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胸を切った彼女なら、ペニスを切り落とした僕を愛せるはずだった 第11話

【女・顔】

 女はどうすれば彼の理想になれるのか思い悩んだ。彼が望まない女性的な要素を取り除きたいが、これまでに胸を切除して、服や化粧といった見た目を変え、自分でどうにか出来る範囲の行動をしてきた。それでも今の自分では及ばないらしい。
「どうすれば貴方の理想に近付ける?」と、女は一思いに尋ねてみた。
「女性らしいって何だと思う?」
「え……見た目が可愛いとか、胸が大きくセクシーとか……?」
「見た目の話だけじゃないよ。君はお淑やかで家庭的で女性らしい」
「……性格を変えないといけない?」
「いや。出来れば、君の中身はそのままで居て欲しい」
「じゃあ、今の私でも……?」
 ドキドキしながら、もう一度尋ねる。すると彼は困ったように眉を下げて、笑みを浮かべた。女にとって非常に愛らしい表情だった。
「顔が」
「……顔?」
「うん。君の顔は、凄く可愛らしい。たとえ化粧をしなくても」
 それだけを聞くと、ただの褒め言葉でしかない。女は咄嗟に顔を赤らめたが、直前の内容を思い出すと笑みを消した。
「顔……私の顔が、嫌ですか?」
「実は貴女だけじゃないんだ。昔、嫌な思いをして……それで女性の顔を見るだけでも……こんな話をして、すみません……」
 申し訳なさそうに眉を下げる彼に対して、女は「そんな事無い」と必死に首を横に振った。
「……あの、だったら……整形……?」
 顔が嫌ならば整形――そんな安直な考えが浮かんだが、彼の望みは違っていた。
「いえ。整形をした所で、整った顔には違いないから」
「整った顔って……だったら、どんな顔が……」
「きっと顔の形を保っているだけで、駄目なんだと思う」
 その言葉の真意が掴めず、女は首を傾げた。だがそれ以上を尋ねても、彼は教えてくれなかった。どうやら自分で考えなければ、答えは得られないらしい。
「顔の形を保っている……顔の形が崩れたら……?」
 思い付いて、女は咄嗟に自分の鼻に触れた。たとえば鼻を切り落とせば、形が崩れたと表現出来るのだろうか。
 でも、そこまでして――?
 自然と込み上げてきた不安から、つい眉間に皺が寄ってしまう。
「鼻が無くなっても、口や目元とか、他のパーツだけでも女性って分かるよね。マスク美人なんて言葉もある位だから」
「ああ、確かに言いますね……」
「うん。だから、そんな怖い顔をしないで。別にそれを誰かに求めている訳じゃないんだ」
 まだ〝形を保っていない顔〟の答えも分からないうちに、彼は悲しげに微笑んだ。その切ない表情を見ると何とも言えない気持ちになる。
「そんな、投げやりな……最初から諦めるみたいに……」
「いや、無理なんだと思うよ。理想の存在なんて居やしない……女性への苦手意識が度を越してしまっている。自分でも、ちょっとした病気だと分かっているんだ」
「……あの、顔の事はまだよく分からないですが……もしかして、他にもまだ何かあるんですか? 苦手な、女性らしいことって……」
「そうだね……生物学的要素もあるから」
「生物学的?」
「分かり易く言うなら、子宮かな。だから、顔と子宮」

 流石の女も、この人はおかしいと思った。彼の理想は胸だけでなく、子宮も取り除いた女性。そこへ更に形を保っていない顔。
 顔はともかく、女は子宮を取りたくなかった。好きな男性の子供を生みたいと言う欲求があった。正確に言えば、最近になってそれが強くなってきた。その好きな男性とは言うまでもなく、頭のおかしい例の彼なのだが。胸を切除したばかりの頃なら、もう少し抵抗感が無かったかもしれない。
 でも今は違う。彼と会う回数を重ねる度に、彼に惹かれていった。彼と共に過ごしたい。むしろ彼には私しか居ないのではないか? あんなに難しい気質の持ち主ならば。現に、彼には他の女の影が無かった。

 だから気持ちが離れた訳では決して無かった。それでも女は一度距離を置こうとした。これ以上関わると危険な予感がしたから。
 けれど、すぐに挫けた。気兼ねなく話せる友達はそう多くないし、親とも仲が悪くて疎遠だった。一人になった瞬間、ふと彼を思い出してしまう。バイト先を変えたりイベントに参加したりして新しい人間関係を作ろうとしたが、それも全て無駄だった。マウントを取りたがる女性や、二人になろうと誘ってくる男性。疲れた。男性の誘いに乗ってホテルへ行き、平べったいこの胸を見せれば、すぐに逃げていく様が容易に想像出来た。勿論、実行はしなかった。相手の男性がそこまで彼女に関心を寄せる事も無かったが。

 結果的に、彼ほど親身になってくれる人は居ないという結論に至った。もとい、元に戻った。
 距離を置こうと試みていた間、彼からの連絡は一切無かった。スマホを握り締めて待っていたが、何の音沙汰も無い。かつて出会うきっかけとなったSNSもこっそりチェックしていたが、何の投稿も無い。
 それでも、こちらから連絡するとすぐ会う事になった。ただご飯を食べて、近況を報告するだけの時間。報告と言っても、話すのはもっぱら女の方だった。「何かあった?」と優しい口調で尋ねてくる彼に、女は近頃の鬱憤をぶちまけた。彼はそれを頷きながら聞いていた。
 そうして再び会うようになり、何回かデートらしきものを重ねる。その中での、ちょっとしたきっかけだった。彼が「唐揚げが好き」と話した。
「店とか売っているのも美味いけど、もっと素朴なのも、たまには食べたくなるよね。家で作る家庭的な感じのヤツとか」
「良かったら作りますよ。うち来ます?」
 女の方からの思い切った誘いだったが「いいの?」と彼はあどけなく笑うだけだった。

 彼が家に来た時、女はこの上ない幸せを感じた。一緒に居て、ここまで穏やかな気持ちになれる人は居ない。頭の中では彼の存在がほとんどを占めていた。恋愛感情ほど強烈に正気を失わせるものはないのかもしれない。ましてや失望している時に優しい言葉を掛けて、疲れた時には都合良く会ってくれる人なら尚更。彼女にとって彼は最後の光のような神々しい存在になりつつあった。
「あっつ」
 そんな状態に陥っているから、約束通りに唐揚げを作っている時にも、ぼうっとする瞬間があった。女は跳ね返った油で、手の甲を軽く火傷した。
「大丈夫?」
「うん……」
 女は台所の流水で片手を冷やしていたが、その手を彼は掴んだ。
「あ、本当に大丈夫だから……」
 彼は女の手をまじまじと観察した後、赤くなった皮膚にそっと唇を付けた。女はその瞬間、体中の血が沸騰して、全身を瞬時に逆流したような錯覚に陥った。
 時が止まったように感じたが、彼が手の甲にキスをしたのは数秒。ちゅっと軽いリップ音と共に、その唇は離れた。火傷とは違った熱が手の甲には後を引いていた。
「痕は残らないと思うけれど、心配しないで。火傷は頑張った痕だからさ」
「……頑張った痕?」
「うん。まぁ受け売りだけどね。火傷は頑張った痕だから嫌わないであげて、頑張っている人って良いじゃん、って」
 優しく笑う彼を前にして、しばらくぽやっとしていた。その表情も少し照れ臭そうにする仕草も、これまで見た中で一番可愛いらしいものだった。
「あの……好きです。付き合ってもらえませんか」
 堪らず溢れた女の言葉に、相手の男性は顔を曇らせた。
「ごめんね。今の君は、僕にとって……余りに女性らしくて、無理かな」
 間髪を入れず、女の告白は無惨に打ち砕かれた。

 それでも男性の対応は上手だった。悪くなった場の空気を取り繕い、これからも交友関係を続けたいと女に伝えた。女は彼との連絡が途絶える事が何より怖かったから、頷かざるを得なかった。彼は出来上がった唐揚げを食べると帰っていった。
 一人になった女は沈んだ。生きてきた中で一番好きなった人に振られた。しかも好きとか嫌いとかではなく、女性らしいからというよく分からない理由で。
――いや、よく分からない訳でも無い。

 顔か。子宮か。



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