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noteを始めて1ヶ月

noteを始めて1ヶ月が経った。
そこで良かったこと、そうでなかったことなど所感をまとめてみる。

結論から書くと、私にとってプラスになることがたくさんあったため、noteを始めて良かったと思っている。

良かったこと

1 同じ悩みを抱えている人と繋がれた

私と同じように精神疾患やHSPなど、生きづらさを抱えていると繋がれたこと。
今まであまりそういう人達と関わる機会は無かったので、悩みを共有できることは貴重だし、良い刺激になっている。

2 反応があると嬉しい

やはり、自分の書いた記事に反応があると嬉しい。

まず、読んでくれるだけで嬉しい。
読んだ上でスキをもらえると、さらに嬉しい。
そしてコメントをもらえると、飛び上がるほど嬉しい。

コメントをもらえた時の私

一見平静を装ってコメントを返しているが、内心ウキウキである。

3 趣味の一つになった

書くことも読むことも概ね楽しんでできている。
スマホさえあれば手軽にできる趣味が一つ加わったことで、多少は人生が豊かになったのではないか。

電車の待ち時間など、ちょっとした時間にできるのもポイント。

4 自分の思考を整理できる

書くことで思考を整理できたり、すっきりできたりすることは往々にしてある。
頭の中だけでぐるぐる考えていると、憂鬱の沼に引き摺り込まれてしまう。

5 自分の思考を記録できる

私は昔の自分の記事を読み返すことが良くある。
そこで、「あの時はこう考えていたのか」と思うことがままある。

昔の考えを読み返すことは面白いし、大切なことだとも思う。


良くなかったこと

1 だらだら見続けてしまう

ツイ廃ならぬ、no廃とでも言えるだろうか。

鬱で動けないからと言うのもあるが、一日中noteを眺めてしまうような日もあった。
これがSNSの怖いところである。

2 反応がないと寂しい

良いことと悪いことは表裏一体だったりする。

例えば、フォローしている人の記事にコメントをしても無反応だった時。
悲しくなるし、寂しくなる。

あ、そうだよね自分のコメントなんかいらないよね。気持ち悪いよね。自分なんか生きてる価値ない。死んだ方が良い。早く死ななきゃ…。
酷い時はこんな感情になる。

もちろん、コメントを返すことは義務でも何でもない。
頭では分かっている。

しかし、今の私は拒絶されることに非常に弱いというメンヘラの鑑のような精神なのである。

当然コメント返しをしない=拒絶 ではないのだが、元々のネガティブさと強力な鬱の合わせ技により、そのような飛躍した思考になってしまうこともある。

3 闇に飲まれる

私がフォローしている人は、何かしらの疾患や生きづらさを抱えている人だ。

そのため、鬱々とした記事を読むことも多い。
そういった記事に共感しすぎると、気分が落ち込むことがある。

自爆も良いところなのだが…。
共感性が高すぎるHSPの悲しき定めである。

トラウマなど凄惨な出来事を読み、過敏に反応して気分が悪くなったり(そういう場合は最後まで読めないので、読むのを中断する)。

その辺は、自分まで辛くならないよう、うまく調節する必要がある。



こんなところだろうか。

自然と毎日記事を書いてきたが、今後も書きたいことや活力がある限り、投稿を続けるつもりだ。

今まで記事を読んでくれた方々。
スキやコメントで反応してくれた方々。
本当にありがとうございます。
私のエネルギーになっています。

稚拙な文章ではありますが、良ければまた見に来てください。
今後ともよろしくお願いいたします。

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