村上知行/ネット古書店「かぎかっこ」をはじめてみた。

なりゆきで始めた放送作家業をうかつに35年、ようやく・・・あぁ俺は古書店をやりたかった…

村上知行/ネット古書店「かぎかっこ」をはじめてみた。

なりゆきで始めた放送作家業をうかつに35年、ようやく・・・あぁ俺は古書店をやりたかった・・・と気づいた。 下北沢BOOKSHOP TRAVELLERで棚借り店主もはじめました。 ネットで古書「かぎかっこ」始めました、古書は下のストアから見られます。

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    上海バンスキング / 斎藤憐

    而立書房 単行本 84年第5刷 カバー帯あり 見返し扉の天角にシミ 経年の薄ヤケ 名作舞台の戯曲。初版発行は80年。当時の一般的な若い演劇ファンの赤毛モノに対するイメージを覆した作品。戯曲のうしろに資料として上演記録が付いている。
    1,000円
    古書「かぎかっこ」
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    談志亡き後の真打 / 立川志ら乃

    宝島社 単行本 2012年初版 カバーにスレキズ(写真参照) 帯なし 志ら乃は立川志らくの弟子で、談志の孫弟子初の真打となった。とても立川流らしく、志らくっぽい人、時代にあわせた上書きもされているので、流派の系譜が読みとれて興味深い。
    450円
    古書「かぎかっこ」
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    志ん朝の日本語高座 / 古今亭志ん朝・齋藤明

    PHP出版 単行本 85年初版 カバー打ち傷 帯なし クスミ 昭和53年から60年までNHK‐FMで放送された「お好み邦楽選」の台本をベースにしたもの。邦楽の合間に季節の風物などにふれた語りが入る。その語り手の一人が志ん朝であった。志ん朝は台本に自分なりに意見をするなど、積極的にかかわったという。邦楽や落語の言葉をきっかけに、日本の芸能の根底にある季節や風物の味わいについて語る。
    650円
    古書「かぎかっこ」
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    上海バンスキング / 斎藤憐

    而立書房 単行本 84年第5刷 カバー帯あり 見返し扉の天角にシミ 経年の薄ヤケ 名作舞台の戯曲。初版発行は80年。当時の一般的な若い演劇ファンの赤毛モノに対するイメージを覆した作品。戯曲のうしろに資料として上演記録が付いている。
    1,000円
    古書「かぎかっこ」
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    談志亡き後の真打 / 立川志ら乃

    宝島社 単行本 2012年初版 カバーにスレキズ(写真参照) 帯なし 志ら乃は立川志らくの弟子で、談志の孫弟子初の真打となった。とても立川流らしく、志らくっぽい人、時代にあわせた上書きもされているので、流派の系譜が読みとれて興味深い。
    450円
    古書「かぎかっこ」
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    志ん朝の日本語高座 / 古今亭志ん朝・齋藤明

    PHP出版 単行本 85年初版 カバー打ち傷 帯なし クスミ 昭和53年から60年までNHK‐FMで放送された「お好み邦楽選」の台本をベースにしたもの。邦楽の合間に季節の風物などにふれた語りが入る。その語り手の一人が志ん朝であった。志ん朝は台本に自分なりに意見をするなど、積極的にかかわったという。邦楽や落語の言葉をきっかけに、日本の芸能の根底にある季節や風物の味わいについて語る。
    650円
    古書「かぎかっこ」
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          朗読の音声作品を作りながら考えたこと~「上手」について迷うその②

          朗読ってナレーションなの?読み語りなの? ナレーションも読み語りも元々は同じ言葉だったのだと思う。ただ実作業のなかで使われるうちに意味合いが変わってきたと感じる。  ここからは正しい言葉についてではなく、使うニュアンスの話になる。  ナレーションは必ずしも読んで語るものではない。映像作品では「プロ野球珍プレー好プレー」のみのもんたのように、映像を見て言葉を当ててしまうやり方、いわゆる「見た目で付けてください」もあるのだ。  ラジオの実況ナレーション(例えば試合の入りなど)も

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          同級生の脚本家が書いた愛すべき黒沢明の本「けれど夜明けに わが青春の黒沢明」植草圭之助

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          ラジオは原点回帰しながら、可能性への挑戦をやめたのかもしれない。

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          ドーナッツ盤は廻るよ、いつまでも。

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          誰でも映画を語って良い時代だけど、聞くに値する話はどれだけあるのだろうか

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