胸を切った彼女なら、ペニスを切り落とした僕を愛せるはずだった 第12話
「……お腹は…………」
彼の子供が欲しい。産みたい。愛の結晶が欲しい。自分が生きていた証をこの世に残したい。気難しい彼の子供は私が生まなければならない。顔ならば、彼が傍に居てくれるならば、重要ではない。彼以外の男からどう思われても構わない。彼さえ居てくれるのであれば。
傍から見ればおかしな話だが、こうなってしまうと一種の催眠や洗脳状態で、思考に抑えが利かなかった。女にとって彼の言葉が全てだった。お陰で妙な方面で覚醒してしまい、以前は分からなかった〝形を保っていない顔〟の答えが分かってしまった。
女は台所へ向かい、まだ片付けていない鍋に入ったままの油を見つめた。さっき唐揚げを作る時に使った油の残り。美味しいと彼は褒めてくれた。振られた哀しみより、今は何故か良い思い出ばかりが浮かんでくる。手の甲にキスをしてくれたのもそう。彼は火傷した場所ならキスをしてくれるのかもしれない。
油の温度は下がってしまっているから、再び火をつける。今日のために気合を入れて、大きめの鍋を買い直したので、顔ならギリギリ入りそう。でも目まで焼けてしまったらどうしようと不安が過る。そこで慌てて押入れの中から、もう何年も使っていない水泳用のゴーグルを引っ張り出してきた。丁度鍋の温度も上がってきたらしく、油の表面がゆらゆら揺れていた。
ゴーグルを装着する。このまま顔を鍋に付ければ……って、本当に良いの? 本当にこれで良いのか? ゴーグルを付けて顔を火傷したっておかしくない? いや、同時に隣で玉ねぎを切っていて、目がしみるのを防ぐために付けていたと言えば変ではないはず。
鍋の中に張られた油を見下ろす。大丈夫、幼い頃にやった顔に水を付ける練習を思い出せば良い。きっと彼なら褒めてくれる。受け入れてくれる。火傷は頑張った痕だと言ってくれた。これで彼が望む顔になれるはず。
でもやっぱり怖い。顔を少し近付けただけで、上がってくる熱を肌に感じた。これを直接皮膚に付けたらどうなるのか。少し油が跳ねただけだと、赤くなる程度だった。だから一秒くらいは我慢しないといけない。いや、五秒くらい……?
怖い怖い怖い怖い。でも、これをすれば彼に認めてもらえるかもしれない。そうだ、連絡する病院は彼の実家にしよう。彼の実家の病院なら知っている。怪我を負った状態で受診すれば、必ず連絡をくれるに違いない。今度は顔にキスをして、今度こそ彼の理想になれるはず。女の人が苦手な彼を、私が助けてあげられるかもしれない。
息を止める。迷ってはいけない。一思いに。
――じゅうっと、焼ける感触。
「ぎゃあ……あ…………ああぁっ……!!」
五秒も我慢出来なかった。一秒にも満たない。顔を触ると、まだ顔があった。
彼のためには、まだ足りない。でもこんなに痛いなんて。後でもう一度なんて絶対無理。
「ひ……ひ、ひ……ひいいぃぃ…………」
再び息を止めて、顔を押し込む。咄嗟に手で鍋縁を触ってしまい、手の表面までじゅわっと焼け焦げた。
その後は覚えていない。いつの間にか鍋をひっくり返して、足にも油が掛かっていた。ゴーグルは表面が溶けて見えなくなり、外そうとすると溶けたゴムと皮膚がくっつき、びろーんとなった。ただ目は問題無いようで、これまで通りに見えた。それでもゴーグルが顔から剥がれる痛みは強烈で、とても外せない。片側を触るのが精一杯だった。ゴーグルの片目だけを浮かせて、顔が解けた状態で、女は必死に病院へ電話を掛けた。
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