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2022/04/05

図書館に行き、大島一彦『ジェイン・オースティン』を借りる。実はこの方は私が早稲田に居た頃に授業を受講した方だった。とはいうものの学生時代、不真面目だった私は(前にも書いた通り)ジェイン・オースティンを読まずに過ごしてしまった。それで今頃になって慌てて『自負と偏見』に手を伸ばし、この『ジェイン・オースティン』を借りるという始末。まあ、それが人生というものなのだろう。若い頃はこうした古典の旨味などわからず、フレッシュな新進気鋭の作家にばかり手を伸ばしていたことを思い出す。今になってそうした旨味がわかるようになった。

図書館の新刊紹介のコーナーに工藤庸子『大江健三郎と「晩年の仕事」』があった。借りようかと思ったが、私は大江健三郎の近年の小説をまったく理解できていないので読むだけ時間の無駄かと思い、ただ大江を読み直すのも面白そうだなと思って司修『Oe 60年代の青春』を借りた。ジェイン・オースティンを読む傍ら『大江健三郎自薦短篇』を読んでみるのもいいかな、と思う。この自薦短編集は1度読んだことがあるのだが、初期のフレッシュな作品もさることながら近年の円熟した仕事にやられたことを思い出す。読めるようなら『「雨の木」を聴く女たち』などを読み返したい。

それでグループホームに帰って平川克美『共有地をつくる』を読む。私たちは資本主義社会に生きており、ゆえに自分自身の私有財産を大事にしている。だが平川はそうした私有にこだわることを諌め、「共有」することの大事さを説いている。みんなで一緒にリソースを使うということ。例えば彼が行っている喫茶店経営は喫茶店というリソース(もしくはパブリックスペース)を共有する試みである。あるいは私がこうして書いている日記も、私の私有しているアイデアを「共有」する試みとして考えることができる。彼はこのアイデアを、Linuxのオープンソースの思想の影響で鍛え上げたという。なかなか面白い意見だと思った。

オープンソースの思想ということで言えば、台湾のオードリー・タンのような新世代の政治家が思い出される。彼女は紛れもないカリスマ性を備えた存在だが(もちろん、彼女の功罪については改めて慎重に吟味する必要がある)、そんな彼女があくまで一ハッカーとしてコミュニティに自分の保持するアイデアを還元しようとする姿勢を保ち続けていることが平川の思想と似ていると思ったのだ。財産や金といったマテリアルな資産を「共有」することは難しいかもしれないが、アイデアは「共有財産」として使えるかもしれない。その線から平川のアイデアを私なりに実践することはできないか、と考えた。

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