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入院と『変身』

 とりあえず今は事故から退院しているが色々一悶着があった。主に原因は私で。

 事故直後は深刻な状況だったが、それ以降は回復し続け、事故翌日には一人で立って尿瓶に用を足せていたし、消化器系は幸いにも正常に作用していたのにも関わらず、一週間近く点滴だけで絶食したのがむしろ苦痛だった。意識ははっきりしていたので日中スマホを弄って暇を潰し続けていたし、ソシャゲのログインボーナスも欠かさず受けていた。それでも摘出するか否か言われていた脾臓の損傷が心配され経過観察のために入院はせざるを得なかった。

 で、そうなってくると身体よりも精神に負担が大きくなる。
 外せない点滴の管、心電図の線が寝て起きるだけ体に絡まってきて煩わしい。救急の患者病棟ではベッドから起き上がるだけでセンサーで自動でナースコールが鳴ってしまい不自由。何の誤作動か点滴の機械は昼夜問わず何かしら急に鳴り響く。窓のない天気も立地もわからない一人部屋。換気されていても抜けない病室特有の匂いと空気感。大部屋に移ると外は見えるようになるがビルしか見えないし、他の患者の生活音や冷房の温度がストレスを与えてくる。やっと口で食べるのを許可されたと思ったら塩分や脂質が少ないのはともかくとして噛み応えのない病院食。
 元来、小学生の頃の経験から入院生活そのものが病気や怪我よりも嫌、苦痛以外何物でもない。

 それに加え、親が自分の棚から持ってきた暇潰しの本の一冊が川島隆の新訳によるカフカ『変身』だったのがよくなかった。ざっと目を通していただけで積読していたが精読すると刺さる、刺さる。個人的シンクロニシティだが、同時期に伊集院光が新訳が書き下ろされるきっかけになった『100分de名著』のエピソードを千原ジュニアとの対談で話していた。

 冒頭の「虫けら」という訳は本当名訳だと思う。それまでは「虫」「毒虫」がメジャーだったが、原語では「Ungeziefer」=「害虫」「害獣」=「(宗教的に)不浄」「供物にならない」=「役に立たない」で凄く意味が通る。不条理文学として扱われながら、精神的に追い詰められて居場所を失いつつある人間の比喩としてのディテールを随所に高めて訳されている。
 そんなのを改めて真面目に読んでしまうと、まあ気持ちが落ちていく。既に家族、仕事、事故相手、警察、病院に多大な迷惑と心配を掛けてしまっているし現在進行形。ある程度体は動かすことができて、やるべきことが溜まっているのに、病院ではできることがないので後回しにせざるを得ない。自分と外界を繋ぐものは小さい窓のようなスマホしかない。こうしている間に入院費は嵩むだけだし、事故処理の手続きも進められない。これが隔離されなければならない症状ならまだ納得できるが、逼迫がどうこうと昨今言われている病床を無駄に埋めているだけ。
「ああ、自分は虫けらだ、役に立たない存在なんだ」、そんな観念に憑り付かれる。ひたすらにツラい。メンタルをやられる。
 睡眠導入剤を処方されてもよく眠れないしうなされる。神経が過敏になり音や匂いが耐えられなくなる。気分転換の外出も散歩もできない。ニュースやTwitterのタイムラインで「涼しくなってきた」「秋が近付いて来た」と目に入っても体感できない。何もできないまま季節が移ろい去って行く。

 精神を削られるのが限界だと思ったので半ば強引に医者に許しを得て、2週間と言われていた入院を早めて自主退院して自宅療養と外来に移った。
 早く脱皮、羽化でもして自由に飛びたい。そんな夏の終わり。

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