娘にイライラして気づいたこと
今日は、わたしのメモ的なものだが、わたしにとっては大きな気づきで、忘れずにいたいことなので、書いておきたい。
ここのところ、娘に対してイライラしてキツい言い方をしてしまうことが多い。
例えば、宿題をやろうとしないこと。
嫌味に聞こえたら申し訳ないのだが、
私は、宿題をやることに対して、
『やるべきことなのだから、やる』
と思っていて、
学生の頃、宿題をしなかったり、全然勉強しない友人に対して、
『なんで?』と思っていた。
だから、友人の間でも若干浮いていたと思う。
『まじめだね。』
とか、
『ちゃんと勉強して偉いね』
と、よく言われていた。
わたしからすれば、
勉強しない友人たちの気持ちの方がよく分からなかったのだけど。
学校にいる多くの時間は勉強する時間なのだから、授業の内容が理解できなければ、学校に行くことが苦痛になると思ったし、
宿題をやらずに怒られることも嫌だし、
テストで悪い点数をとることも嫌だと思っていた。
そもそも、
やりなさい、と出されたことをやらないということが気持ち悪かった。
やる気が出ない日など、
『自分はダメなやつだ』とすら思っていた。
明日、漢字テストがあるのに勉強する気が起きない日など、
『どうしてやる気にならないの?』
と、自分を責めていた。
変な奴かな?
だから、私にとって勉強はやるべきものだし、やらないという理屈がよく分からない。
その価値観で娘を見るから、
娘が宿題をやろうとしないことを、
『なぜ?』と思う。
娘のことを、『よく分からない人』と見てしまう。
わたしは、娘を自分の価値観という『枠』の中に入れようとするから、
そこから外れる行動をする娘に対して、
イライラするのだ。
あらゆる面で、娘をわたしの『枠』の中に入れようとしている。
たとえばこんな風に。
わたしは子供の頃、そんなにダラダラとテレビなんて見てなかったし、見るべきじゃないと思う。
↓
なんで、テレビばっかりみてるの。イラッ。
そんなにこぼさないでしょ、普通。もっときれいに食べられて当然、と思う。
↓
なんで、こんな食べ物こぼすの。イラッ。
こんな曲簡単でしょ、と思う。
↓
なんで、こんなのが弾けないの。イラッ。
さっきやったばっかりじゃん。こんなこと簡単でしょ、と思う。
↓
なんで、こんなことが分かんないの。イラッ。
こんなことしないでしょ、普通(わたしにとっては)と思う。
↓
イラッ。
とにかく、すべてわたしの価値観という枠で娘をみているから、そこから娘が外れるたびに、
『なんで?』
と思うのだ。
わたしの世界は、その枠の中。
枠の外のことは、
『なんで??』
と、すぐには理解できない世界。
違和感を感じたり、イライラしたり、
時にワクワクしたり、ハッとしたりもする。
ここ数日のわたしは、
わたしの枠から外れる娘に、イライラしっぱなしだった。
今日も夕飯の後、ダラダラとテレビを見て、一向に宿題をしようとしない娘を見ながら、そんなことに気がついた。
わたしにとっての当たり前は、
娘にとっては、当たり前じゃない。
わたしにとっての簡単なことも、
娘にとっては、簡単なことじゃない。
わたしと娘は、違う。
そんな当然なことに、当たり前すぎることに、
今更気がついた。
というか、明確に認識した、と言った方が良いのだろう。
そんなことは、色んな本で読んだり、色んな人に言われたことがあったはずだ。
こういうことを、附に落ちた、と言うのだろう。
そんな気づきを得た瞬間、
イライラした気持ちがすーっとしぼんでいくのが分かった。
まぁ、常にそんな冷静ではいられないだろうけれどね。
きっとまた、イラッとして娘にきつく当たってしまう時もあるだろうけれど。
でも。
イラッとした時には、
その感情をすぐに外に出してしまう前に、
自分の『枠』を観察してみよう。
わたしはどんな『枠』を持ってるのか?
そして、
わたしの枠の中に娘を入れようとしてないか?
そう考えてみるだけで、
無駄に娘にキツい言葉を吐くことが減りそうだ。
そんなことを、夕飯の片付けをしながら考えた。
わたしのキリキリした雰囲気が和んだ頃、
自分でテレビを消して、
『ママ、今日学童でやってきたプリントのチェックしてー』
と娘が寄ってきた。
いつもなら、
『やっと、テレビ終わったの?もうあんまり時間ないじゃん。』
と嫌味の一つも言いそうなところだが、
『じゃあ勉強しよっかー』
と、穏やかに言えてる自分がいた。
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