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「盤双六」について想う 巻之漆 (My thoughts on Backgammon 7)

タイトル画像はwikipedia「すごろく」から引用です。

前回からの続きです。すごろく外伝です。

ご注意:
前回の記事は、ローマ帝国で流行していたゲーム「Ludus duodecim scriptorum」に関して、まるでその場を見てきたかのような記述をしました。
しかし、それらは全て、ラジくまるのhallucination(幻想・妄想)です。
たぶん、こうだったんじゃないかな?という仮説です。ご注意願います。

***

さて、ここまでの話は「物語」がちゃんと完結しているように見えませんでしたか?

すごろくゲームが生まれた。とっても楽しかった。
いろいろなバリエーションが考案された。
ある時、運だけで勝敗が決まるのが嫌になってきた。
相手のコマを「ヒット」するルール/相手を痛めつける・攻撃するルールが生まれた。
もっと熱い展開が欲しくなってきた。
ゲーム盤が小さくなり、スピードアップした。

でも・・・・。
この「物語」、どこか別の場所で、似たようなコトを読んだ気がしませんか?

たとえば、珍ぬさんが2021年7月に、こんな記事をnoteに投稿しています。

1950年頃、一般家庭向けに市販されたボードゲームは、サイコロを使った「運任せ100%」のゲームばかりでした。
Lude(ルード)が当時の代表的な市販ゲームだったと、言い切って間違いないです。
それに並ぶモノたちも、MonopolyやYahtzee(モノポリー・ヤッツィー)ということですから、どっちにしてもほぼ(90%以上)運任せなゲームばかりです。

しばらくの間は、皆がこれらのサイコロゲームで満足していましたが、次第に「運任せ」が嫌になってきました。
だからこそ、「うさぎとはりねずみ(1976)」に代表されるような、戦略性の高いレースゲームが創作されたわけです。

あれれ?

「歴史は繰り返す」ってのは、広く知られている名言です。
しかし、AD2世紀あたりと、1976年とで、1700年も経ってるのに、同じようなことを繰り返しているのは奇妙な話です。
変ですよ。これ。

勝手ながら、この奇妙な現象に関して「ラジくまる仮説」を提唱します。

この2つの事象は、我々人類が「ボードゲーム」という「概念」を学ぶうえで「必修の学習コース」を示しているのではないでしょうか。

どうしてこんな仮説を思いついたのかに関して、下記の拙作もご参照頂ければ幸いです。

まずは、「確率論」を徹底的に勉強して、それを完全に習得できたら、次に「ゲーム理論(ナッシュ均衡とか)」を学習する権利がもらえる。
そこまで終えたら、やっと、ボードゲーム世界の基礎学習の修了証明書がもらえる。

そんな風なシカケになってるのかな、と考えています。

ヒトは、いきなりひとっとびに「うさぎとはりねずみ」とか「バックギャモン」などを遊ぶことができない!
最初は「へびとハシゴ」などの基礎を、じっくり時間をかけ、数多くの経験を経て学習しなさい。すべてはそれからの話だ。
という仮説とも言えます。

どうでしょうかねえ。
まだ証拠を持っていないので、今のところは単なる暴論になっちゃってます。
とりあえず、考えを申し述べてみました。

#歴史
#数学
#確率
#ナッシュ均衡

ゲームシステムのデザイナーって、何なの?どういう意味? そんな疑問は、私の記事群によってご理解いただけるものと期待してます。 ラジくまるのアタマの中にある知識を活用していただけるお方、サポート通知などお待ちしています。