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トラックに轢かれても異世界転生なんか出来ないし、そもそも異世界ものはNot for meな件

 なんやかんや事故から一年生き長らえた。

 経過観察の通院は4月に終わった。担当の女医から「まだ若いのもあるが早くて奇跡的な回復」と言われた。自慢できることではない。本当に奇跡的に運が良かっただけだ。保険屋とのやり取りもそろそろ終わる。自分の不備と怠慢がなければもっと早く終わったが。ちゃんとしろよ、自分。生き長らえたんだから。
 死にかけて心持ちを入れ替えて真面目に生きるようになるかと最初は思ったが、むしろ次いつ死にかけるかわからないという観念に囚われて以前より責任や役割を負いたくないという気持ちが強まったような気がする。まあ、なんとか生きてはいるが。

 事故直後から「異世界転生し損なったわ~」「トラックに轢かれて異世界転生なんか出来ると思うな!! ソースは自分」的なブラックジョークな自虐ネタを軽口で叩いていた。ウケるかどうかは大体半々くらい。この前久しぶりに会った弟にかましたら苦笑いしてノーコメントだった。そりゃそうだ、自重しろ。

 ネタにするくせに、私は異世界ものをほぼ読まないし、観ないし、知らない。異世界転生というジャンルなら通して観たのは『異世界おじさん』『ドリフターズ』くらいしかない。前者はジャンルとしてお約束やステレオタイプが確立していることによる裏切りのギャグだし。後者は異世界というより平野耕太なりのFGOだし、連載開始は異世界系が流行るよりも同時期か前だし。あと『本田鹿の子の本棚』がオムニバスギャグとしてちょくちょくネタにする。自分は異世界ものをちゃんと知らないのに概念としてパロディがわかる程度には認知、浸透している。

 転生はしないが『ダンジョン飯』は好きだ。フィクションの産物を現実的に考えたらどうやったら世界観の整合性が取れるのかは面白い。連載以前の作者の読切から続く作風だ。来年のアニメは勿論チェックする。

 しかし今現在のサブカルを席巻しているタイプの異世界を扱ったラノベやアニメというのは中高大でハマらなかったのもあるし、それ以後も食指が動かない。そしてどうもそれが事故の後でより興味を持てなくなってしまったと思う。

 死は平等にある。尊い死や悲劇的な死は感情としてはあるが、肉体が死ぬこと自体に正しいも間違いもなく現実としてあるだけ。もう随分昔に若くして持病で亡くなった友人にも。去年自ら命を絶った後輩にも。

 私にはどうしても、人命を救おうとしてトラックに轢かれて事故死したとか、仕事で不遇な扱いをされ続けて過労死したとか、通り魔に殺されたとか、それらの死が選ばれた者だからとか間違っていたからと神か何かが言ってご都合主義から始まるフォーマット、システムが受け入れられないのだ。そんな物語の導入は『幽遊白書』くらいで十分だ。
 異世界ものが流行るのは現実逃避現代の極楽浄土信仰の延長なんてたまに聞くが、そこへ来ると私はフィクションにそういうことを求めてはいない。Not for meなのである。死後の世界も実際に死ぬまでそこまで信じてはいない。担架の上で臨死体験もしなかったし、三途の川も天国の門も見ていないし。

 一年前、事故直後で脾臓を破裂しかけて、これで死んだらそれが自分の寿命だと腹を括った自分だが、病床で回復してくると家族や仕事や病院や警察や事故現場に遭遇した通りすがりの人に迷惑を掛けているという現実に向き合わなくてはならなくなるし、何より、事故の相手方、トラックの運転手のことを考えると死ぬに死ねなくなってくる。過失割合が0:10ならまだしも、こちらにも相応の過失があって、それなのに勝手に死なれたらその人に色々背負わせることになる。転生するためのトラックという舞台装置はあまりにも安直で身勝手で無責任に思えてしまう。事故の怪我の痛みに耐えながらそんなことを身を以て感じていた。
 ラノベにハマらなかったのはセカイ系も自分の肌に合わなかったのもある。物語の近景中景遠景の内、世の中や社会の殆どの人がいる中景をガン無視して自分の身の周りの近景と世界の危機という遠景を直結させることに不合理さを感じてしまう。教室にいるクラスメートにも、電車に乗り合わせた乗客にも、街のスクランブル交差点を行き交う人達にも、なんで今そこにいるのかそれぞれの因果やバックグラウンドがあって、一人一人に両親や尊敬する人や嫌いな奴や初恋の相手がいて… そんな数多いる人を考えなしにいないものか都合のいい舞台装置としてだけに扱うことが私は嫌なのだ。
 主人公の腹にナイフを刺しにくるような通り魔、今じゃ無敵の人やジョーカーと十把一絡げに揶揄されるような人間だって、罪は裁かれるべきだが、それぞれに人生や背景がある。去年、元首相を襲った歴史的事件の犯罪者だって、蓋を開ければその凶行に至るまでの境遇があって、同情の声さえ上がってしまっている。
 ライトノベルは軽いのだ。名実共に、色んなことが。

 NHKが異世界ものを特集する番組をやっていた。

 二時間半の枠で『転生したらスライムだった件』『無職転生』『盾の勇者の成り上がり』の第一話放送、『盾の勇者』は一時間枠なので二時間弱がアニメそのままの内容で、後はゲストやらのトークなのだが、話を聞いてもどうも魅力が自分にはわからない。原作者の座談会も人生の経験や欲望や挫折が執筆に活かされていると言うが、一般的な創作論で異世界ものに限ったことではない。なんで流行っているのかも詳細で具体的な理由や分析を提示しない。多分深掘りしたら掘った分だけ読者や社会に対してネガティブなことを言わざるを得るなくなると思う。

 番組でも軽く触れてはいたが、自分が思うところのなんで異世界が流行るかはであるからに尽きると思う。読者視点でも作者視点でも。トールキンD&DウィザードリィドラクエFFによって地盤を固めて舗装された魔法やらモンスターのざっくりとしたファンタジー的、ゲーム的な設定、概念をそのまま流用して、決められたご都合主義でストレスなく、あるいは最初はストレスだがその後スカッと系の展開に移行するか。楽に楽しめるからなんだろう。

 Not for meなだけで別に人が楽しんでいることにとやかく言わないし言うべきではない。でも書店のラノベ・マンガコーナーには幾多の異世界が描かれた本が並んで、若い世代だけでなく30,40代も現代の教養的に嗜むご都合主義とゲーム的テンプレフォーマットで舗装された極楽浄土への道はどこに向かうのか。私には色々わからない。

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