器である身体への感謝

身体への慈しみのこころは

ありませんでした

そのころはどこかいつも

満たされず

ない。と

足りない何かを探していた

常にある状態ぢゃないと

満たされない

とても不安定でした

ひとつひとつわたしという意識だけでなく

わたしといういのちへの意識に繋がり

ひとつずつ

身体の声を聞いてあげる

手で触れる

身体を愛でることがはじまりました。

そこから生命の本質が

蘇ってきた感覚でした。

天地を繋ぐ存在であるわたしたち

器である肉体を大切に愛でることで
既にわたしたちは本来天地そのものであり
繋がっているのだから

繋がろうとするのではなく

いまここにある

足るを知る

意識をいかに
研ぎ澄ましていくかなのだろう

ただただ自然に還ること

修行の時に食など
全ての欲を断つことも
やっぱりそのものだし
理にかなっているなとかんじる

欲がいけないわけでなく
欲だって立派な生命エネルギーとなる

ただ根源がなんなのか

ないなのか

あるなのか

大きく変わってくるということ

意識ばかり働かせても
身体を大切にできなかったりすると
エネルギーが溜まりすぎちゃって
欲求不満になる

それもプロセスの一部なのだけれど

意識と肉体の統合は欠かせない

睡眠を大切にしたり
生活の質を大切にすること

心地よい機体になる為には
オイル交換したりするように




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