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感情を注視した生き方を模索するのが好き。たまに趣味関連

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最近の記事

腫れ物扱いをしない、でいいんじゃないか

昔から、人の微細な気持ちの動きは察知するのに、それを汲み取ったことを、どう言動で表現したらいいのか分からなかった。 私の視点から見た世界(自分も含む)は、好きな事物はまだしも”人”、に熱量を注ぐとなると問題が発生しがちだったり、嫌いな”人”になると、よりはっきりと衝突が起こるように見えた。 自分にとっても他人にとっても好ましい関係を持てるようにする、理想論ではあるが、そのためには一体何が必要なのか、を考えたのだが、 結論「腫れ物扱いをしない」という事が1番良いのでは、と

    • オリジナルX用プロフィール(主に女性向け)の製作について

      こんにちは。 勢いで作ったプロフィールシートを気に入ってしまったので、他の人のも作ろうかと思ってます。ざっくり作り方も記載しておくので、自分で作りたいよ〜って方は参考にしてみて下さい。 《作り方》 諸事情で文章のみ記載します。 使ったツールはiPhoneと画像加工アプリ「perfect Image 」とデジタルイラストツールのアイビスペイントの2つです 文字を入れやすかったのがアイビスだったので、画像加工アプリは使いやすいものを選んで下さい。 *STEP1:テンプ

      • つれづれと

        ※昔の考えメモを書き起こしました、何か刺さるフレーズがあれば嬉しいです 善意は難しく、人を傷つけやすいものだ だから、悪意と連帯感は、バランスをとるために人に信頼して授けたものなのではないか 不思議な事に目に付く善意はしょっちゅう無視されるけれど 良い人でも悪い人でも悪意は目にとまりやすいものだ 反抗期は人の心を考える猶予で その幅を工夫して共感する場を多く作るのが息場になるのだろう 正しさもまた能力と人の気持ちを鑑みて使う事が大切なのね ネットが脳と心に厳しいと

        • 自分の内面振り返りと、考察と

          ベースが割と真面目で、できない事をできるように頑張る、とか、他人の意見が不純だったり、真っ当じゃないと受け付けられない、とか、もともとは分かりやすく「正しい」ことに執着しやすい性質がありました。ここで言う正しさは、善意における行動や発言を指します。 生まれ持ったものなのかは分からなくて、まず大きく影響しているのは母からの「優しくあれ」という教育と、少なくとも幼稚園まではのびのび育てられいて、かつちゃんと受け入れられる実感があって、正しく優しい人達に囲まれてそれを信じていられ

        腫れ物扱いをしない、でいいんじゃないか

          生き方の解

          0. はじめに この文は、生き方の正解を知りたい、と思ったことがある人へ向けて書きます。まず、逃げになりますが、ぶっちゃけ正解が固定されているという考え自体が傲慢なものだと考えています。その上で、少なくとも自分は、正解を知りたいと思いながら生きてきて、誰かが共有してくれればなと思ったこともあり、"こういう風にすれば"という自分的な正解が見つかりつつある(終着点かもしれない)ので共有することにしました。また、以前のnoteアカウント(現在は削除しています)で同じ様なメモ書きを

          生き方の解

          夢と自分とウマ娘と

          夢と自分とウマ娘と

          少し前にまとめたやつ

          ※ここでいう援助は善意や共感 【主観・善意】 善意を持って動く→持続性が強い 善意による共感→宗教的意識 善意を向ける対象と同程度であれば同調を生むが、対象より強ければ強いほど、対象またはその周囲から攻撃されやすい→自分の欲と照らし合わせる事が必要(庇護欲、自己顕示欲等)、持続させるには周囲の援助が必要 【主観・悪意】 悪意を持って動く→持続性が弱い(たぶん強い人はメンタルも強め) 他人目線だと善意によって無視できず、悪意によって共感を生みだす→注目されやすくなる、連帯感

          少し前にまとめたやつ

          ちょっとしたメモ

          ・相容れないと喧嘩しているのは全くの別物 ・したいと思っても、ちょっと危ないかなと思う発言は最終的に自分を責めることになる ・本当の極悪人は、自分に害がおよぶことはしないから、誰のことも傷つけようとしないし、自分のことも傷つけようとしない。 ・可視化できない悪意を生み出すのが得意なのはあんまり良くないと思うけど ・非行 ダメだって分かってても  ・悪意は役に立つが、善意と願いは持ち得 ・どうしても人は支えたくなる存在に行きがちだけど、最終的には支えてもらえる存在を

          ちょっとしたメモ

          深夜に起きてダーッと書き連ねたもの

          善意と悪意の話 私は"感情"というものにすごく興味があって、自分の感情に結構重きをおいて生きてきました。もちろん他人の感情表現にも興味がある事はありますが、感情をそのものとして知れるのは自分の感情しか確かなものが無いという前提のもと生きていますし、それに今のところ変わりなく、もし、他人の感情を知ることができているというのであればそれは自分の感情を元にした経験からの推測によるもの、もとい憶測や決めつけから来ているものだと思っています。 あくまで私の場合なのですが、生まれて自我

          深夜に起きてダーッと書き連ねたもの