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【必見】「パルバティ・バウル 黄金の河を渡って」が明かす、インド伝統文化の神秘。新世界を知る。

十三はセブンシアターで「パルバティ・バウル 黄金の河を渡って」を観てきた。
初めは「花嫁はどこへ?」を塚口で観る予定だったのだが時間が合わず、この映画を観ることができる映画館を探していたらたまたま「パルバティ・バウル 黄金の河を渡って」に出会ってしまった。運命だろう。

バウルとは?ユネスコ無形文化遺産に登録された伝統的吟遊詩人


絶対映画館でも観る人が少ないと決めつけていたが、思いの外たくさん見に来ていた。
映画途中でも紹介があったが過去にも何度か日本に来日し実演もして回っていたそうだ。全く情報に触れることはボクは無かったが。
この映画を観て今後彼女が日本に来る情報を得たなら必ずボクは観に行くことは間違いない。

この映画は、「バウル」というインドの吟遊修行者のドキュメンタリーとそのインドの中でも数名いるバウルの一人、女性バウルの日本を中心とした海外での活動を追ったドキュメンタリー映画である。

まず「バウル」とは、

バウルは、インドとバングラデシュのベンガル地方に伝わる伝統的な吟遊詩人で、宗教や社会規範を超えた自由な精神性を体現しています。15世紀頃から存在し、放浪しながら歌を歌い、2008年にはユネスコの無形文化遺産に登録されました。彼らの音楽と思想は、ベンガル文化に深く根付いており、国歌にも影響を与えています。

Perplexityによる解説

その「バウル」をインド内では、

バウルは、ベンガル社会で目立つ存在でありながら、一般の人々からは常軌を逸した集団とみなされることが多い。彼らの自由奔放で神秘主義的な思想は、社会通念からはずれることがあり、時に理解されにくい面がある。一方で、その独自の哲学や歌の内容は人々の心を捉え、タゴールによって再評価されたことで、世界的にも知られるようになった。

Perplexityによる解説

女性バウル・パルバティの特異性:カースト上層出身の稀有な存在


このような特殊な吟遊業者故女性バウルは少ないそうで、この映画のパルパディ・バウルはしかもカーストでは上層にあたり、大学に行くほどの学識もあり、専門がアートという特殊な立ち位置にあって、16歳からバウルの道に入ったバウルの中でも珍しい人なのだ。
バウルの歌や踊りは「パフォーマンス」ではないので、奉納演奏を行っても拍手を求めない。
とはいえ、初見の人からすれば、彼女のいでたち、声、歌、踊り、奏でる楽器は素晴らしく、言葉が分からなくとも感動し心が震える。
拍手せずにはいられない。
また、パフォーマンスに見えなくもない。いい意味で。

ボクは20代前半にバックパッカーとしてガンジス川に浸かった者として、その頃に彼女に出会わなくて良かったと思った。w
バカなボクは感化されかねない。w

歌えない踊れないボクだからその思いはすぐに挫折しただろうけれど。
また、俗欲も多すぎるし…。

バウルの核心「中の人」とは?アイデンティティとの違いを解説


さて、彼女の話の中で気になるワードは、彼女がしきりに言っていた「呼吸法」と「中の人」というもの。
バウルとヨガには深い結びつきがあり、当然呼吸法が関わってくるのだろう。但し映画の中で具体的にどのように呼吸法を行っているのかがわからなかった。歌の中での発声は素晴らしくそれを含まって言っているのだろうが、普段使いの呼吸法の所は是非聞きたいと思った次第。
あとバウルは世俗を捨て内面を旅する修行者とし、人間の肉体を小宇宙にみなし肉体に宿る神との合一性を目指し、バウルは神と人間との媒介物と考える過程において使う言葉として「中の人」という表現を彼女も使っていたように思う。

バウルの「中の人」は、人間の内なる神性を表す概念で、外面的な自我とは異なる本質的な自己を意味します。この「中の人」との合一は、バウルの修行における究極の目標であり、プレーマ(愛)を通じて達成されると考えられています。バウルは、人間の肉体を宇宙の縮図とみなし、内なる神との融合を目指す独特の精神性を持っています。

Perplexityによる解説

歌の歌詞でも意味合い的に「中の人」を求めるモノが多かったように思うが、それも修行なのだろうか。

映画が問いかける「修行者」と「それ以外」の境界線


ボクはいったいいつ「中の人」の存在を意識したことがあっただろうか。
正直に言えば、全くない。
ヨガの体験は人より多くあるかもしれないので、呼吸法は心得が多少はあるだろう。でも思想的に「中の人」の考え方を知らされたのは初めてだ。
アイデンティティ、とは全く異なる考え方。

「中の人」との一体化:現代社会における自己探求の旅


アイデンティティは結局社会との関わりにおいて自分がどうだこうだの問題
「中の人」は、宗教的であり、神性であり、修行によってこの「中の人」を発見し、それと一体化することを究極の目標とすることにある悟りの境地のようなもの。

雑念を捨て、修行しなければならないのだ。

「古来人間には二種類あるという
“修行者”と“それ以外”
両者の間に流れるといわれる
黄金の河

映画キャッチコピー

ボクは“それ以外”でしかない。

ならば、お布施でもさせていただくしかない…。


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