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ユヴァル・ノア・ハラリ著|サピエンス全史(後編)

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今回は昨日に引き続き、河出書房新社さんから2016年9月30日に出版された、ユヴァル・ノア・ハラリさんの『サピエンス全史』の後編を解説したいと思います。

本題に入る前に少しお知らせをさせてください。

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それでは本題です。

さて昨日の前編では、私たちホモ・サピエンスは、他の人類種に比べて、筋肉も認知機能も劣っていたのにもかかわらず、他の人類種を滅ぼし、人類の頂点に立ち、文明を築けたのはなぜか。

その鍵は「虚構」つまり、フィクションや嘘にあるというお話でした。

その上で、なぜ「虚構」が私たちホモ・サピエンスの武器になったのか。

それは「虚構」によって、共通の神話を信じることができ、膨大な数の、見知らぬ人同士でも、協力関係を築くことができたと言うお話でした。

今回の後編では、そこから時代は進み、「農業革命」と「科学革命」のお話をしたいと思います。

農業革命

人類と言うのは250万年にもわたって、狩猟採集民として、植物をとり、動物を飼って食料としてきたんです。

ですが、1万年ほど前から全てが一変したんです。

それは、種を撒き、作物に水をやって、雑草を抜いて、青々とした草原に羊を連れて行ったりと、いくつかの動物や植物の生命を操作することに、私たちホモ・サピエンスがは、ほぼ全ての時間と労力を傾け始めたんです。

これが、私たち人間の暮らしにおける革命。

「農業革命」だったんです。

私たちホモ・サピエンスは羊を飼い馴らし、小麦を栽培することができるようになっていったんです。

そうやって、体に負担の大きい、危険な狩猟採集民の生活を捨てて、ひとつのところに腰を落ち着け、農耕民の愉快で満ち足りた暮らしを、楽しんでいくはずだったんです。

ですが、農業革命は、安全に楽しく暮らせる新しい時代の到来を告げるには、程遠かったんです。

農耕民は、狩猟採集明よりも、困難で満足度の低い生活を余儀なくされてしまうんです。

それは、人類は農業革命によって、たしかに手に入る食料の総量というものは増えたんですが、食料の増加はより良い食生活や、より長い余暇には結びつく事はなく、むしろ人口を爆発させたのと、飽食のエリート層の誕生につながってしまったんです。

さらに私たちホモ・サピエンスの体は、農作業のために進化していなかったの、古代の骨格を調べると、農耕へ移行したことで、椎間板ヘルニアや関節炎といった、じつに多くの疾患がもたらされていたことが、判明してるんです。

そういった農耕のストレスと言うのは、広い範囲で影響を及ぼしたんです。

農耕民の暮らしというのは、狩猟採集民の暮らしよりも安定していると思われていたんですが、そうはならなかったんです。

狩猟採集民は、何十もの動植物に頼って生きているので、たとえ保存食品の蓄えがなかったとしても、生き延びることができたんです。

要するに、1つの食料が手に入りにくくなったとしても、他の動植物を多く狩って生き延びることができたんです。

一方で農耕民というのは、わずかな種類の品種に頼って生きていたんです。

小麦やじゃがいも、米などといったものだけに頼っていたんです。

さらに初期の頃の農耕民と言うのは、狩猟採集民以上とは言わないまでも、彼らに劣らず暴力的だったんです。

狩猟採集民に比べて、農耕民の方が食物を育てる土地や、放牧に適した土地というのを必要としていたんです。

だから他の集団を襲ってでも、土地を奪おうとするんですが、襲われた方は、狩猟採集民であれば、圧倒的に自分たちより強力な集団に襲われたなら、違う土地へ移動することができたんですが、農耕民は避難すれば畑も家も全て明け渡すことになるため、その場に踏みとどまって戦い続けるしかなかったんです。

そうやって至るところで支配者やエリート層が台頭して、勤勉に働く農耕民の余剰食料によって暮らしていたんです。

彼らの生み出した余剰食料を王様や政府の役人、兵士などの少数のエリート層が食べて生活をしていたんです。

農業革命によって、都市や帝国を築き、人々は偉大なる神々にまつわる物語を創作し、社会的なつながりを作っていったんです。

そうした人類の想像力のおかげで、地球上ではかつて見られなかったほどの、大規模な驚くべきネットワークが構築されていったんです。

それらを維持していた社会規範と言うのは、人々に共有された神話を信じる気持ちに基づいていたんです。

農業革命以降、人間の社会と言うのは、しだいに大きくなって、神話と虚構のおかげで、ほとんどの人間が生まれた時から、その神話や虚構にそった、特定の方法で物事を考え、特定の標準に従って行動し、特定のものを望み、特定の規則を守ることを習慣付けられたんです。

そうやって人々は、人工的な本能を生み出して、そのおかげで膨大な数の見ず知らずの人同士が効果的に協力できるようになったんです。

そんな人類が生み出した、最高にして最大の虚構であり、史上最強の征服者が「貨幣」なんです。

もともと人類は物々交換という方法を使って、外部とのやりとりをしていたんですが、物々交換には双方が望むものを提供しなければいけないというデメリットがあったんです。

そこで創り出されたのが「貨幣」なんです。

貨幣と言うのは、多くの場所で何度も形を変えて、生み出されたんですが、技術的な面に関して言えば、飛躍的な発展と言うのは必要としていなかったんです。

それは人々が共有する想像の中にだけ、価値と言うものが存在していればよかったからなんです。

要するに貨幣というのは、品物やサービスを交換する目的で、人々が進んで使うのであれば、それは何であれ貨幣になるんです。

貝殻であれドルであれ、私たちが共有する想像の中でしか貨幣と言うのは価値を持っていないんです。

その価値と言うのは、色や形には備わっていないんです。

つまり貨幣と言うのは、物質的現実ではなくて、心理的概念と言うことです。

私たち人類が発明したものの中で、貨幣と言うのは最も普遍的で最も効率的な相互信頼の制度なんです。

そうやって人類はどんどん発展していき、ついに科学と言うものに出会うんです。

科学革命

はっきりさせておかなければいけないのは、「科学革命」というのは、人類の知識の革命ではなかったと言うことです。

知識の革命ではなく、無知の革命だったんです。

科学革命はそれまで、宗教や神話といった偉大なる1人の存在によって全て解決できると信じてきたことを、それだけでは説明のつかないことがあまりにも多すぎるということを、人類が知らしめたんです。

科学革命のおかげで、技術や経済と言うのは指数関数的な成長を遂げ、私たち人類はかつてないほどの豊かさを享受しているんです。

科学と産業のおかげで、人類は無限のエネルギーを手に入れたんです。

ですが、私たちは以前よりも幸せになったんでしょうか。

私たち人類が必要な動植物は、家畜や栽培によって増えていく一方で、必要のないものはどんどん絶滅していっている。

そんな世の中が果たして本当に幸せだと言えるのでしょうか。

科学が発展し、今では世界中の研究室で科学者たちが、遺伝子工学を使って生き物を操作してる世の中です。

だからこそ著者は私たちに問うんです。

本当に幸せになったのでしょうかと。

そして私たち人間は今後どんな世界へ向かっていくのかと。

私たちはこういった問題にもっと真摯に向き合い考える必要があるのかもしれません。

今回は以上です

最後まで読んでいただき、ありがとうございます

それでは素敵な1日を

読書家のヒデでした

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