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あなたを閉じ込める「ずるい言葉」(森山至貴)


「あーあの人そういうとこあるよね。でも、悪気はないから。」

そんな風に、あなたの違和感を無かったことにした経験はないだろうか。
わたしは、無数にあるのだ。

中途入社した会社で、初めての上司から言われた言葉は忘れない。
『雑用は全てreinaさんに任せればいいから。ゴミ箱みたいにぽいぽい彼女のメールボックスに入れていって。』
彼女にとっては、
わたし=ゴミ箱、雑用といってもお客様対応ごとなので、お客様=ゴミ、なのだ。
わたしは、反応できなかった。その程度と扱われるのか。だってまだペーペーだし、仕方ないのかぁ。なんて流そうとさえした。
横にいた先輩が、その言い方酷くないです?と言ってくれた。
その時、やっぱり、酷いよなぁと思った。
だけど、その後、他の人から、あの人悪気はないから。と言われた。
"だから気にしないでね"という意味だ。
それくらいわたしにもわかるので、笑顔で、はい。とだけ答えた。
でもわたしには、今でもあの時の、わたしのこころの一部がグシャッと踏み潰されたような心地を忘れられないのだ。

今流行りの、『反応しない』という態度も、心を落ち着けてくれるかもしれない。
でも、人から投げかけられる言葉は唐突に、本当に突然、無抵抗の状態でやってくることが多いのではないだろうか。

ずるい言葉は、明らかな暴言ではないからだ。
なんとなく、もやっとするような…
そんなじとっとした空気を、纏った言葉たちなのだ。
そんな時、無反応でいられるわけがない。

わたしの個人的な意見だが、
反応は、絶対にした方がいい。
見逃してはいけない。心と身体の反応は、正直だからだ。目を逸らして、押し殺しても、どこかでふと自分が忘れていたころに膿のようにあふれ出たりするものだ。
そんな時に気づく。
ああ、あの時、わたしは傷ついたんだな、と。

ブッタのように悟りを開く必要はない。そもそも、おそらく世捨て人となる覚悟がなければ悟りなど開くことはできない、とわたしは思う。

自分や、他人の感情や言葉にいちいち反応するべきだ。
そうすることで、より直感や感性が磨かれ、感受性となりそれがあなた自身になる。

どのような社会背景や感情から、
その言葉が発せられたのか。
何がわたしを反応させる要因なのか?
ちゃんと考えるのだ。
嫌だったのなら、相手に伝え、対話をする。

そしてもし、それでもなお、あなたの感受性を守れない立場にいると感じるなら、すぐにその場所から逃げよう。反応せずに、どんどん感覚を鈍らせあなたがあなたでなくなる環境に居続けることはやめよう。

反応することは、美しいのだ。まさにあなたが生きているという証拠だからだ。

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