映画自評:「ありふれた教室」がありふれてて怖すぎる。
まずは教育関係者上層部に見てもらおうか。
否否、感受性が擦り切れているか何も感じないか、「正解」を求めたがるから逆効果になろうか。
そんな映画だ。
現場の教師側からの見解はどうだろう。
これも喧々諤々の所論が出てまとまらない意見の言い出し合いになり、まさに映画のような事態になるだろう。
これこそが「ありふれた」学校の現状なのだろう。
世界どこでも。
そんな映画だ。
でも、皆に見てほしいし、特に教育関係者には見てもらいたい。
以下ネタバレあり。
巻頭に使った画のチラシ写真は意図的に主人公先生の目から下の顔写真が切られている。映画内容をもって示唆的である。内容を踏まえた秀逸なデザインだと思う。
教師未経験の方々は、この映画を観てまず職場構造の特殊性や未成熟性を指摘するのだと思う。それは教育現場と一般社会との差異であって、決定的な運営の難しさであり、理念の違いなのであることをまず認識して映画を観なければならない(教育現場の現実を知る必要がある)。これはそうそう変えれるものではないし、現場で悩む現職の人も多いことだろう。
とは言え、
確かに主人公の彼女の行動や考え方にブレが全くないとは言い切れない。
彼女は正義感が強く、常に生徒側に寄り添った考え方をしている。
また、窃盗事件に対し彼女の行動は順序を経た行動とは言えない(学校側もだが)。
更に、生徒側から受けた暴行、PCの遺棄の秘匿についても賢明とは言えないと思う。前後に複雑なストーリーがあったとてこれは明らかに常軌を逸した行動でその時点で親と共に話し合わなければならない案件。親を強引に連れてきてでも。
一方学校は、この学校だけではないが、事件があった際は学校内で解決するのを原則とするのを良しとするのが伝統的で、それをもって教育としたい理想があるだろうが、得てしてその通りにならないことも多い。
ただこの映画のように一旦対応を誤ってしまった場合、対応を誤ったことに気づかなかった場合、は致命的なことになる。
この場合代表者が誤りの根源だから。
同様のケースは、権力者のパワハラ案件が握りつぶされやすいのは、その案件がパワハラかどうかジャッジするのかどうかを審査するまでをどのように扱うかを決めるのかが権力者だからだ。
学校が組織として成り立っていないのは、学校新聞のケースを見ても明らかだ。検閲をするという意味ではなく、「公平な報道とは何かを指導する」ためにも教師が常に関与する必要があったのではないだろうか。
このような未成熟な組織の中で事件が起きると悲惨な連鎖が起きてしまい収拾がつかなくなり、結果子ども達が犠牲者となる。
教師、学校、親たち、そして、子ども達(多くは被害者だが)も対応が少しずつ間違ったところから始まり、やがて誤りの歯車が大きくなってしまった。
どちらかと言うとドイツは教育の先進国と言うイメージが強く、理想像を勝手に描いていたが、現実は異なっていて様々な問題を抱えているようだ。
振り返って、我々ジャパンは如何だろうか。
他国を批判できる立場にいれるのだろうか。一部の学校はその立場にあるのかもしれない。
でも、「その時は」だろう。
日本にも多くの彼女のような正義感を持った、生徒に寄り添ったいい教師は多い。但し、個人の力のみで「頑張る」ことでその年年を乗り切って、「上手く行けば」定年まで働きとおすことができる。
ボクが知っている熱血漢肌の先生は、職員室で亡くなった。
誰からも好かれ、人が嫌がる仕事を自分から引き受けるような人で、勿論生徒から好かれていた。
職員室で倒れた時は突然だった。
脳溢血だ。
そんな終わり方でその先生は幸せだったのだろうか…。
神戸のミニシアター、シネリーブル神戸は映画の選択も素晴らしいし(系列館だしね)、映画館自体も高級感あって良い。三ノ宮という地に合っている。ミニシアターの中でもジャンル分けをするなら高級系。w
海外のモノを積極的にしてくれるのがいい。
次の大期待は、
PRINCEのドキュメンタリー映画!
ちょっと怖くもあるが。。。
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