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アンサンブル・ノート⑤

■第5話
○Flowers Music
30F建の立派なビルの16F-20Fフロアに大手メジャーレコード会社「フラワーズミュージック」が入っている。世界展開しているレコード会社の日本法人で、日本法人のロゴマークは桜に企業名。
17Fに受付、カフェ、展示スペース、打ち合わせスペース、配信ブース。
16Fがセールスプロモーション(営業)フロア。  
18Fがクリエイティブ(制作宣伝)フロア
19Fが業務、法務、ライツ、デザイン、海外事業など内勤系フロア
20Fが人事総務、経理、経営管理、社長室など経営系プロア

18Fの広いフロア。
多くのスタッフがフリーアドレスで仕事をしている。
奥で隅の目立たないテーブルに、ヘッドフォン姿の葉月がひっそりと座っている後ろ姿。

そこにノートPC等が入ったトートバッグを持った大河内がやって来ると、多くの女性スタッフが「大河内さんだ♡」「今日もステキ♡」と嬉しそうになる。
一人の美人スタッフが大河内に明日ランチを一緒と声を掛けるが、大河内はサクっと断りながらフロアを見渡し、葉月の後ろ姿を見つけると歩き出す。

葉月の元へ来た大河内。
大河内「仲川」
名前を呼ばれても無反応の葉月。PCの上に置かれたままの両手も微動だにせず、モニターは長時間操作が無かった画面になっている。
大河内「おい、ミーティングの時間だぞ」
葉月「……」
大河内、おもむろに葉月のPCを操作しスピーカーの音を大きくする。
驚いた葉月がビクっとする。
葉月「ぅわ!」
慌ててヘッドホンを外した葉月が横を見上げると、そこには大河内。
葉月「はぁ!?」
大河内「なんだその顔は」
葉月「もしかしてボリューム上げました? ひっど」
大河内「安心しろ。音響外傷にはならない程度にしておいた」
葉月「そういう問題じゃないですよ」
大河内「じゃぁどういう問題だ。何度も呼んだのに無反応だったのはそっちだろ。またクラシック聴きながら寝てたんじゃないのか」
葉月、言い返せない。
大河内「行くぞ、ミーティングの時間だ。夏目が待ってる」
葉月「あ、もうそんな時間ですか。すいません」
葉月、慌ててデスク周りを片づける。

ミーティングルーム(MTルーム)が並ぶ通路。
葉月が「HIMAWARI」と書かれたMTルームに入ろうとする。
大河内「どこに行く。こっちだ」
葉月「え」
大河内が「KIKU」と書かれたMTルームに入って行く。
葉月も苦笑いしながらKIKUの中に入ると、そこは数人が入れる広さで、販売促進担当の夏目健太郎(33)がPC作業をしながら待っている。
葉月「夏目さん、すいません、お待たせしました」
夏目「よぉ、お疲れさん」
大河内と葉月も席に着く。
大河内「遅れてすまなかった」
夏目「じゃぁ早速本題行きますね。バイオリニストの星野道子さんの件ですよね。デビュー30周年でしたっけ」
大河内「そうだ。来年の7月7日のデビュー日に記念リサイタルがサントリーホールで決まっている。そのリサイタルをシューティングする方向で調整している」
夏目「ということはブルーレイですね。DVDはどうします? CDは?」
大河内「DVDは無し。CDはアルバムを作って発売日は6月下旬にしたいんだが販促的にどうだろうか」
夏目「問題ないっす。クラシック店担当のSP(営業マンの事。セールスプロモーターの略)と話して店頭展開も確保します。オリ特作ってもいいですか?」
大河内「プラン作ってくれ。事務所と確認する」
夏目「ブルーレイの発売日は10月頃ですか」
大河内「そうだな。秋口を予定したい」
夏目「了解っす」
葉月、星野道子のオフィシャルHPでコンサート情報を見ている。
ズラズラと全国あちこちでのコンサート日程と会場が並んでいる。
葉月「すごい公演数じゃないですか。えぐいって」
大河内「言葉遣いに気をつけろ。宣伝はアーティスト本人やマネージャーと直接話す事が多い。思った事をすぐ口にしたり雑な言葉を使ってたりしたら、プロモーターとして信用されないぞ」
葉月「すいません」
夏目「まぁまぁ、仲川ちゃんも5年いた営業からいきなり宣伝に異動してきて毎日頑張ってるんですから」
大河内「星野さんは日本トップクラスの素晴らしいバイオリニストで全国にファンが多い。さらに無伴奏ソロでコンサートが成立するから身軽に動けるんだ。それくらい仲川も即売でお世話になって知っているだろう」
葉月「それが私はずっとアニメ店担当だったので、実はそれほどでもなくて」
大河内「だとしても、自社のプライオリティ作品ならジャンル関係なく営業なら知識として知っておくべきだろう」
夏目「それがですね、大河内さんは営業部に配属になった事がないから実感しにくいかもですけど、なにせ毎月リリースされるタイトルが多いから、残念ながら営業も結構縦割りになってるんですよ。特にクラシックはニッチなジャンルなので尚更ですよね」
大河内「……それは俺も重々承知しているが、もういい、次に行くぞ。CDに収録する曲目だが、リストの曲はマストで他はリサイタルのセットリストを考慮したいと思っている」
夏目「ですよね、やっぱ星野さんと言えばリストですよね。セトリに近ければ会場即売も期待できるし」
葉月M「リスト? 送ってもらってたっけ?」
葉月、大河内のメールを捜すがそれらしい添付ファイルが見当たらない。
葉月「あの、すいません。その曲目リストっていつ送っていただいてますか。探してるんですけど見当たらなて」
大河内、葉月を見て呆れる。
大河内「そんなリストは送っていない」
夏目は大笑い。
夏目「ハハハ、いいねー仲川ちゃん。俺もクラシックにあまり詳しくないけど、仲川ちゃんみたいな発想は無かったわ」
葉月、なぜ2人がそんな反応なのか分からない。
夏目「リストっていうのは作曲家の名前だよ。ラ・カンパネラとか愛の夢とかさ、知らない?」
葉月「名前は聞いた事あるような無いような」
夏目「聴いたら絶対分るよ。めっちゃ有名な曲だからCMでも使われてたりしてるからね」
葉月「あとでYoutube見てみます」
大河内「星野さんのCDを聴けばいい」
葉月「星野さんのCD?」
夏目「星野さんと言えばリストなんだよ。星野さんの弾くラ・カンパネラが聴きたくてコンサートに来る人もめっちゃ多いんだよ」
葉月「へー」
大河内「来週オペラシティでコンサートがある。星野さんに紹介するから仲川も連れて行くからな。いいか、コンサートでは絶対寝るなよ」
葉月「失礼な。さすがにコンサートでは寝ませんよ」
大河内、信じていいのか? という顔で葉月を見る。
葉月「さっきはたまたまというか、こないだもですけど、ランチ後にクラシックを聴くと眠たくなっちゃうんです。選曲も悪かったみたいなんですけど」
夏目「分るわー。で、何聴いてたの?」
葉月「えーっと、何だっけ。……サンサスーンの白鳥の湖?」
キョトンとする夏目に呆れ顔の大河内。
大河内「誰の何て曲だ、それは」
夏目「もしかして、サンサーンスの白鳥かな」
葉月「そうそう、そうです、白鳥! かな、多分」
夏目、爆笑。
夏目「最高! センス抜群だよ、仲川ちゃん」
大河内「甘やかすんじゃない、夏目。全然ミーティングが進まないじゃないか。仲川、君は聞いてるだけでいい。もう黙ってろ」
夏目「販促案作る時に宣伝案は欲しいから、その時までにまとめといてね」
葉月「宣伝案?」
夏目「営業の時に販促案見てたでしょ。販促案に書かれている宣伝案がイニシャルを左右するから、周年らしいのよろしくね」
葉月「……宣伝案って私が作るんですか?」
大河内「当たり前だ。星野さんの担当はお前なんだ」
葉月「えぇぇぇぇ、どうやって作るんですか!?」
葉月、大ショック。
大河内「話はしてあるから岩瀬に色々聞けばいい。担当はロックだが宣伝歴が長くて顔が広いからあちこち連れてってもらえ。専門誌は俺が回るからそこ以外で少しでもパブリを稼いでくれ」
葉月「岩瀬さん!?」
夏目「憧れのロック担当と一緒だったら頑張れるでしょ。期待してるよー」
大河内「じゃぁ話を戻すぞ。全曲新録でと考えている」
葉月M「とはいえ宣伝案かぁ、どうしよう」
葉月、不安でミーティングの話が頭に入って来ない。

○トッティ
賑わう店内。
将生がやって来てカウンター席に座る。
店長「いらっしゃい。一人か?」
将生「有朋は誘ってないから」
店長「そうか。何にする?」
将生「ジンソーダ」
将生、出されたジンソーダをグイっと飲み、ふーっと一息。
マスター「疲れてるのか?」
将生「別に」
将生、もう一口グイっと飲む。
マスター、キュウリとツナのごま油和えの小皿を出す。
将生「頼んでないけど」
マスター「ニンニクが少し入ってる。女の予定が無ければ食え」
将生「……今日はバイオリンないぜ」
マスター「安心しろ、サービスだ」
将生、パクっと一口。
将生「うま!」
マスター「メシは?」
将生「それは食ってきた。ジンソーダもう一杯ちょうだい」
マスター、もう一杯ジンソーダを出すと、将生がグイグイ飲む。
マスター「いい飲みっぷりだな。どうした?」
将生、グラスを置くと氷を指で触りながら話し始める。
将生「俺はさ、バイオリンを一生の仕事にしたいんだ」
マスター「そうだな。頑張れ」
将生「マスターはホルンをやめるっていつ決めたの?」
マスター「俺は自分の意思でやめたんじゃない。弾けなくなったから辞めるしかなかったんだ」
将生「弾けなくなった?」
マスター「25歳の時に急に弾けなくなった。ジストニアだ」
将生「ジストニア!?」
マスター「驚くことじゃないだろ。よくある話だ」
将生「そうだけど、俺の周りにはいないから」
マスター「お前だっていつ何が起こるか分からないぞ。俺も突然だった」
将生「原因は? 治療はしなかったのかよ」
マスター「この病気はほとんどが心因性だ。練習のし過ぎとか、過大なプレッシャーとかな。だから心療内科に通ったり他の楽器を触ったりもしてみたが、2年経っても良くならなかったから結局ホルンをやめてサラリーマンになった。そしてそこで出会った女性と最初の結婚をしたんだ」
将生「マスターがサラリーマン? 似合わねー」
マスター「その小皿5千円な」
将生「ウソウソ、ごめんって」
マスター「だから悔いが残らない様に毎日を生きて欲しいとつくづく思うよ。特に若い音楽家たちは」
将生「……マスターさ、俺たちの演奏見てどう思った?」
マスター「俺たちって航と有朋との演奏か? 見ごたえも聴きごたえも十分だったな」
将生「それ、いつものリップサービスじゃないよね」
マスター「俺はお世辞をいう相手は一日一人と決めていて、今日はもう終わっている」
将生「俺さ、3人でユニットを組みたいと思ったんだ」
マスター、真面目な顔で将生を見る。
将生「でも、航も有朋も、うんって言ってくれなくてさ」
マスター「有朋も? 航はやりたい事があるのは聞いているが」
将生「夢はあくまで夢なんだってさ。もう一度ちゃんと話したいけど、言い出すタイミングが難しくてまだ話せてない」
マスター「無理強いしてもしょうがないぞ。人ぞれぞれの事情がある。やる気満々の奴らなんて他にいくらでもいるだろうからそいつらを誘うか、嫌ならひとりでやればいい。お前ならソロでも何とかなるんじゃないか」
将生「ソロなんて興味ねーよ。俺は重なる音色が好きなんだ。それに俺は有朋と航の音が大好きなんだ。そこに俺のバイオリンを重ねたいし、プロになってずっと一緒に活動したいんだよ」
しょげる将生にマスターがワインボトルを1本出す。
ワインボトルには「M&A 2024年10月1日」と書かれたプレートが掛けられている。
将生「何これ」
マスター「お前ら2人の初ギャラワインボトルだ。記念に取っておいた」
将生「物好き」
マスター「俺はこのワインボトルに未来を感じるんだ」
将生、ワインボトルを持ってプレートをしみじみ見る。
将生「よくわかんないけど、そんな気がするような、しないような」
マスター、うなずきながら将生からワインボトルを取ろうとするが、将生は手を放さない。
将生「何だよ。くれるんじゃないの? これ」
マスター「誰がやると言った。珍しく落ちこんでいるから見せてやっただけだ。これは俺のもんだから返せ」
将生「はぁ、俺たちのギャラだからボトルも俺たちのじゃねーの」
マスター「今頃そんな事言ってもダメだ。割れるといけないから手を放せ」
将生、パッと手を放すと、マスターはよろめきながらしっかりとワインボトルを持つ。
将生「じゃぁマスターに預けておくよ。3人でプロになれたら、サイン書いてやるから大事に保管しといてよ」
マスター「ワインボトルの誓いだな。よし、今日は奢ってやる」
将生「え、いいの?」
マスター「なぁに、その時またワインで1曲弾いてくれればいい」
将生、立ち上がる。
将生「帰って練習するか。マスターありがとう」
店を出て行く。
マスター「頑張れよ。俺も3人で活動する姿を見てみたいからな」


アンサンブル・ノート
■第4話
https://note.com/quiet_poppy3297/n/naba9411ffb20

■第6話
https://note.com/quiet_poppy3297/n/ne1a78a358012

























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