476.【WACK峮峮スピンオフ創作ノート#1】軌道修正
大家好。「峮峮(チュンチュン)スピンオフ」の軌道修正について書こうと思います。スピンオフの基本スタンスからズレてしまったのは、「ノートガルドの街、混乱!」を書いた後からでした。
この峮峮スピンオフは、全体のバランスを重視して書いています。その際、ルシファーとなった峮峮に混乱させられたノートガルドの街というのは、しっかり書く必要があったため、自分なりに描写したつもりです。
しかし、そのことが逆に仇となってしまったことも事実でした。というのは、その描写自体がこのスピンオフの根本的なスタンスと大きく反していたからです。
もともと私自身の文章というのは、膨らませるものではなく、縮小する・カットすることを基本としています。こんなの書く必要がないと思ったら、どんどん削ってしまうので、描写というところから離れていってしまいます。これは、描写力がないことの裏返しでもあるのですが。
この峮峮スピンオフで、最初の「森の中のカフェレストラン」、峮峮と大元さんが食事に行くシーンは「小説だから」と気張って、できる限りの描写を試みました。しかし現実は、2人の会話シーンが続かず、途中のシーンをズバッとカットする結果になってしまいました。
そんなとき、みこちゃんとやり取りしていて気づいたのは、小説というフォーマットにとらわれる必要はないじゃないかということでした。そこで思い浮かんだのが、演劇形式です。具体的には、ジェネシスの『The Lamb Lies Down on Broadway』のアルバム構成でした。
そのアルバムに入ってる「The Lamia」という曲の最後には、次の歌詞があります。
照明が落とされ、再びあなたのためにステージが設定される
まさに演劇手法。ここからステージが変わりますよと言って、「スリッパーマンの居留地」という新たなステージに移るわけです。まぁジェネシスと言えば、早くから演劇手法を取り入れたことで有名なので、当然と言えば当然の話です。
そうして書いたのが、「パセリ、セージ、ローズマリー、タイム」であり、「さまよう繭のたまゆら」でした。特にこの「さまよう繭」については、ジェネシスの「Cuckoo Cocoon」を下敷きにしたもので、これによって峮峮スピンオフがパワーを得たという感じがしました。
このように、峮峮スピンオフは演劇手法を取り入れながら進めました。これは、映画のカッティングやインサートの手法でもありますが、私の場合、大学時代戯曲をよく読み、演劇をよく観に行ったこともあって、映画より演劇の方がしっくり来ます。もっとも映画もよく観たので、どっちでもいいのですけど。
話を戻しますと、「ノートガルドの街の混乱」で小説に少し傾いた流れを、再び演劇的にして峮峮スピンオフを活性化しようと思っているのです。本当は戯曲のように、ト書き(地の文)は最低限にして、セリフだけで進行させたいのですが、そこはバランスでしょうね。全体のバランスも考えなければならないし、バランスが大事だと感じています。
ちなみに、「さまよう繭」はストーリーと無関係に出てきているのではなく、最後の場面に向かうシーンを出しています。それは乞うご期待というところですが、イメージが先行して、文章が後から追いかけていくというのが、この峮峮スピンオフの特徴なので、まぁこうなってしまうのでしょう。
イメージのお話はまた今度書くことにします。今回は、峮峮スピンオフを軌道修正するというお話でした。最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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