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2023/02/19 BGM: Ry Cooder - Paris, Texas

今日は発達障害を考える会のミーティングの日だった。ホスト役の方の都合の問題で午前中だけの開催となる。この会が立ち上がったのが今から7年ほど前。会の発足当時から関わらせてもらい、会と一緒に歩んできたことを改めてありがたく思う。この会がなければ私は自分が生涯付き合っていくことになる発達障害のこともポジティブな意味を見い出せず、夢も希望も捨て去って自分の殻に閉じこもっていたかもしれない。自分は不幸な人間だとそう考えて自分のことばかり見つめて生きる内向的な人間、独善的な人間になっていたのかもしれないなと思う……というのは難しく考えすぎかもしれない。でも現実的に考えたとしても、グループホームへの入居も英語の勉強も仕事への取り組みもすべてこの会がベースにあってのことだったのはたやすく認められる。そう思えば自分は実にこの会と一緒に変化し、もしかしたらレベルアップさえさせてもらったのかもしれない。

会の中で話されたこととして、ある参加者の方がジョブコーチとして活動を行いそこで学んだこと、その方自身が活動の中で取り組んだことが話題となった。実は私自身の仕事ぶりに関してもその方がソースとして話された。私自身の日々の(敢えて口幅ったい言い方をすると「不断の」)頑張りが仕事の中で確実に活きている、というような話になったので照れくさく思ってしまった。「時代は変わる」とはボブ・ディランの不朽の名曲だが、会が発足した当時はこの町ではまだまだ障害者雇用が積極的なものではなかった。いや、それを言い出せば日本全体がまだまだ発達障害をめぐって手探りの状態にあったのではないか。私の会社でもジョブコーチを採用するのにずいぶんすったもんだがあり、結局頭ごなしに否定されたことも思い出せる。そこからやっとこさここまでたどり着くことができた。そう思えば人生も捨てたもんじゃない。

会がはねた後イオンに行き、そこで昼食を摂る。つまびらかに書くことは避けたいが、実は参加者の1人が職場で上司と反りが合わず苦しんでいると教えてくれた。彼のことを心配に思う気持ちが湧いて出る。友だちとして、だ。彼自身はかつて引きこもっていた過去の経験を活かしてさまざまな引きこもり当事者や家族のために奔走する活動家/アクティビストとしての一面を持ち、その人間的な魅力ゆえに彼に心を開く当事者も少なくないそうだ。私も彼の魅力に惹かれている。「畏友」と呼ぶべきかもしれない。そう思い、かつて私はそうした「畏友」を1人も持たず孤独にヘビードリンカーとして生きていたことを思い出した。友だちなんていなくても生きていけると信じて……現に当時の私は5年以上友情が長続きした友だちがおらず、誰ともケンカ別れを繰り返していたのだった。その頃から考えれば今が信じられない。時代だけではなく人も確実に変わるものなのだな、と思う。

その後グループホームに戻り、ライ・クーダーを聴きながら片岡義男『日本語の外へ』と『あとがき』をかわりばんこに読む。『日本語の外へ』の冒頭、片岡によって深められた湾岸戦争についての議論を読みながら戦争当時まさにこの宍粟市というど田舎で(失礼!)見果てぬ広大な外の世界を想像したことを思い出す。まだインターネットも実用化されていなかった頃のことだ。当時の私は作家や翻訳家になりたい、「24時間戦えますか」な「ジャパニーズビジネスマン」になりたい、大橋巨泉や村上春樹的な「国際的に通用する人間」になりたいとぼんやり夢見る少年だったはずだが、今になって自分のまわりを見渡してみるとこの市や海外にさまざまな友だちを作ることができたし、英語を通して自己表現をすることも板についてきた(と信じる)。こうした事実も「人は変わる」という事実を指し示している。変わっていく……人生は実に味わい深いものだと思う。今なら「夢は叶う」とさえ信じることもできそうだ。

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