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痔除伝 第九章 怒りの金曜日

入院の1週間前から、実際にテレワークへの移行が始まり、自宅に職場のPCを設置する。

緊急事態宣言により、通勤電車に乗らなくて良い、人と会わなくて良い、ということも公に推奨された。

人前に出なくて良いということは、その気になれば、着替えなくてもいいどころか、髪をセットする必要もない。

仕事中に暑いと思ったら、こっそり放り出したままのおキャンタマちゃんに、氷嚢を当てることだってできる。


私は塩を集めては再び海に還してあげるというような仕事をしているのだけれど、4、5月頃の自粛期間最初期は実質ほぼ待機時間と言ってよかった。ほとんど失神してても賃金がもらえるような状態。在宅ワーク様様である。

しかし、在宅ワークというものは人によってデメリットもある。例えば、

・本当に人と会わず、喋ることがない為、社会から隔離されたような気持ちになること

私は1人が好きであると胸を張って言えるが、意外と顔を合わせて行う情報のインプットやアウトプットというものは精神衛生上で大事な部分であり、それによってストレスの発散をしている部分もあるのだなぁと感じた。

顔が見えない文字だけのやりとりだけでは、普段はあまり感じない人間関係のストレスも覚えるようになった。


・圧倒的な運動不足

趣味でウェイトトレーニングをしているのだけれど、一部のジムでコロナのクラスターが発生したこともあり、三密に該当するとのことから、通っているジムが休館となった。

ウェイトトレーニングの魅力は、肉体改造もさることながら、「普段使わないような大きな力を全力で使う」という点もある。

カラオケで大声を出すと気持ちいい、ということに似ており、ストレス解消の一つになっていた。

元々散歩やウォーキングも好きだったのだが、ウェイトトレーニングを始めてからは、やはり運動強度が足りないと感じてしまう。

そこへきて在宅ワークとなると、通勤をすることすらもなくなり、とにかく運動不足で肉体的欲求不満が爆発しそうだった。犬の気持ちが少しわかった。


・自宅に職場で使うPCがある

これが一番のストレス。「ギリギリ社会生活はするタイプの引きこもり」を自称する私にとって、自宅とはまさに聖域。英語で言うと、サンクチュアリである。家とは、自らの神と向き合うための心の神殿と言って差し支えない。

多くの人にとって考えられないことかもしれないが、私は今の賃貸に、10年以上住んでる。両親の離婚などにより高校卒業までにも何度か引っ越しを繰り返した私にとって、人生で一番長く住んでいるのが、今の賃貸なのだ。もう、巣、である。大家の気持ちが知りたい。

私にとって常に重要なことは「慣れ」であり、忌むべきものは「変化」なのである。

そんなサンクチュアリに、職場の、さらにデスクトップPCを設置することになった。

今、自宅の作業台に、自分のものと合わせてデスクトップタイプのPCが2台もある。しかもスペースがない為左右にではなく、前後に、である。これは密です。


話を戻す。職場のPCが常に目に入る環境というのは、とにかく気が休まらない。職場のPCを見るだけで、業務のことを思い出す。職場の人の顔も思い出す。

家というのは、それではいけないのだ。「自宅でも仕事でも使う端末」ではなく、「100%仕事でしか使わない、本来職場にしかない端末」が常に目に入るところにある、というところがストレスのポイントである。


まぁ、せいぜい5月半ば頃までの辛抱だろう。入院もあるし、その中の1週間を自宅以外の病室で過ごせるというのも、ある意味運が良かった。入院の日まで深く考えず、だらしなく過ごそうと思っていた。

しかし、コロナに関する情報は日々悪化の一途を辿っていく。私の考えは、桃缶のシロップよりも甘く、アコギなことで視聴数を稼ごうとするYouTuberの考えよりも甘かったようだ。


入院3日前の金曜日。18時すぎ。スマートフォンの着信が鳴った。見慣れない電話番号だった。

見慣れない番号からの着信は、すべて無視することに決めており、基本的に、着信の後で電話番号を検索して心当たりのあるものにだけ折り返すようにしている。

どこから情報が抜かれているのか知らないが、明らかに縁のない土地の市外局番からの着信があったり、つい先日はモロッコからの海外着信もあった。モロッコについて知ってることなんて、カルーセル麻紀がおちんちんを落っことしてきた場所、くらいしかしらない。


その番号は、03から始まっていた。この時間、このタイミングの電話。悪い予感はしたが、出なくてはいけない電話だと思った。

「お忙しいところすみません、(手術をする病院名)の(執刀医)ですが、お手紙届きましたか?」

予想通り、病院からだった。

「手紙、ですか。すみません、届いてないかもしれません」

もしかしたら届いているかもしれないが、郵便受けなど、よっぽど興が乗ったときしか開けない。

郵便受けのなかに、良い知らせが入っている可能性はゼロだ。郵便受けに入っているものなど、チラシと請求書、そのほかには恐怖新聞くらいである。

チラシの類はすぐに捨てるが、数年前に届いた年賀状が未だに郵便受けに入っていたりする。不思議。

「やっぱりまだ届いてないか。実はですね」

なるほど、やめてくれ。なんとなく声のトーンでわかった。そこから先は言わないでくれ。

「コロナ感染拡大の影響で、不要不急の手術は延期することに決まりまして……」


その言葉を聞いた途端、空が割れ、大地が裂け、そこら中に稲妻が落ちた。街は人面犬で溢れかえり、小島瑠璃子が「筋トレの意味がわからない」とインスタに投稿して炎上した。私は、ショックで顔のパーツが中央に寄った。

クソ!!どうせ、そんなこったろうと思ったよ!!バカめ!!電話なんか無視して、そのまま行ってしまえば良かった。

しかし、ここでごねても仕方がない。もう、そうなってしまったものは、どうしようもないのだ。実際、延期の判断が間違いだとは思わない。けど、もっと早くに決断できなかったかね!?

大人しく、仕方がないと返事をしたところ、代替日について打診される。

「また延期になる可能性もありますが、6月1日ではどうですか?」

難しい日付である。約1ヶ月後にこの事態は収束しているのだろうか。それに、有給の調整の事もある。日程に関しては確認して連絡すると告げ、急いで上司に連絡。手術が延期になったことを報告し、休暇の撤回ができないか相談する。

上司は大層驚いた様子を見せたが、そりゃそうだろ、と思ってるだろうことも透けて見えた。結論から言うと、休暇の撤回はノーだった。

そもそも、タイミングが良いのか悪いのか、自粛期間中は必要な業務もほぼなく、そこに不要な人員をねじ込むわけにはいかない、とのことだった。至極真っ当な意見である。反論の余地もない。

こうして、見事なまでに良くないタイミングが重なって、手術もせず、家からも出れず、買い物にもいけず、筋トレもできず、仕事もせず、何の予定もない1週間が始まった。私の人生から切り取られた、最も無駄な1週間の始まりである。


しかし、考えようによっては、これは天から与えられたチャンスなのかもしれない。外への誘惑もなく、自分と向き合うだけの、何もできない1週間。今まで時間がなくてできなかったことや、スキルアップの為に充てることができる。

成長の時は、今である。時間は、溢れている。体力も、有り余っている。私はこの1週間を無駄なく、有意義に使い切る事に決めた。


まず、何から手をつけようか悩む。まったく新しいことを始めるよりも、半端になっているものから終わらせようと、方向性を決めた。

そして、私はこの期間中、やろうと思ったまま放置していたゲームを4本終わらせ、すでに何回も読みかえして、台詞すら覚えている漫画を再読することで、見事にきっちり1週間を使い切ったのであった。


つづく

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