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しあわせの方向性

今回は、普段心理面のお話をしていく中でも大切なところだなと感じてるので忘れないうちに。
ポリヴェーガル理論とは関係ないことですが、おつきあいください。

なにか症状がある方にもない方にも、心理面はとても意味があるものと思っています。それは、生きていく中で人間は一人では生きていくことができずに、周りの人とも協力したりコミュニケーションが必要な生き物だからです。


そもそも、感情がうまく処理できないこと。

さらには、これが長く続くことが病気への入り口だと感じていて、がっちり食べ物だけで何かの不具合を起こしているとはいいがたいと思っているのが私の意見です。
それでいて、対症療法的にもすぐ使えるのが食だとも感じています。

食べ物を調えていくと不思議と思考や考え方が変わっていく。
そんなことも、やってきた方は振り返ると気づいていると思います。

過去、仕事柄、たくさんの患者さんとも会話してきましたが、多くの方が感情の不具合を起こしていることには気づいていました。(多くはとても身近な方との関係が多かったです。)
が、病が先にあったのか?病がそれをゆったり時間があることでフォーカスさせ引き起こしたのか?そこまで深く検証はその当時しませんでした。

それに加えて、実際、私が学んでいるところでは、ひどいアトピーの症状が出てる子が、お母さんの色んな気づきだけで、一夜にして症状がある程度おさまったということもお話として何件も聞きました。
そして、私自身も子供の幼い頃、小さな体験をいくつかしています。
その時、何がよかったのか?振り返って食を考えたりもしました。
が、似たような食の時もあったり、違ったり。あまり、統一していたとはいいがたかったし、深堀してきませんでした。

自分の人生の中に、なにか、否定したもの、人、現象などがありませんか?


こんな書いといてなんなんですが、
ホリホリと、穴掘りや、深堀することはおすすめしていません。
でもこの言葉がふっと思い出されました。
深堀りする必要がないことは、それは、
なぜなら、自分の奥底にあるものとがっちり結びついてて、今は安心をしているはずだから。トラウマらしきものに知らずのうちに表に出してしまう必要はないってこと。

そんなことをせずとも、いつのまにか、生活を通して、感情がクリアになっていくのが今は一番いいなと思ってるのが今の私です。

私はそのあたりを何度も自分での検証をしていって数年。

がそこに不思議ときづいていくと、その感情をひもといていくと、感謝がでてきます。ここも、ポリヴェーガル理論を用いて今後説明していきたいと思っています。

あまりにも深いところを置き去りにしてると気づかないものですが。
症状が〇〇の時になぜかひどくなる、ということに気づくようになったりします。

もちろん、たくさんのアトピーのパターンがあるので一概にこれだけだと思っていません。


というのも、うちの場合は、食を調えてきたパターンなので、がっちり油の炎症系に働いていくものを変えていったという経緯があります。
これは、また、おいおい、炎症系の油のお話も今後していきたい予定です。


が、たくさんの学びを色んな視点で深めていくうちに、ひとつのアプローチが食であって、いろんな心へのアプローチも食と同じくらい、ある人にとっては、大切だと思うからこそ、やはり、学びを続けているのです。
これは、もちろん、自分のためでもあります。

過去の私が楽になるためなのかもしれません。

今日は、私、今なお、学び続けているコミュニティがいくつかあって、ほんと、どれも、それ全部書き出したいくらい神回ばかりなんです。私にとって。

それほど、心をとおしての学びは、答えが多岐にわたるし、はっきりとこれといった答えがあるわけではありません。
そして、すべてが◎まるなんです。
どんな答えをだしても、ださなくても。
答えをださないという考え方も私は大切にしています。
ある時にそういう選択肢もあるということを教えていただいたからです。

そう、答えを出す必要はないのですが、どうしても今の教育の中で、答えを求めてしまう傾向が幼いころからしみついてるようです。

身近に実践的に使える考え方をたくさん学んではいるので、これを今後はからだの事も含めて、ご紹介していけたらと思います。
その中でもこちらで書き留めておきたいと今日は自分のために思ったのでここに記しておきます。

しあわせの方向性について大切な3つのこと

くらべる
◎何かのせいにする
◎依存する

この3つのうち、一つがあるとどうしても心地の良い循環には、入っていきにくいという話です。

何を基準に比べるのか?
ほんとうに〇〇のせいなのか?
そして、依存から出れないのではないか?

基準って。
そして、土台、そして感性がそもそもみんな違うんですよね。

だから、一概に比べるっていうのが難しいと思っています。
例としては、
貧乏だっていうことに対しても、私は外国でホームレスの方からしたら、
立派にこの豊かな国の日本に住めてるということだけで豊かになるんです。
どこのだれと比べるのか?
ということ。

そして、〇〇のせいだと思っていることは、本当にそうだろうか?
と疑問を持つこと。

喧嘩したら、向こうが〇〇、こっちが〇〇というふうに、なにかしら原因にあたるものがわかるときもあります。
が、本来、人って一人だったら起きないような出来事でもあるんですね。
引き寄せの法則や思考が現実化するという宇宙の法則を思えば、マグネットのようにお互いが引き合っていたということ。 

どちらにも、そのseed(種)を持っていたということなんです。

その種を持ってさえいなければ、その現象、その事象が起きない、心が動かず、いくら、相手が怒っていても悲しんでいても、違う反応が自分もでていたということ。

だから、自分の目の前の人が怒っていたとしても、他の人と同じことが起きるとは限らないよってこと。
自分の前では優しい面しかみせてなくて、でも他の人の前では違った面を出す。
どこまでいっても、相手のタネの自分の持ってるものにしか、自分は反応していないということです。

相手は自分の鏡であるということ。

これ、ほんと最近これでもか!これでもか!と久々に嬉しいことも見せていただきました。


そして。依存。

色んなとらえ方あるけど、ね。
どこまでいっても、依存的なところからやってるのか?
それとも発展するためにやってることなのか?
そこからいつでも抜け出れる状態なのか?

思うことは多々あるし、とらえ方も多々あるワードですが、

この3つのうち一つでもあると、すこし方向性が変わっちゃうよって
いう簡単にまとめた話でした。

時々、こちらのnoteを読んでくださった方から公式ラインに感想や質問いただいています。
つらつら書いてるだけですが、楽しみに読んでいただいていたんだと思う瞬間です。
つたない文章ですが、こうやって読んでいただいてたり、同じようなことを経験されていたことを知ったり。

いつも感謝してます。ありがとうございます。

今日もお読みいただき、ありがとうございます💗
何かの参考になれば・・・。
                       yomogi


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