。

 青春とは、やがて来たるべき「船出」へ向けての準備がととのえられる「謎の空白時代」なのだ。そこにおいて最も大切なのは、何ものかを「求めんとする意志」である。それを欠く者は、「謎の空白時代」を無気力と怠惰のうちにすごし、その当然の帰結として、「船出」の日も訪れてこない。彼を待っているのは、状況に流されていくだけの人生である。
 そうではなくて、何ものかを「求めんとする意志」に駆られて苦闘しつつある諸君たちにやがてよき船出の日が訪れんことを祈って本稿の筆を置くことにする。

青春漂流

 思えば、私の人生において、出会ったほとんどの人は、状況に流されていく人生を選んでいった人たちだった。いつも、自分のやりたいことを先延ばしにし、気づいたら死んでいる。そんな人たちだった。
 コンビニバイトをしていたことがある。そこで、教育係になったのは、20代のフリーターだった。彼は、仕事はできる。といっても、コモディティーの仕事であるが。しかし、私と同じ時給だった。そして、彼は、16時間働いていた。だが、そのお金を使う時間もなく、もらえるお金といっても、正社員以下である。そして、その人は人格が破綻していた。いつも、人の悪口ばかりで、店員から、客、聞こえていないと思っていたのか私の悪口も言っていた。ともかく、口を開けば、悪口と軽口だった。私は、一か月でそのコンビニバイトを辞めた。
 ほかに、掃除のバイトをしていたことがある。そこは、フランチャイズ店で、私はバイトをしていたのであるが、掃除をしている人のほとんどは人として終わっていた。性格が悪く、掃除もテキトウである。そして、びっくりしていたのが、その清掃員たち(大学を出ていた正社員の方も含めて男は)は独身だったのである。私を教育していた人は早く辞めたがっていた。その人は唯一ちゃんとしていた人だったが、最初、入ってきたときに、すぐこんなバイト辞めなさいといったのが初めての出会いである。その方は唯一の善人であったが、私は、そこを三か月でやめた。
 そんな色々な経験から、私は、人生から自分のやりたいことから逃げないと誓った。だから、自分の人生に向き合う。私はまだ、なにがやりたいのかわからないが、いろいろなことをやって、それを見つけたい。何かを求めんとする意志とはたくさんの経験と、体験と、勉強(読書)である。
 皆さん、私の人生に、どうかご期待あれ。


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