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行き交う誰かではない、たった1人のあなたへ。

少し街を歩いてみると、沢山の個性とすれ違います。
笑顔の人、急ぎ足の人、ケータイに向き合ってる人...。

そうした中で見つけたちょっとした優しい個性。
こんな人が素敵だなぁ、そんな思いを書いてみました。

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-目次-
・街の空気感を感じる。
・目の前のあなたを意識する。
・幸せは自分の基準で。


<街の空気を感じる。>

先日とある商店街にあるお店でビラ配りのバイトをしていました。

同じビラ配りでも街ごとに醸し出される空気感が全然違って、これが意外にも楽しいと感じる自分です。

そして街ごとにビラを貰ってくれる人の反応も様々です。
無言で通り過ぎて行く人が多い街、足を止めてちょっとしたお喋りをする人が多い街などその場所を知らなければ知らないほど発見があります。

先日の街ではちょっとレトロな商店街なのに外国人が多かったのも印象的でした。

そしてこの外国人の多くの人が案外ビラを貰ってくれたりします。
貰わない人も僕に向かって「アリガトネ」と言ってくれたり、ニッコリ笑顔で首を振ったりと何かしらの反応を示してくれます。

そうして反応されるのが素直に嬉しかった。
他の日本人はあまりそうした反応をしてくれないから。

コレって文化の違いなのかな?
そんな事を思って少し考えてみることにしました。

<目の前のあなたに注目する。>

『外国人の方が非言語のコミュニケーション(笑顔など)の重要性を知っているのではないか』という仮説を証明するため、ちょっとだけ調べてみました。
表情をマスクなどで隠すことの多い日本人とあまりマスクをしない外国人を例に考えてみたのですが、これはマスクの示す病気の危険度の高さが外国と日本で違うために起きる違いで、自分の求めるものとは少しズレた結果となりました。

と、ズレた結果を知って自分の中に生まれた感情がありました。
「理由はどうあれ、良いものは良いとして真似をしてみれば良いんじゃないの?」
根拠を理屈付けしようとしていたのに、それをすっ飛ばす暴挙のような考えです。(笑)

でも文化の違いを理由にあれこれ証明するよりも、それを一つの実感として教訓にする方が僕には必要な気がしました。
大切なのは外国人が僕を1人の人間として見てくれた事実なのです。

コミュニケーションにはいろんな方法がありますが、中でも非言語、特に笑顔の力は本当に大きなものであると感じています。
そんな笑顔の力を自分はどんな人に与えられるだろうか?
行き交う人々、もう今後会うことのない誰かだったとしても、目の前にいる人にそんな笑顔を向けられたら素敵だな。

僕はこれに尽きると思えました。

<幸せは自分の基準で。>

そんな出来事から数日後、
とある記事で「日常生活の解像度」という言葉に出会いました。

その記事では幸せと日常生活の解像度の関連性を感じ、こう述べていました。

幸福な人ってのは、「自分がいかなる状況でも「幸福である」と信じる力を持っている人」のことなんです。


ほんの小さな事を幸せに感じれる。
別に無理してるわけじゃなく、自然とそうなっていくという解像度の高さ。

幸福であるかどうかは自分で決める。
コレってすごく素敵で大切な基準だと僕は思うんです。


僕は笑顔で微笑み返されてすごく嬉しかった。
ありがとうって言ってもらえる事に喜びを感じた。

なら僕も僕なりの幸福を人に与えられる存在でありたい。

だからちょっとだけ意識を変えて、
笑顔で過ごしてみよう。
感謝の言葉を伝えてみよう。

自分も相手も幸せに。
そんな日々が素敵だなぁ。

実感を持って、そう思います。

ライ

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