反省の色がない讀賣新聞

2008年6月29日(日曜日)の讀賣新聞朝刊39面でひどい記事があった。  
 
それは『おあしす』という片隅にあるJR北海道石北本線を走るSLの記事で、「鉄道写真マニアが集結」と書いてあるのだ。また、ホームページ上では「鉄道ファン」や「撮り鉄」などが混在して、書き手が別の人間であることは明らかだが、なぜ新聞とサイト上は本文が微妙に異なるのかわからない。  
 
産経新聞のウェブサイトもそうで、ほかの分野は「ファン」という言葉を使い、なんで鉄道だけ「マニア」なんだよ。この世の中には鉄道の好きな人、ほかの分野でもお好きな人は「ファン」なのであり、「マニア」、「オタク」、「ヲタ」じゃねぇーんだよ。いたとしても、道を踏み外して取り返しの使いないことをやっている人間に当てはまる言葉だ。それは鉄道だけに限ったことではない。  
 
讀賣新聞は1999年夏と2007年8月16日(木曜日)にクレームをつけているが、まったく反省の色はない。電話でクレームをつけても「申し訳ありません」や「気をつけます」といった謝罪の言葉もない。  
 
2007年は鉄道がブームになったと言われる。女性のレールファンも着実に増えており、近年は鉄道に関心のない人たちも目を向けるようになっているらしい。しかし、いくらブームになっても「ファン」とは呼ばれず、偏見視される言葉ばかり並びたてている。近年よく聞かれる「鉄子」や「鉄男」などは立派な差別用語で、「ファン」と呼ばれなければ、真のブームは訪れないのだ。  
 
レールファンの中には駅名キーホルダーやヘッドマークのシールやバッジなどを身にまとい、カバン等につけている人もいるが、それはプロ野球ファンも同じこと。プロ野球ファンも気合いの入っている方はハッピやレプリカのユニホームを着て球場へ向かう人もいるのだ。いくら同じことをしても、プロ野球ファンは“当たり前目線”なのに対し、レールファンは“色眼鏡”に見られてしまう。
 
私は巨人ファンでもある。2004年以来、ゴブサタではあるものの、球場へ観戦に行く時はハッピやレプリカのユニホームは持っていないから、普段着で行っているけどね。鉄道の現場(一般的な駅や列車)も普段着だ。  
 
俺は世界191か国すべてにおいて、「マニア」、「オタク」、「ヲタ」はこの世の中に必要ないと思っている。いつも言っていることだが、異常または悪趣味でもない限り、みんな「ファン」なんだよ。常に“ファン度”を向上させ、健全であることをアピールしなきゃダメなんだよ。  
 
今回の記事も職務怠慢、あぐらをかいているも同然なのだ。また、新聞社のホームページで気になるのは、なぜ開設しているのかだ。購読の案内にとどめるのならわかるけど、記事がカンタンに見ることができるのだ。
 
ホームページだと通信料がかかるとはいえ、多くの御家庭や企業は使い放題のパック料金で、メールの送受信込みなのだから、タダも同然(これとは別に電気代がかかるけどね)。新聞だと月額払いだから、購読している側にとってはバカバカしく感じる。物価の値上げに歯止めがかからない以上、新聞の購読を解約して、ホームページ閲覧に切り替えるところも多くなるのではないかと思う。  
 
これはレールファンのみならず、すべての人々に言いたい。太田総理のようにハッキリ言う姿勢が必要だ。趣味に没頭するのではなく、政治に関心を向けることが大切だ。政治家というのは現場主義でないのが多いから、後期高齢者医療制度であわてているのが象徴的な例と言えるだろう。  
 
私が目指す世の中は“「ファン」しかいない世の中”で、誹謗中傷の言葉は罪として罰する。“真の世界平和”に一歩でも近づくことができればと願っている。
 
☆備考


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