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毅然さと厳しさと怖さと、受容と共感

保育のおしごとに関わりだして、
「子育てや教育って、
ずーっっとこのワードの狭間を悩んで
行ったり来たりすること」なんじゃないかと
ますます強めに感じております。

学校で働いてた頃、
真っ先に気になって、今なおずっと、気にしていることがあります。

それは‥

「言い方がきつい、圧が強め」など、
いわゆる、「怖く言われる」「怒られる」じゃないと、大人の話を聞き入れることができない子どものこと。(コミュニティの狭い田舎の地域にある教育困難校で特に顕著に見られました。)

彼らに向かって、
静かに諭すような言い方や、「さぁ、話を聴いてみたい、対話しよう」というような雰囲気にしたところでこっちを見てもらえない、みたいな妙な現象が起きることがたびたびあり、難しさを感じたのを今でも鮮明に覚えています。

彼らは口癖のように毎回私達に尋ねました。
「ね、先生って怖い?怒鳴る系?」
「ね、これって強制?」
「やらんと先生おこる?」

こういった発言の後ろ側にあるものはなんだろう??
「柔らかい言い方=本気じゃない」
「強制されない、怒られないなら
取り組む必要はない」
と思いっきり勘違い&誤学習してるかのように、私には見えました。
(または、もう少し根深い、「何か」
不安なのかな?自分がどれだけ受容されるかを探ってるのかな??とも、見れるけど。。)

そして、その[誤学習]は、
幼い頃からの、周囲の大人の関わり方がもろに影響しているのではないか?

物事の本質や意味を考えさせたり、葛藤させたり、
敢えて悩ませるような機会を与えずに、
「上からの圧力だけで強引に言い聞かせ続けたツケ」ではないかという仮説のもと、

今、自分のなかで密やかにそれを検証する意味も込めて
保育のおしごとに関わらせてもらっています。実は。

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高校教職員から保育士に転職、小さな地域団体を運営しながら保育士のお仕事をしている「40歳間近で4児の母にして新人?!保育士」の視点で、実際…

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