♪あっあんああんあん・・・演歌について思っていることの多くが、ホントは逆だったりする驚き。
〖作られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史〗
輪島裕介 光文社新書
「演歌」ってなに?と問われて答えられますか?
日本人は音楽のジャンル分けにこだわるという言説をよく耳にしてきました。海外と比べて本当のところどうなのかはしりませんが、わかるような気がしないでもありません。この本は大衆音楽のジャンルのなかでも、わかっているようでわかりにくい「演歌」をつかもうとした労作です。
まずもって歌謡曲という広い範囲があり、その中に演歌があるわけですが、「歌謡曲というより演歌だよね」というような言い方もされたりして迷路に入っていくわけです。
演歌は浪曲調あり民謡調ありブルースありラテンありと、多くのジャンルを飲み込んでしまっていて、楽曲構造などから規定することは実に難しいらしいのです。
演歌は日本人の心っていうぐらいだから古いんじゃない?・・・いやいやいや。
そこで著者は、演歌について広く流布している「演歌は日本の心」というキーフレーズから、演歌の実相をつかもうとしていきます。
よく知られている明治大正の演説歌から歴史をたどりながら、多くの人が抱いている演歌のイメージが確立しジャンル化したのはいつなのかを探っていきます。そのプロセスを追う同時に、日本の戦後大衆音楽の変遷をわかりやすく知ることができます。
演歌には日本の大衆社会のなかの「暗さ」「貧しさ」「情念」「土着性」を歌ったものという印象が確かにあります。それがまた古くから歌い継がれてきた「日本の心」と言われるゆえんでもあります。
ところが戦前の大衆音楽はレコードとともに発展したジャズの時代であり、戦後も西洋音楽をベースとした歌謡ポップスが主役だったわけです。和風では芸者歌手の歌う小唄調や民謡調も人気でしたが、あれとて演歌とは言えませんよね。つまり戦後しばらくたっても日本人の心を歌う演歌ってなかったわけです。
演歌はロックよりもフォークよりも新しい。
小説家の五木寛之が1966年に小説「艶歌」を発表し、これがシリーズ化され「艶歌の竜」という人気作品になります。この作品には戦後に欧米の影響を強く受けていた大衆歌謡に対し、日本人の心情を泥臭く注入したレコードディレクターが描かれています。ここで五木は戦前からある日本的心情を映し出す楽曲を「艶歌」と名づけています。そして登場人物にはこんなことを言わせています。
ー「キザな言いかたをすればだな、艶歌は、未組織プロレタリアートのインターなんだよ。組織の中にいる人間でも、心情的に孤独な奴は、艶歌に惹かれる。ありゃあ、孤立無援の人間の歌だ。言うなれば日本人のブルースと言えるかもしれん。音楽的には貧しいが、否定するのは間違いだぜ。(中略)艶歌を無視した地点に、日本人のナショナルソングは成立しないだろう。おれだってあんな歌、くだらんと思うさ、嫌いだね。だからまた惹かれるんだな。愛憎二筋よ。そこが大事なんじゃないかね」
敗北を背負いながらも体制には組み込まれずというあり方が、60~70年代の気分にふさわしかったのでしょうね。
そしてこの後に登場した宇多田ひかるのママ藤圭子によって怨歌というもう一つの観念が付け加わります。不幸な生い立ちを歩んできた陰のあるイメージで売り出された藤圭子の「怨念」「暗さ」は、「怨歌」というカタチとなります。
藤圭子を聞いた五木寛之はこう書いています。
ーここにあるのは<艶歌>でも<援歌>でもない。これは正真正銘の<怨歌>である。(中略)これは下層から這い上がってきた人間の、凝縮した怨念が、一挙に燃焼した一瞬の閃光であって・・・
衝動に突き動かされるパンクみたいですよね。実際のところは裏方による計算ずくの演出で仕掛けられていたことも説明されていますが、しっかり世間にササったわけです。藤圭子は確かに大変な人気でした。
この時系列を踏まえていき、「演歌」は1970年から1971年にかけて新しい音楽として一般的に認知されたことにたどり着きます。
1970年と言えば、はっぴいえんどやRCサクセションが登場した年ですよ。日本でもロックやフォークより後に確立したジャンルなのです。
演歌についての思い込みがひっくり返りました。
読んでいて副題にある戦後大衆音楽史を知る上でも、小さいエピソードだけどここ大事というツボの抑え方が見事だなと思いました。こういうのは広く深く事実を集積して把握した人にし書けません。
これを読むまで「日本の心」のキャッチとともに、演歌に対してなんとなく思っていたことがありました。
・演歌って、古賀メロディーで有名な古賀政男とか戦前から活躍していたんだから戦前からあったんでしょ。
・「こぶし」とか「唸り」って演歌ならではでしょ。
・演歌って軍歌とか好きな右っぽい人に人気だったんでしょう。
こういう勘違いが整理されていきます。
「日本の心」については、欧米化する社会と大衆歌謡に対するカウンターとして、日本人の心情を回復した歌という意味では正しいのかもしれません。気になったらぜひ手にとって読んでご自分で判断してみてください。
J-POPを若者演歌とよぶ向きもありますが、70年代ニューミュージックから80年代シティポップ、90年代バンドサウンドへの移り変わりを思い返せば、そこで歌われていたのは欧米的でモダンな生活様式の憧れだったように思います。
その後の00年代からが現在のJ-POPとカテゴライズされるものの始まりとすれば、ポストバブル時代の日本に生きる若者の心情実感やリアルな生活を音楽で回復する動きだったのかもしれませんね。70年の演歌がそうだったように。