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ジュリアナ・ヴィセンチ『Racionais MC's:サンパウロのストリートから』

ジュリアナ・ヴィセンチ『Racionais MC's:サンパウロのストリートから』を観る。実を言うとこのネットフリックスのドキュメンタリーで扱われているブラジルのヒップホップ・グループのRacionais MC's(日本語表記では「ハショナイス」)についてまったく知識がなかったのだった。ではなぜ観たかというとDiscordを通じてブラジルに友だちがいて、彼からブラジルの国内の事情をいろいろ教わることがあったからだ(今年10月末の選挙のことも少し教わった)。だから彼の国のヒップホップとはどんなものかと興味本位というか物見遊山で観てみたのだけれど、これがなかなか濃いというかドープなものだった。観てよかったと思った。

だが、最初は「よくわからないな」と思いながら観たのもまた確かだった。単純にこちらがブラジルの国内事情について無知だから、というのがある。いや、それでも少しは察することはできる。このドキュメンタリーは身も蓋もない言い方をすれば「ヒップホップ」「貧民街」「人種差別」の三題噺のような映画だ。あるいはブラジル版の『ストレイト・アウタ・コンプトン』のような映画をイメージしてもらえれば少しわかりやすくなるかもしれない。だから確かに彼らが悪徳警官や政府に弾圧され、白人から差別されそんな苦境をヒップホップで乗り越えようとする痛ましい努力は伝わってきて迫力を感じたのだが、それゆえに「もっと『注釈』がほしいな」と贅沢なことを思ってしまったのである。

だが、このドキュメンタリーはそうして外向的にブラジルの「巨悪」を撃つアプローチだけで成り立っているわけでもないように思えて、そこから尻上がりに面白いと感じられたのもまた確かだった。ではこのドキュメンタリーにある内向的な部分とは何か。それは多分にハショナイスの面々が90年代末から現在に至るまでで(つまり30年。ディケイドを3つまたぐことになる)彼らを支持する観客たちと愚直に対峙し、あるいは自分自身の内面を掘り下げてさらに深い/ドープな音楽を作り出そうとするそのストイックな姿勢にあるのだと睨んだ。彼らの成長がそのまま彼らとほぼ同世代を生きる私の成長と重ね合わされてしまい、「自分はまだまだだな」と思ってしまった。

いや、そのハショナイスの成長がよくある「若さだけではつらいな」というような味わいのものであるという批判はありうるだろう。ストリートの率直な声を届けんと初期衝動で突っ走ってきた彼らが、次第にシーンに台頭して一流のヒップホップ・グループとして活躍するようになり、しかし観客の態度に不信感あるいは齟齬を抱く。そこでセルアウトには走らず自分を見つめ直す……と、彼らの歴史をあっさり言語化すればこうなってしまう。同じような道は「誰もが通る道」と言えばそれまでだ。だが、ハショナイスの音楽が持つ味わいにノセられて観ている内に彼らに共感してしまう自分がいるのを発見した。

ハショナイス、私はこの作品でファンになった。彼らのストイシズムを件の友だちがどう評価しているか知りたいとも思った。と同時に私も「音楽は白人が作るもの」「イギリスとアメリカのチャートがすべて」という見解を改めなくてはならないなとも思った。海外には探せば面白い音楽が山ほどある。あるいは角度を変えれば日本のメディア/プレスが語らないだけで各地に難題として残っている問題も山ほどある。そんなブラジルの実力を見せてくれるドキュメンタリーとして推したい……のだが、その前にやはりブラジルの国内事情を少し学んでおいた方が楽しめる、とは言えそうだからもどかしい。

それにしてもネットフリックスはこうしたオリジナルの映画やドキュメンタリーを手堅く作り続けており、その姿勢には感服する。いや、流石に玉石混淆ではないかなとも思うのだけれど、でもただの石ころのような映画だって(フェリーニ『道』が教えるように)教えてくれるものはあるはず。私はこれからもネットフリックスの映画やドキュメンタリーから学ぶことになりそうだ。いや、今回は思わぬ掘り出し物だったと言うべきか。こうした映画をサジェストする「ネトフリ」もまた底力を侮ってはならないとも思う。いや、単に私の観る映画がマニアック過ぎるのかもしれないけれど……。

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