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【ラー博の何故?】第3話 何故?昭和33年の街並?

🍥ホッとする空間

今でこそ昭和30年代の街並というのはいろんな施設で再現されていますが、手前味噌の話ではありますが、オープン当初このような街並を再現するというビジネスはありませんでした。
「当時、新横浜はオフィスビル街で、仕事で行き詰った人たちがホッとできる空間がありませんでした。私の中の原風景は夕焼け雲の空の下、カラスがカァ〜カァ〜鳴いている。そして遠くからチャルメラの音色がおなかに響く。そんな“あの頃の”遠い記憶。あたりが薄暗くなり、街頭が一つ二つ点き始めるまで遊んだ“あの頃”の温かさを空間として表現したかったのです」

🍥ラーメンを美味しく食べてもらう環境

もちろん空間として単にこぎれいなレストランモールを作っても楽しくありませんし、私どもが全国を歩いて捜し求めた銘店のラーメンを美味しく食べてもらえる環境という点でも空間が重要でした。
「イメージしたのはラーメン店の窓際の席に座って、夕焼けの鮮やかな色を眺めながら食べるラーメン。一歩足を踏み入れれば現実とは隔離された別世界。実際に人が住んでいるようなリアルな街でした。」

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🍥昭和30年代ではなく、昭和33年にした理由

街づくりのヒントはラーメンのエポックメイキングともいえる「インスタントラーメンの誕生」にありました。
「夕焼け=懐かしい風景という漠然とした連想はあったものの、具体的にそれがいつの時代かは特定できませんでした。しかし、高度成長時代戦後第三の主食とまで言われたインスタントラーメンの誕生の年なら、ラーメンの美味しい夕焼けの街を設定するにはピッタリではないか?そんな興味を持って昭和33年をひもとくと、この年は社会的にも実に素敵な話題の多い1年でした。東京タワーの完成や一万円札の発行、皇太子妃の決定、スポーツ界では長嶋茂雄さんのデビュー、王貞治さんの入団など、庶民生活にとって多分に明るい話題の多い年であり、出来事をひとつ一つ取り上げてみると、これも後に影響を与えるようなエポックメイキングなものが多い年でした。 」

🍥日本人が置き忘れてしまった想い

もうひとつは、この時代の素晴らしさを現代の人に知っていただきたいという想いです。
「当時は高度経済成長の時代の中、人々は決して裕福ではありませんでしたが、お互い助け合いながら夢に向かって頑張っていました。今の時代はその逆で暮らす事への不自由はそれほどありませんが、人間関係が希薄になり、夢を持っていない人が増えたように感じます。あの時代の魂は、経済成長とともに日本人が置き忘れてしまったのかもしれません。」

🍥総工費10億円。徹底的にこだわった内装

「当初はここまでお金をかけるつもりはありませんでした。しかしこだわっていくとお金がかかってしまいました。例えばNHKの放送受信章や当時の電気メーターなどは現物をひとつ手に入れて、新たに型を作り量産しました。当時のものが中々残っていなくて、写真などを手掛かりに作ったものが多いです。写真スポットとして人気のある電話ボックスもそうです。地下には77軒の家屋を再現しておりますが、1軒1軒のファサードは私の承認印なくして進めることが出来ないようにして徹底的にこだわりました。」

細部の演出1

細部の演出2

🍥何故地下に作ったのか?

「よく聞かれるのですが、答えはシンプルで過去にタイムスリップするのは上ではなく下だと思ったのと、地上だと窓などから現代の風景が見えるのがタイムスリップ感を損なうと思いました。しかし地下に作るというのは地上に作るよりも2倍お金がかかります。」

🍥生命を吹き込む

「もう一つのポイントが昭和33年の街にいかにして生命を吹き込むかという点です。先ほどご説明したように77軒の家屋を再現したのですが、まずは住人台帳を作りました。この街に住む架空の人々の氏名、生年月日、家族構成、職業、趣味などを決め、氏名は昭和30年代に活躍した人命を盛り込みました。例えば純喫茶ライオンは昭和31年~33年に日本シリーズ3連覇した西鉄ライオンズから、からたち洋装店は昭和33年のヒット曲「からたち日記(島倉千代子)」から、町内会長の一万田直人は、昭和33年に発行された一万円札にちなんで付けました。このような住人台帳をもとに、洗濯物やディスプレイなどを事細かに決めていきました。誰も関心がないかもしれませんが、そういった視点で街を探索するとおもしろいですよ。」

住人台帳

住人

🍥期待通りの過去

「創業当時は1994年ですから、1958年は36年前です。現在2020年から見ると62年前となります。来館される方の多くが、この当時に生まれていない人ですが、皆さんが懐かしいと感じます。これは期待通りの過去を作り上げたからです。どういうことかと申しますと、この当時新築の家もあっただろうし、洋風の家もあったと思います。しかし、この街の建物はどれも古びていて、塗装がはげていたりします。これはこうだったんだろうという期待通りの過去を演出したのです。全ての建物をエイジングという技法で汚し、本物らしさを誇張したのです。」

エイジング1

細部の演出3

地下の街並は東宝映像美術の方々を中心に専門の職人さんに作っていただきました。嬉しかったのは、関わってくれた職人さんたちがこの街を我が子の様に愛し、誇りに思ってくれたことです。
オープン後、多くの職人さんたちが家族や友人を連れて来てくれて「ここは俺が作ったんだよ」と誇らしげに説明している姿を見て、ここまでこだわって本当に良かったなと思いました。

あれから26年経ちますが、今でも昭和33年の街並はみんなの魂が宿った、
かけがえのない空間です。


★バックナンバー
第1話「何故?新横浜に作ったの?」
第2話 何故?ラー博を作ったの?
第4話 どうやってラーメン店を選んでいるの?
第5話 どのようにお店が入れ替わるの?

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