腫れ物扱いをしない、でいいんじゃないか

昔から、人の微細な気持ちの動きは察知するのに、それを汲み取ったことを、どう言動で表現したらいいのか分からなかった。

私の視点から見た世界(自分も含む)は、好きな事物はまだしも”人”、に熱量を注ぐとなると問題が発生しがちだったり、嫌いな”人”になると、よりはっきりと衝突が起こるように見えた。

自分にとっても他人にとっても好ましい関係を持てるようにする、理想論ではあるが、そのためには一体何が必要なのか、を考えたのだが、

結論「腫れ物扱いをしない」という事が1番良いのでは、という所に落ち着いた。

まず、「好きな」人に接する場合でも、「嫌いな」人に接する場合でも、同等に腫れ物扱いする可能性は孕んでいるように感じている。

根拠としては、まず、好きな人に対する場合には「特別視」というフィルターがそれに当たるだろう。好きだから、他のどうでもいい事とは違って、自分なりの特別扱いをする。それの極端な例が自覚のないセクハラや、ストーカー行為に該当するように思える。

だから、私は素のまま自分の好意を人に対して表現する事自体を、あまり好ましい物だと思っていない。素直さが良いと褒められる事もあったが、果たしてそれが本当に良い事なのだろうかと素直に受け止めていない節もある。

そして嫌いな人に対する場合は、分かりやすく腫れ物扱いするだろう。距離を置いたり、悪態をついてみたり。当たり前だが、衝突の原因になりうる行為なので、誰だって避けたい思いはあるはずなのだろうが、如何せん上記の「好きな人」に対しての「特別扱い」がそうはさせてくれない。

これを踏まえて、自分が良好な関係を築きたいなと思った相手には、どう接すれば良いのか?と考えた時に、「好きな人に対する特別視」を含めた「腫れ物扱い」をしない事が第1に取るべき態度だと結論づいた。

社会で生きていく上で、人とのコミュニケーションは必ず取らざるを得ない物である。取っている感覚が無かったとしても、取ることを拒否したいと思ったとしても。

その前提に適応する方法として、1つ答えが見つかった気がしたので、共有した次第です。

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