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療養中の日々の中で…

みなさんこんにちは!rumiです🌹

今回はタイトルの通り、療養中の過ごし方であったり、いろいろと気づいたことを書いていきたいと思います。

療養を始めてからかれこれ1年と2ヶ月が経ちました。

その間、精神的にものすごくいろいろなことがありました。これから詳しく書いていきます。

結論から言うと、この療養の時間は私の人生において大事な時間であったということです。

療養を始めたばかりの頃(2020年2月)、私の心は荒みきってました。人を信じられないし、誰とも関わりたくない。今まで興味があったこともどうでもよくなったし、生きてる意味もわからない。なんで私がこんな目に合わなきゃいけないんだろう、とばかり考えていました。ほぼ毎日パニック障害の発作も出ていて、死にたいくらいしんどくてしんどくてたまりませんでした。世界の全てがモノクロになったような感覚でした(リアルにこんなことあるんだ)。広場恐怖症で人混みに行くとひどく疲れて立っていられなくなり、ちょっとした物音が耳障りで外に出るのも苦痛で仕方ありませんでした。今まで平気だったことが、当たり前にできていたことができなくなっている。そう気づいてショックを受けました。自分の知っている自分じゃなくなっていく感覚がしました。この頃は以前から家族全員お世話になっていて信頼できる小児科の先生の元で受診と月に2回心理カウンセリングを受けていました。まず、心理士の方からカウンセリングのゴールをどうするか聞かれ、私は「どうしてこのような状況になってしまったのか、何が嫌だったのか知りたい」と言いました。前に進むために必要なことだと思ったからです。当時私は1ヶ月で復職する予定でいましたが、なかなか体調が回復せず、休職期間を3ヶ月に延長しました。延長したものの、休職期間延長をするにあたって諸々の手続きや引き継ぎがあったり、ついつい仕事のことを考えてしまって、その度に呼吸困難になっていました。他にも会社の先輩たちからどう思われているか気になって、そのたびに憂鬱な気分になっていました。大阪に社宅を借りたままにしていたので、風通しのために定期的に行っていたのですが、6月に大阪に行った時は最悪でした。大阪に着き、関西弁が聞こえてきた瞬間過呼吸になり、パニック発作を起こしました。それまでは、少し落ち着いてきていた症状がまたぶり返し、いや、むしろ悪化してしまいました。

また塞ぎ込んでしまい、7月に入ってからは生きてる意味がわからなくなり、どうやったら楽に死ねるのか、ずっと調べていました。ちょうどこれくらいの時期から自分の好きな芸能人や知っている芸能人が自殺をしていたので、完全に影響を受けていたと思います。この頃は本当に毎日がしんどかった。つらかった。一番身近な家族の誰にも相談できるわけでもなく、一人で抱え込んで、苦しんで、過呼吸起こして。負のループでした。勇気を出して主治医の先生に相談して、話を聞いてもらって、心理士さんにもカウンセリングをしっかりとしてもらい、3ヶ月ほどかかったものの、死にたいと思うことは段々となくなっていきました。

「毎週何かひとつでもいいからやってみたいと思うことを決めて行動すること」。主治医の先生と決めたことです。少しずつ外の世界と触れて自立していくためです。この頃、また休職期間を2021年の6月末まで延期して、復帰に向けて焦らないように決めました。焦ったって何もいいことはないのだから。たとえば、週に1回はひとりで公共交通機関を利用して、映画を見に行ってみること。今までなら何気なくできていたこともできなくなっていた当時は、これがまた大変なことでした。まず、公共交通機関。不特定多数の人が乗っているし、狭い箱の中に閉じ込められているように感じてしんどかったです。次に駅ビル。照明が明るすぎること、人が多くて雑音だらけなことがきつかったです。そこで、明るすぎる照明対策にはサングラスを、雑音対策にはノイズキャンセリング機能付きのイヤホンを。休職中の身にとってはちょっぴり痛い出費でしたが、背に腹は代えられないと言い聞かせ購入し、使っています。使い始めてからは、だいぶ楽になり、当初はサングラスとイヤホンをセットで使っていないとダメでしたが、今では使わなくても普通に行動できるようになりました。(すごい成長!)(自分で自分を褒めていくスタイル)

2020年の年末には学生時代に行っていた餅屋さんの短期バイトにも行ってみました。働くことに対してアレルギー反応を起こさないか、自分に自信をつけるために、勝手がわかっている場所で5日間のバイトをしてみることにしました。幸いにも学生時代に一緒にバイトをしたことがある先輩もいて、さらに他のバイトの子たちもいい子たちばかりで現役の大学生に混じり、肉体労働なのできついところもあったものの、毎日楽しく働くことができ、無事に5日間完走することができました。年末の餅屋の朝は早く、お昼には栄養満点の賄いも食べることができ、健康的に過ごすことができる上に、お給料までもらえるという最高なバイトでした。

年が明けて2021年。母からバレンタインの短期バイトの募集が出るはずだから応募してみたら?といわれ、新年早々求人を見つけて応募し、無事に採用され、本来ならば2月1日から勤務開始でしたが、1月20日から研修も兼ねてバイトすることになりました。教育体制もしっかりとした職場で、「できないことはさせないから、遠慮せず言って。」「わからないことがあれば何でも聞いて。」と言ってくれるサバサバした店長のもとで働くことになり、バイトの人の適性を見て、接客をさせるのか、レジをさせるのか、補充等の裏方作業をさせるのか、常設店舗担当かスポット担当かを見極めてくれていました。バレンタイン期間はスポットで接客、レジ、補充全部を任せられ、他のチョコレート店と如何に差別化して売るのかを日々考え、本来ならイチバイトに過ぎないので毎日のノルマは関係ないはずですが、店長に任せられ、毎日ノルマ以上の売り上げをたたき出し、大変ながらも充実した日々を送っていました。店長からも他の社員さんからも重宝がられているのが嬉しくて、どんどん自信を取り戻していきました。また、バイト期間を延長してくれないかとお願いされ、3月20日まで結局まるまる2か月間働きました。立ちっぱなしでの繁忙期のお仕事は、途中目が回るかと思ったり、軽い過呼吸になりかけましたが、自分でどのようにアプローチすればお客さんに届くのか、お客さんのニーズに応えることができるのか考えながらの仕事はとっても楽しかったです。無駄に時給が高い方ではなく、教育体制もしっかりしている某高級チョコレート店を選んでよかったです。

働くということにアレルギー反応がなくなった私は、精神状態もかなり落ち着き、営業からマーケティングへポジションは変わるものの7月から復職することになりました。実家からのリモートワークという条件付きではあるものの、ここまでこれたこと、ここに至るまで私に関わって支えてくれたたくさんの人たちに感謝の気持ちでいっぱいです。

そんな私は今月からコロナウイルスのワクチンの集団接種会場で毎週日曜日接種補助のバイトを始めました。少しでも業界へのブランクを埋めておきたいのと、社会貢献のため毎週9時間労働を頑張っています!(立ちっぱなしだから脚はパンパンにむくむし、単純作業でつまらないけど(笑))あと、ストレス発散のためにジムにも通い始め、心身ともに健康になろうと運動嫌いながらも日々奮闘中です(笑)

かなりの長文になってしまいましたが、休職することに対して焦りやうしろめたさを感じていた当時の私に教えてあげたい。休職したからこそ得られたこともたくさんあるし、自分のペースで社会人をやっていけばいいんだよって。人は人、自分は自分。誰かと比べるのではなく、自分らしさを大事にして社会復帰していきたいと思います。


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