つれづれと

※昔の考えメモを書き起こしました、何か刺さるフレーズがあれば嬉しいです

善意は難しく、人を傷つけやすいものだ
だから、悪意と連帯感は、バランスをとるために人に信頼して授けたものなのではないか

不思議な事に目に付く善意はしょっちゅう無視されるけれど
良い人でも悪い人でも悪意は目にとまりやすいものだ

反抗期は人の心を考える猶予で

その幅を工夫して共感する場を多く作るのが息場になるのだろう

正しさもまた能力と人の気持ちを鑑みて使う事が大切なのね

ネットが脳と心に厳しいところなら
現実は体と心に厳しいところな気がする

態度・雰囲気・言葉が基本的に印象を決める
どういう動きか、どういう振る舞いかとか
動かないことも含めて

どういう人柄で、どういう結果の持ち主で
今こうやって口に出している言葉さえも

例えば分かりやすい軽快な暴言は
シチュエーションによってはコミュニケーションにもなり得るけれど

正しさが存在した上で抵抗したものなのか

正しさと正義は別物なのか

それは返ってくるものだと思うし、その覚悟があって言葉を扱っているものだと思うから

言い訳せずに大事にできている

あとは言葉で説明しないと分からない人もいる

問題が大事になるパターンとして

◯寄っていないことによるのか→調和もしくは連帯感が犠牲の発生源だとしたら、そうではないとしたら
調和・人との可能性
補い合う、サポートされる事で相手のサポートも自然とできるようになるような

◯過剰さか→(場として自然発生時or戦時…それはそれで怖いというか、全員がそうなったら(それは何か強大な力の支配下に置かれている時))危惧は争いの激化・不可終止・甘え

ただ人生のうちに"分かるよ"と言ってもらえる瞬間があれば良いなと思ったから

他人のことを試してきたし、自分のことも試してきた_あまり良く無い

正しい事を信じれない_それは少し寂しいような気もするから

⭐︎子供心を忘れない事だと思う

死に際の子供の筆跡は
善意を求めた子は大きく散らばっている
→悪意のある場所から一度隔離すること、頑張りを認めること、不満を持っていそうなら、気持ちの意味を伝えること

悪意を持っている子は縦に強く切長になっている→とにかく居場所、その子にとって窮屈さの無い楽しいところへ、その気持ちはあなたのものだけれど、同じように窮屈さの存在する場所でも、孤独さがありながらも一緒にいるものだと伝えてみること

自分の心を量りながら、そばか近くにか、できれば視界に入ったら

⭐︎居心地の良さ

好かれたいと思うことと、
好かれるように振る舞うこと、
合わせようとすること

瞬間、瞬間の積み重ね

どうせなら
人を魅了するサンタクロースのような

騒がしい場

嫌じゃない、ただ自分のやることでいっぱいで、余裕のある時にしか行こうと思わないけれど

忘れないとやってられない、というか前向きになれない
ただ一度変える(避けすぎた?)ところから
自分も許せるところまでに

幸せは

瞬間のきらめきと達成感

ただ正義の方向であれ
悪意の方向であれ
あなたは正しいことをしていますか?と
死ぬまで自分に問える
そしてそれに死ぬまで嫌気のさす
人間でありたい


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