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いま、テレポーテーションできる

人生には潮目がある。流れが急に変わってしまい、気がつけば知らない場所に向っているようなことが。
若い頃は、自分がどこを流れているのかまるでわからなかった。初めての旅なのだ。地図もない。10年、20年、30年生きてきても、親から離れて自分の足で歩き始めてまだ10年程度。40年、50年ときて、60年経った頃にやっと「おー、これが私の人生であったか!」と全貌が見えた気がした。

なるほどなあ、いろいろあったなあ……。多くは小説やエッセイに書いてきたので、もう振り返る気もしないが、前半は家族問題がメインテーマだった。家族を全員看取り終えた時、私は自分の人生の多くの問題から解放された。親や兄弟のことで苦しむこと、悩むことがなくなった。人生の大きな潮目だった。

■人生の通奏低音

家族の悩みは、音楽で言うなら通奏低音だ。仕事をしたり恋愛をしたりしている日常の背後にずーっと流れている。なんか気分が晴れない。いつもそれがひっかかっている。そんな感じ。

自分が生まれた家の家族は、わりと早いうちに全員亡くなった。亡くなるまでは大変だったが、すべてが終わってしまうと気が抜けた。不思議なんだが、あの悩み多き日々が懐かしいような。とにかく一区切りだった。

家族を看取り終えると、書くべきことがなくなってしまった。私にとって最大のテーマだったからだ。他のテーマには家族ほどの切実さがなかった。家族とどう折り合いをつけていくか。それが生まれてから50代まで、つまり半世紀をかけた私のテーマだったわけだ。長いようでいて、終わってみたらあっという間だった。たぶん、どんなに長生きをしてもみんな同じことを言うと思うよ、人生はまばたきの間って。

人間ってのは……いや、私は、と言ったほうがいいか。悩みがなくなると別の悩みを探して悩むもので、せっかくすっきりしたにもかかわらず、50代の私はどうでもいいような恋愛に自分からはまって悶々としていた。(恋愛は一種の神経症なので、覚めてみればわかるが妄想の産物だ)今思えば、空いた穴をなにかで埋めるためにわざわざ悩みを作りだし、自分で掘った穴に水を入れて飛び込んで溺れていたとしか思えない。

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