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Hello tonkotsu world!!

はじめまして。
とんこつという名前で活動しています。

現在27才独身男性無職です、

響きはとても悪いですがいまのわたしの状況をお伝えするとこのようになります。

現在大学付属病院の精神科閉鎖病棟というところに4.15より入院をしています。

それではまずとんこつのそれまでの記録を振り返りたいとおもいます。

とんこつは1995.1.5に東京の恵比寿という土地にて生まれました。

とんこつの親である父とんこつは転勤族であったので埼玉、千葉、群馬と関東を一周しました。その後どこにいくのか父とんこつは衝撃的な発言をしました。

当時五歳のとんこつ。

とんこつ「父とんこつ次はどこにいくの?」

父とんこつ「ほっかいどう」


どちら様?


戸惑うとんこつ。
こうしてとんこつは北の國に旅たちました。


新天地は『ほっかいどうはこだてし』
夜景がきれいで食べ物も美味しい。クラスの女の子はかわいかったし、小学校生活を満喫。このまま中学校もみんなと一緒かなと思っていたとんこつ。そしてまた事件は起こります。




父とんこつ「転勤だ。おかやま」

とんこつ少年11才の衝撃。



とりあえず日本地図を確認してへんなところにいくんだなと思いつつ、おかやまへ。


注釈!クラスのお別れ会は台風でなくなり後日主賓なしで開催されたらしいです。後日ビデオが郵送されました。


そして、おかやまで中学、高校と過ごすわけですが、高校2年の時、父とんこつまた衝撃発言。

父とんこつ「父とんこつは仕事やめたから」

とんこつ「なにしてるのかしらこの人」

母校は甲子園強豪校だったので甲子園の最中衝撃的な連絡を受け、頭が真っ白になりました。


そんなこんなで、高校卒業迫る3年生のとんこつ。


おかやまに来てさまざまな苦難を乗り越えて、性格がネジ曲がりましたが、とどめを刺される一撃。

担任のとんこつ。
「君は推薦入試で希望の大学にはいけないんだ」

なんてこった。

家庭の事情で高校三年という遅咲きのバイトに精を出し、お金も貯めてきていたのに。
このとき評定平均がガクッと下がったのも要因のひとつだったようです。

オール5で過ごした2年間はなんだったのか。なんともならない現状。浪人はできない家庭環境。迫ってくる高校の授業料支払日。時給690円のバイト。
数え役満でした。

しかたなく、簡単な大学に進学

そんなこんなでとんこつ上京。
このときとんこつ家族も一緒に上京しました。

慣れない電車通学。ばかばかしい毎日。気だるい講義。毎日がマンネリ化してました。

当時派遣のバイトをしており、父とんこつは猛反対。誰のせいでバイト漬けになったのでしょうか?

そんなこんなで都内のK電鉄という会社でアルバイト。社会人になっても少し続けていた為、五年いました。いまでもその会社の人たちとは飲みに行ったり輸送に関して熱烈な議論を交わしたりしています。少しだけダイヤグラムの作成にも携わりました。

その後、S鉄道という会社で働いてみたり、Cというシアトルのイサクアで生まれた某外資系会員制スーパーでマーチャンダイズを覚えてみたり、紆余曲折を経て、たとりついた答えが、


「仮想通貨で食べる」

とんこつはそう感じました。
同じところにいるのが苦手だったのかもしれません。しかし仮想通貨はべつでした。
自分を試せる環境が心地よかったです。

そして、うつになりました。

正確にいうとCという会社の上司にいただいたのですが、すべて完食してしまい、末期のうつ病さん。

とんこつはその頃死にたいと感じていました。

そんな中でも仕事を見つけようと再度K電鉄にてお仕事。そして、やらかして辞めました。強制退場です。

色々記憶がなくなっているところがあったり、人間活動ができませんでした。

年を越して2022年。


いよいよ自決するしかない。


この世の終わりだとそうとんこつ自身は感じていました。

そんななか、見かねた母とんこつ神奈川県のK医療センターという病院につれていかれ、任意入院を打ち出され、私立の病院だと医療保護になると言われつつも、家で判断すると言い残し、他の病院へ。


そして、いまの地獄が待ち構えていました。

ここまでがとんこつの人生でした。だいぶ省いた内容ではありましたがお読みいただければ幸いです。



2022.07.25 とんこつ








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