見出し画像

【超特急パンゲア 2】国難でモノ言う国民的習性② - ロシアの親軍文化

1991年にソ連が崩壊し冷戦が終結して以来30年余、イデオロギーの対立軸も無くなりロシア欧米に攻められる虞が皆無な中で隣国に大軍で攻め込み、しかもロシア国民の支持率は高いと報道されている。これは報道統制を割り引いても理解困難だ。私は学者でもスラブ専門家でもないが、ドイツの現地校に通っていた子供時代の第二外国語がロシア語だったという昔取った杵柄のせいか、ドイツ勤務時代を含めロシア出張は20回を超えその異世界感はそれなりに理解している積りなので、多少の肌感覚的コメントを試みる。

パリのメトロ12号線コンコルド駅

ソ連体制はとっくに崩壊したが、ソ連時代の国民の習慣や発想は簡単には変わらない。例えば普通の民民の会議なのに、プロカメラマンが当然のように入ってきて会議の模様を撮影したり、2000年にバレンツ海に沈没した原潜クルスクの乗組員(全員死亡)の遺族が抗議デモを行った際に私服女性が遮りざまに何かの注射を打って一瞬で黙らせる模様がニュースに偶然映りこんだりという具合だ。司馬遼太郎はロシアの特色として、際限なき領土膨張本能等と並んで、「武威」重視の統治を強調しておられる。この軍事優先思想こそ、ロシアの異質で周辺国に大迷惑な習性の、最たるものだ。

同上

革命という暴力的な政治現象の描き方を西欧とロシア、それぞれの革命広場駅で比べてみよう。西欧の代表的な市民革命であるフランス革命においてルイ16世やマリー・アントワネット王妃が断頭台で処刑された革命広場の地下にあるメトロ12号線コンコルドConcorde駅は、全面が文字で覆われている。これは1789年に憲法制定国民議会が採択したフランス人権宣言のテキストをデフォルメしたものだ。革命の血生臭い闘争過程よりも、理念としての民主的な法制に焦点を当てた西洋流の法治の理想と美学が、天井に張りついている。

右下:フランス7月革命記念塔

別の例を挙げよう。これはメトロ1号線バスティーユBastille駅だ。フランス革命の発端となったバスティーユ監獄襲撃事件のあった、もう一つの革命の聖地だ。壁画には監獄襲撃の模様もちらりと描かれてはいる(下中)が、中心は自由・平等・博愛Liberté, Égalité, Fraternitéという革命の理念で、第三共和制以降のフランス共和国の標語になり、フランス国旗の三色🇫🇷で象徴される。

西欧とは対照的に、ロシアにおける革命の表現は直截だ。

パリと対照的なのがモスクワの革命広場駅だ。駅名もそのものずばり「革命広場Площадь Революции」で、拳銃・ライフル銃・機関銃・猟銃を構えた兵士や義勇兵の像が林立する異様な雰囲気が漂う。暴力を隠そうともしない、西洋の発想では考えられない露骨さに圧倒される。


左:パルティザンスカヤПартизанская駅では私人義勇兵の巨像がホームを睥睨する。ここでも銃がことさら強調され、大マトリョーシカのようなおっかさんまで軽機関銃で武装している。

上3葉はマヤコフスカヤМаяковская駅の天井画で、赤い星を付けた空軍機が誇らしげに描かれている。下2葉はキエフスカヤКиевская駅で、将校が労働者・学生・駅員を見守る構図だ。軍がロシアを外敵から守ってくれているからこそ君達の平和な日常があるとのメッセージがストレートに伝わる。

左下に少し見えている客車は、満州国の愛新覚羅・溥儀帝も乗ったという東清鉄道(ロシア名は
中国東方鉄道Китайская Восточная Железная Дорога、日本の南満州鐡道のソ連版)の展望車

ロシアの古都サンクト・ペテルブルグの鉄道博物館の目玉展示はこの核ミサイルランチャー列車で、核弾頭10発搭載・射程10,100kmの大陸間弾道弾ICBM発射筒を格納する。発射台が走り回るので、先制攻撃で核攻撃を防げない恐ろしいシステムだ。2021年9月に北朝鮮がテストした鉄道機動ミサイルもこの方式だ。

大迫力の16軸の車輪には赤い星が躍る

退役戦艦の主砲を載せ替えたこの巨大な砲車は口径30.5cm・射程30kmの巨弾を毎分2発発射でき、ソ連によるフィンランド侵攻で用いられた。こんな怪獣の建造には巨費を要したろうが、狙っていたカレリア地方沿海部をフィンランドから奪えたのでロシア的には元が取れた筈だ。ロシアは伝統的に火砲への執着が異様に強いという司馬遼太郎の「坂の上の雲」の一節を、ペテルブルグの空の下で思い出していた。

中右:潜水艦は内部も見学できる。魚雷発射装置の他、北朝鮮との友好モニュメントも
あった。右下:レリーフには「1905」と書いてあったので、日本海海戦時のバルチック
艦隊旗艦スワロフか、同年に反乱が起きた戦艦ポチョムキンかのいずれかだろう。

軍事モニュメントはどの町でも至る所にある。上と左下の戦車群はユジノサハリンスク、右中の潜水艦はウラジオストク、右下の戦艦の絵はモスクワのクラスノプレスネンスカヤ Краснопресненская 駅だ。戦車のある公園で遊びながら育った子供は、どんな大人に育つだろうか。

左上:戦闘機の尾翼のモニュメントがあるヤクーツクの公園。右上:モスクワの装甲機関車。下:どこか(撮影地失念)で見かけた陸海空の軍事力を誇示する絵。最早子供じみているが、こういうものを全市民が町のあちこちで毎日見させられ続けると、いざ戦争のニュースに血沸き肉躍る人民が出来上がるのだろうか。

右下:この校倉造り風建物は旧豊原神社で唯一残る遺構で、現在は倉庫になっている。

南樺太が日本領だった頃の島都・豊原の豊原神社は、今はユジノサハリンスクの「栄光広場」となってロシア軍人の銅像が並ぶ。左下:参道の上にあった本殿は壊され、壊した方のソ連将校の銅像が立つのみだ。

上中:この砲弾型墓石の主は自己犠牲心の強い人だったと見た。
右:この方の墓石は何とミサイルランチャーの形だ。

日本の仏教徒と神道信者の数を足したら日本の総人口を遥かに越えるという統計がドイツの友人と話題になった際、日本の葬儀の際の宗教を問われ仏式が多いのではないかと答えたら、では日本の主宗教は仏教なのだろうと言われた事がある。人にとって死は最も深刻なテーマなので、成程と思った。ロシアの墓地でしばしば兵器を形どった墓石を見かける。生前は軍人だったのだろうが、死後も兵器と共にありたいとは、ロシアの軍事優先思想は精神世界最深部まで達している筋金入りだ。正に「おそロシア」でウクライナも厄介な隣人を持ったものだ(我々もだが)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?