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小学生メンター ミソノ <第7話>

7.心のモヤモヤが晴れる時

【前回のお話】6.自分の足で立って、行動する

 母さんが入院した次の日、学校前に母さんの病室へ寄って荷物を届けに行った。

 母さんは、グッスリと眠っていた。
 今までの疲れを身体の外へ追い出すかのように眠っているので、起こさないようにして、部屋を後にした。

 母さんが倒れた日の夜から、何とも言えない気持ちが、オレの中でモヤモヤと霧がかかるようにおおい被さったままだった。
 なんなんだろう、このモヤモヤは。言葉にしたくてもまるできない、そういったもどかしさがあった。

 そのモヤモヤを隠す様に、頭を振った。
 母さんが無事でそこにいる。それだけで今は十分だ。
 美園に言われた通り、出来るだけ笑顔でいよう。

 学校へは父さんから連絡が入っているので、遅刻してもとがめられない。
 土曜日登校だったから、そのまま休んでも良かったけど、2時間目から登校することにした。
 いつもの様にノートに文字が書けず、授業だけを聞いている状況だったが、オレは授業を受けるのが楽しかった。

 “出来るだけ笑顔でいる”そう思って心を楽しくしていると、どんなことでも楽しく感じられていた。

 昨日の状況から考えると、笑っていられるのだから、まるで魔法のようだ。

「な〜に、ニコニコしているの? 機嫌がよさそうね」
 放課後、図書室で本を探している時、いきなり後ろから美園に声をかけられた。
 母さんの病室へ寄る前に本を借りようと思って図書室にいる所に、美園が急にやってきた。

「別に。ただ、美園に言われたことを実践しているだけ」
 何だか気恥ずかしくて、ちょっとそっぽを向く。

「ふーん。その様子だと大丈夫みたいね。
もう直ぐしたら、見えて言葉にできそうだしね」

「見えて言葉にできるって、何が?」
 オレの質問は答えずに、美園はパチンと指を鳴らして、何か白いものを出した。

「じゃあ、はい。これ」
手渡されたのは純白の封筒だった。

「なんだこれ?」
 封を開けようとしても、びくともしない。

「今はまだ開封できないわよ。
無くさないようポケットにでも入れといてね。
じゃあ、また後でねー」
 言いたいことだけ言って、美園は光を放って、いつものように居なくなった。

 いきなり現れて、何だったんだ?
 訳がわからず首を傾げていると、立川が図書室に入ってきた。

「佐藤、今日は何の本を借りるの?」
 人懐っこい目をして、立川がやってきた。

「ワクワクする本は無いかなって、探してる」
「じゃあ、司馬遼太郎の『龍馬がゆく』は?
幕末の志士が出てきて、ワクワクするよ」
 相変わらず、熱く歴史小説を勧める立川だった。
「司馬遼太郎は、まだオレには難しくないかなぁ」
「そんなことないさ。難しいとか、難しくないとかで本を読むんじゃないんだよ。
最初は読むのに苦労するかもしれないけど、読んでいくうちに、次はどうなる?って、もう止められないぐらいに、グイグイ読み進められるからさ。ワクワクのしっぱなしだよ!
吉川英治の『宮本武蔵』を読んだ時も、そんな感じだったろ?」
 熱く語る立川に押されて、オレはその本を借りることにした。

「ところでさ、佐藤。最近、何にも書かないんだね。
書かないと言うより、書けない様に見えたよ。
授業中、ちょっと気になっていたんだ」
 立川がオレの様子を気にかけてくれていたことに、驚いた。
 どうやって返答するか悩んでいると、立川は隣で懐かしそうに言った。

「ボクの場合は、文字が読めなくなったな〜。
無性に文字が読みたくなっても、読めないから、書きまくった。
好きな歴史をまとめて、書いて書いて書いていたら、色んな繋がりや広がりを知ったんだ。
そして文字が読めるようになったら、本を読みあさったよ。
何て楽しいんだー!って、もう一気読み。それが今でも続いてるんだ」
 立川は、なぜ文字が読めなくなったかは言わなかった。
 そして、立川の“読めなくなった”と言う表現で、何となくオレの“書けない理由”を言わなくてもいい様な気がした。

「それが、立川の読書好きの原点なんだな。
オレは無性に今、文字を書きたいよ」

「そっかぁ」
 立川はあえて理由を聞かずに、笑った。

「うん、書けるようになるのが楽しみなんだ」
 秘密を二人で共有するかのように、オレたちは笑い合う。

「書けない時期を大切にするといいよ」
 立川は少し悲しそうな色をその瞳に宿した。
 その瞳がとても気になったが、それ以上は何も聞けなかった。

 図書室を後にして、母さんのいる病院へ向かった。
 母さんはもう目を覚ましていて、病室には出張から戻った父さんも来ていた。

「カズ、今回は頑張ったな。一人でよくお母さんを助けてくれた」
 力強い手で、頭の髪の毛をガシガシと洗うかのようにして撫でられた。
 いつも褒めてくれる時の、父さんのクセだ。

「カズがいなかったら、私はあのまま倒れたままで、どうなっていたか分からなかったわ。ありがとう」
 入院後、初めて母さんの声を聞いた。

 父さんも母さんも褒めてくれたが、オレは何もできなかったことへの悔しさが心から離れずにいた。
 勉強で良い点をとって、あんなに両親に褒めてもらいたがっていたオレだったのに、不思議だった。
「オレ……」
 母さんが倒れてからモヤモヤと頭の中にあるものが、また現れる。

「母さんが倒れたのに、なにも出来なかった。
救急に電話して、付き添って、ただそれだけ。それ以外は何もできなかった。
母さんを助けたいのに、何もできない。それがこんなにも辛くて、悔しいなんて思わなかった」
 その時、だんだんとポケットに入れていた封筒が徐々に熱を帯び出した。
 焼ける様な熱さではなく、心を奮い立たせる様な、心地よい温もりだ。
 その温もりは、じわじわと心のモヤモヤの霧を晴らすように広がっていく。
 今までモヤモヤと自分の心の奥にあったものが形となり、だんだん見えてくる。
 なんだ?これは。オレは、何を見ているんだろう。
 喉元にも熱が広がり、何かが喉に突っかかっているようだった。
 そして、ポケットの中の温もりに後押しされるかのように、急に言葉になって現れた。

「オレ、医者を目指すよ。
目の前で大切な人に何かあった時、何もできないのはもう嫌なんだ!」
 
 最後は、心の叫びにも似た感情を吐き出すかのようだった。
 そして言った途端、驚いた。
 これがあのモヤモヤの正体だったんだと、わかった。

 美園が言っていた言葉を思い出す。
『あんたは、勉強することの意味を知った。これから先は自ずと見えてくるものが変わるわ。
そう長くもない先に、自分の道を手に入れられるわよ』

 ああ、オレは自分の道がやっと見えた。
 今、自分の足で踏み締めた道に、澄み渡る空が目の前に広がるかのようだった。
 もう目の前はモヤモヤしていない。

 晴わたる空をつかんで、無性に涙がこみ上げてきた。
 悲しい訳ではない、ただ、生まれたての気持ちに触れ、心が震えていた。

 どうなるか分からないけど、自分を信じてこの道を進んでみよう。
 そう思えた。

 グスグスと泣いているオレを、母さんが引き寄せて抱きしめる。
 頭をゆっくり、ゆっくりと、小さい頃のように撫でてくれた。

 隣では、父さんがオレより泣いていた。

 その時、ガラッと病室の扉が開く。ねーちゃんだった。
 みんなで泣いているその姿を見て、
「何? 泣くほどのことが起こったの?!」
 と詰め寄ってきた。

 母さんの入院を聞いて、帰ってきたらしい。
 久しぶりに家族全員が揃ったなと、オレは思った。

(つづき)8.さよなら天使

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