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今回は前回の自己紹介(~第3章 2社目の就職編~)の続きを書きたいと思う。私のこれまでの経歴は就活時代編で一表にまとめているので、改めて確認していただきたい。
今回は~第4章 3社目の就職編~で、仕事に限界を感じた私が新たなステージを求め、転職活動を開始した時の話から始まる。

■3社目の就職

今の知識・スキルでは、お客様の抱える問題を根本的に解決する事ができない…。そう思い悩んでいた私はコンサルタント会社への転職活動をスタートする。しかし残念ながら当時自分が目指す会社は福岡には1社もなく、地元での転職は厳しいものとなった。また目当ての会社が見つかっても経験者採用のみで、今の私では面接にさえ進むことが出来なかった。

しかし、探し続けること数カ月、やっと1社だけ未経験者可の企業を見つける事ができた。私は直ぐにその会社へ電話を入れ、明日にでも東京へ行くので、是非面接をして欲しいと頼み込んだ。その会社は東京に本社を置き、人事コンサル業務を生業とした業界でも比較的大きな規模の会社だった。

コンサル会社だけあって、非常に優秀な人材が多く在籍しており、なぜ私が採用されたのか今でもよくわからないが、おそらく国家資格を持っているという理由だけで採用されたのだろう(前職在籍中に“社会保険労務士”という国家資格を取得していた)。ここでも運よく拾われた私は、コンサル業界がどのような感じか事前にネットで調べて、とても厳しい環境であることを理解していたので、1つだけ決意して生まれ育った福岡を離れる事にした。

福岡を離れる限りは、3年間はどんな辛い事があっても自分からは辞めない。

その決意と共に入社した3社目の会社でも、想像を絶する経験をする事になる。まず入社して最初に困った事は、ミーティングに参加しても、会話のスピードが速すぎて何を話しているのかが理解できない事だった。みんな日本語で話をしているのだが、話している内容が全く頭に入ってこず、理解ができない…。当然こんな状態なので、仕事ができる筈はなく、入社していきなり“できない奴”というレッテルを貼られてしまう。

半年ごとに行われる人事評価は常に最低点、任される仕事も雑用ばかり(データ入力や書籍整理など)で一向にやりたい仕事をする事ができなかったが、強い決意を立てて来ていたので、とにかくやれる事を我武者羅に頑張るしかなかった。それでも上司に認められることはなく、結局最初の1年間で経営者から「仕事に向いてない、別の仕事を探したら?」とほぼクビ同然の発言を2回もされてしまう始末。本当にどん底の1年だった。【エピソード④】

その頃は朝8時に出社して、夜12時の終電に飛び乗り、そこから先輩と午前2時まで近くのファミレスで作業して、ファミレスが閉店したらいったん家に帰宅、2~3時間仮眠した後にシャワーを浴びてまた出社するという、超人的な生活を送っていた。気が張っていたせいか、そんな生活でも不思議と体はきつくなく、自分的には頑張れていると思い込んでいたのだが、おそらく周りは異常を感じていたのだろう。

ある日、急に妻から会社を休むように強制され、伊豆の温泉に連行された。仕事のことは何も考えず、ただ川の音を聞いては温泉に浸かることを繰り返すうちに、自分の心が壊れていたことに気が付いた。周りがやるから自分もやらなきゃ、これぐらいやるのが当たり前、と自分を追い込んでいつのまにか何も感じない不感症になっていた。

その日を境に自分との向かい方を変えた私は、ただ我武者羅に頑張るのではなく、自分自身を大切にしようと意識し始めた。具体的には、100%を目指しながらも、時間や期限がきたら80%の状態でも一旦アウトプットする、本当に助けて欲し時は助けてと声を上げるなど。
今までは全て自分で100%やりきらなければと思い込んでいたが、メンバーの力を借りる時は借りると割り切ることで、自分にも余裕が生まれ、結果的にアウトプットの質が上がったのだった。

こうして少しずつ自信をつけていった私は、次第に周りからの評価を集め、本来やりたい仕事も任されるようになっていった。結局その会社には3年ほど在籍したが、今の私の礎はその時に作られたといっても過言ではない。
色々あった3年間だったが、退職日に23時まで残業をしたことは今でもいい思い出になっている(笑)。本当はもっとその会社で経験を積みたかったのだが、家庭の事情もあり、転職を決意した32歳の春。(2009年5月)


◇3社目の就職での学び
✔目標があればどんな環境も楽しめる
✔耐える期間が長いほど、後の成長スピードは加速する(バネの法則)
✔その努力はきっと誰かが見ている


✔ 目標があればどんな環境も楽しめる

上記にも書いたようにコンサル会社では朝8時から夜12時まで毎日16時間ほど働いていたので、実質コンサル会社にいたのは3年ちょっとだが、実労働時間を考慮すると5~6年ぐらいの経験が積めたのではないかと思う。
コンサル時代の話を社員研修でした時に、そんなブラック企業では働きたくないと受講生は一様に言うが、私は在籍中に正直一度も辞めたいと思ったことはない。たしかに評価されず辛い日々を過ごしたが、【3年間はどんな辛い事があっても自分からは辞めない】という決意があったおかげで、頑張り続ける事ができた。

もう少し詳しく話すと、3社目の会社に転職する際に、あらかじめ在籍期限と取得するスキルを決めていたので、どんなに苦しくても日々の経験が自分を強くしている事が楽しくて仕方がなかった。この知識やスキルがあれば、前職でのお客様にこんな提案が出来たなーという事を考えながら、毎日を過ごしていた。そんなポジティブな思考がなければ、きっとどこかで心が折れていただろう。


✔ 耐える期間が長いほど、後の成長スピードは加速する(バネの法則)

同じような事を提唱している人がいるかもしれないが、人の成長はバネの原理に似ていると私は思う。バネの上にモノを載せて、グッと押さえつけている時は遠くへ飛び出す事はできない。いや、むしろ後ろへ後退している感じさえある。しかし、一旦手を離すとバネの上のモノは勢いよく飛び出すのだ。バネを奥に押し込むには時間と労力がかかるが、押し込むほどに飛び出すスピードは速くなり、遠くまで飛び出す事ができる。これが非常に人の成長と似ている。

コンサル時代、私は確かに覚えが悪かったと思う。どんなに頑張っても前に進んでいる感を持てず、何度も挫折しそうになった。しかしそれでも腐らず頑張っていると、ある日突然自分の成長を感じる時がきた。本当にある日突然だ。その日からは面白いように仕事が上手くいくようになり、毎日自分の成長が自分でもわかるほどのスピードで成長を実感することができた。それ以来、物覚えの悪い人がいると、バネの法則を思いだし、この人はこの後すごい勢いで飛び出すんだろうなーと考えるようにしている。


✔ その努力はきっと誰かが見ている

世の中には、人に対してアピールの上手い人とヘタな人がいる。アピールのヘタな人からすると、なぜあの人ばかり評価が高いのかと落ち込む事もあるかもしれない。でも声を大にして言いたいが『あなたの努力は誰かが見ていて、きっと報われる日がくる』と。

私も最初の1年は本当に報われない日が続いた。希望に満ちて入社したにもかかわらず、任せられる仕事はデータ入力や書籍整理などの業務ばかりで、本当に辛かった。何よりも誰の役にも立てていない自分が情けなかった。しかし、そこで腐ることなく自分のベストをだし続けていれば、勝手に周囲がその努力を認めてくれるようになる。難しいのは、認めてくれるのが誰なのか事前に分からない事だ。誰かが分かればその人に向けて努力すればいいのだが、残念ながらその『誰か』が分かる事はほぼない。だから、どんな事にも、どんな場面でも全力でベストを出し続けるしかない。


■まとめ
コンサル会社での経験は間違いなく私の土台になっている。あれだけの経験をしたのだから、もう何がきても大丈夫だという自信にもつながっている。人によっては心から就職したくない職場環境かもしれない。しかし私にとっては宝の山だった。

つくづく人は【捉え方】次第だなと感じる。ポジティブな捉え方をすれば、その出来事はその人の『資産』になり、ネガティブな捉え方をすれば、その出来事はその人の『負債』になる。そして重要な事は、捉え方は自分でどうにでもなるということ。

心底、大学院受験に失敗して良かった、最初の会社をクビになって良かった、ハチャメチャなオーナーと出会えて良かった、そして、人生の道がつながっていて良かった、と思う。


最後まで読んでいただき、ありがとうござました。心から感謝致します。
次回は、いよいよ最終章、~第5章~ 4社目の就職編となります。

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