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人の行動すべてに意味を持たせたがる「君の膵臓をたべたい」の主人公

今さらですが、数年前に流行った「君の膵臓を食べたい」小説の感想文です。

感想

この物語の主人公は、口数は少ないものの、頭の中では沢山の事を考えています。それはもう考えすぎなくらいで、人が他人をどう見ているか考えたがったり、人の行動全てに意味・根拠を持たせようとしているのが特徴です。こういう理由があって、僕はこうする。こういう要因があったために、僕はこう言った。という風に、自分に言い聞かせるように説明しながら行動しています。特に理由なく流されて行動している場面でさえ、「僕は草船だから」と理由付けしています。
そんなところを桜良も「私の発言に全て意味があると思ったら大間違いだよ」と指摘しました。本人も、「人間関係を数学の式みたいに考えてしまう」と自覚しているようです。

そして、「偶然」を「単なる偶然」として捉える彼と、「選択の積み重ねの結果」として捉える桜良とは、対照的に描かれています。しかし私は、そこに根拠として自分の意志を置くか否かの違いだけで、実は二人は本質的には似ていたんじゃないかなあ、と考えています。「偶然」「確率」といった曖昧なものか、「自分の意志」かの違いこそあれ、そこに裏付けしたがる思慮深さは、二人に共通したものだったのだと思います。

私自身も、実は彼に似たところがあります。自分の言動を出来るだけ正当化しておきたいというのと、感情で突っ走って後悔しないためにそうしているのですが、きっと彼もそういう考えがあるのではないでしょうか。外側から見た彼と私は大分違うタイプだと思いますが、内面を覗いてみると共感できる点が多くて、非常に面白かったです。

そして、そんな主人公を通して、作者の主張がガンガン伝わってきます。
いつ死ぬか分かっているか否かに関わらず、一日の重みは平等である事。加害者と傍観者の罪の重さ。思考が人を盲目にさせる事。多数派が正しいと思い込むことの愚かさ。現実の人間が抱える複雑さ……。
作者が普段から考えていたであろう様々な主張が、沢山の小さなテーマとなって、はっきりした語り口で描かれます。目の前の出来事をいちいち明らかにしたがる主人公の性格も相まって、ひとつひとつのメッセージが重いのです。読んでいて、心にヘビーブロウを何発も撃ち込まれている気分になります。
しかし、ハッピーエンドとは言い難い結末にも関わらず後味は良く、爽やかな読後感に包まれました。変に病んだり、捻くれていないところが、この小説の良さでもあります。

心に残った言葉

言葉は往々にして、発言した方ではなく、受信した方の感受性に意味の全てがゆだねられている。

56ページ

「~小説じゃないんだから、私の発言に全て意味があると思ったら大間違いだよ。~」

70ページ

よく、帰るまでが遠足というけれど、家でいつもの食事をとるまでが遠足なのだということを知った。僕は、日常に戻った。

134ページ

物語の登場人物と、本当の人間とは違う。物語と現実は違う。現実は、物語ほど美しくもいさぎよくもない。

163ページ

もし、僕の本当の初恋の人みたいな女の子がまた現れたなら。
今度こそ、その子の膵臓を食べてもいいかも。

278ページ


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