トイレで蝶になった話 【リッツカールバトン】
不思議な名前のバトンが回ってきました。「ハプニングがあったけど、結果オーライ」な体験を書くバトンだそうです。
名前の由来は、この方々。
バトンを渡してくださったのは、川ノ森千都子さん。偶然にも、この記事に私が一番にコメントとスキをしたご縁で、繋がりました。
川ノ森さんの前にも、
みおいち@着物で日本語教師のワーママ さん
青猫(あおねこ)さん
マサおじさん@らいふプロデューサーさん
が、笑いの絶えないエピソードを綴っています。よかったら、ぜひ覗いてみてください。
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些細だけど笑えるハプニング。遡れば、山ほどあるはずです。
昨日だって、バケットをかじって取れた歯の詰め物を、知らずに飲み込んだ。トイレのマッシュルームをめぐる大家との攻防は、一昨日終わったばかり。そういえば、その晩には湯たんぽから水が漏れ、布団がぐっしょりだったな。
たった二日でこれだけあるのに、いざ思い出そうとすると、なかなか思い出せない。なんて、モヤモヤしていたら、10日も経ってしまいました(バトンをここまで繋いでくださった皆さん、すみません)。これ以上お待たせするわけにもいかないので、ともかくも書き始めてみます。
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それは、気温45度を超えたニューデリーの、夏の終わりでした。
その日、私にはどうしても受けなければならない、英語のテストがありました。カナダへの留学を決めたものの、時期的にはもうギリギリ。唯一空きのあったテスト会場への滑り込み受験だったので、受けられるだけラッキーだと思っていたのですが…
渋滞の中、エアコンなしのタクシーで2時間かけてたどり着いた場所には、小さな市場と4回建てのオンボロビルが数軒。半分破れたコンピュータの看板が、不吉な予感を抱かせました。
ただでは済まないかもしれない。
覚悟を決め、中に入りました。
入ってみると、思った通りビルは古く、階段は人がすれ違うことのできない狭さ。テスト会場にあたる3階は、大事な試験を受ける息子や娘を心配した父親で、あふれかえっていました(インドのお金持ちの親が子供にかける期待は、半端ないのです)。
テスト部屋では、窓から入ってくる熱気を、旧式エアコンがフル稼働でカバーしていました。年季の入ったコンピューターがずらりと並び、付属のヘッドフォンにはうっすらと砂ぼこりが見えます。
ご想像通り、自分の席はそのエアコンの目の前でした。今日は満席で、席も変えられないとのこと。英語ネイティブのインド人なら、エアコンの轟音も気にならないんだろうけれど… 早くも、黄信号です。
とはいえ、そこまではまだ、私にも多少の余裕がありました。どれもインドあるあるの範囲だったからです。
この分だと、トイレも期待できないだろうな。
そう思いながら、女子トイレのドアを開け、目を疑いました。
便器がポツンと一つ、水に浮かんでいるのです。
いや、よく見たら、便器の高さ近くまで水が浸水して、プール状態なのでした。水は汚水ではなさそうですが、さすがにジャバジャバ入っていく気にはなれません。ドアの外に水が漏れないのが不思議でしたが、改めて見れば、ドアから一歩入って数段降りた所に便器が設置されているという、謎の作り。
致し方ない。では、男子トイレやいかに。
受付の男性に尋ねると、個室はあるし、使ってもいいけど、鍵がかからないんだよとのこと。うーん、さすがにそれはまずいかも。女性の受験生をつかまえて、ドア番を頼むか。いや、それよりもこれから3時間、トイレに行かなければいいのだ。そうだ、そうしよう。
この時点で私の目標は、テストそのもののよりも、テストが終わるまでトイレに行かないことにすり替わっていました。
そしてその固い決意は、早々と崩れ去るのです。
敵は、英語にあらず。
エアコン前の、北極でした。
とにかく、寒い。
持ってきたフリースでは、全然役に立ちません。体がどんどん冷え、鉛筆を持つ手がかじかみます。
その上、熱中症対策にと、水を散々飲んだ後でした。1時間経つ頃には、悲しいかな、すでにトイレが恋しくなってきた。
うわ、どうしよう。これじゃ休憩時間にトイレは避けられない。しかも、休憩は10分のみ。10分で、どうやってあの難題をクリアする?
こうなるともう、集中できません。それでなくても、エアコンの轟音にかき消されるリスニング。50分を終えた時点で、すでにぐったりです。
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さて、休憩時間に入った途端、悲しい事実に気がつきました。このテストは各自勝手にスタートする方式なので、同じ時間に休憩をとる人がいない。その上、その日の受験生は、私以外全員、男性だったのです。
男子トイレのドア番を受付の男性に頼む、という選択もありました。でも、当時、自分の頭にあったのは「最大のリスクを回避する」こと。外国人女性へのトイレでの性暴力が相次いでいた時期だけに、ややこしくなるアクションは避けなければなりません。
そこで、私がとった苦渋の選択は
飛ぶことでした。
女子トイレに入り
ドアを閉め
ギリギリ水の来ていないスペースで
呼吸を整えてから
便器の上めがけて、飛びました。
着地成功。
我ながら結構な距離を、よく飛び乗れた。
しかも便器の中に落ちずに。
自分を褒めてあげたい。
そして、そのまま便器の上にしゃがみ、用を済ませました(笑)
女性は他にいないんだし、土足で便器に上がったことは、まあ見逃してもらおう。あとは軽やかに飛んで、あのドアの前に戻ればいいだけ。ミッション・インポッシブル、攻略間近です。
と、ここでたぶん、気が緩んだんですね。
ご想像の通り、飛ぶ瞬間に足が滑りました。
着地は、もちろん水の中です。
ジーンズの膝下は、一瞬にしてぐっしょり。靴からも、ガバガバ水が出てきます。
水もしたたるいい女は、廊下を濡らしながら、厳寒の北極に戻りました(涙)
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そこから先の70分については、ほとんど記憶がありません。隣の男性が大声で機関銃のように繰り出すインド英語を、ぼんやりと覚えているぐらい。
でも、濡れたジーンズが冷風で氷っていく、あの感じだけは、今でも忘れられません。なにしろ、自分の中のスーパーパワーが、見る間に凍って無力化されてしまうんです。
「ここであきらめたら、カナダはない」。
ほとんど半泣きでテストをやり抜き、真っ白に燃え尽きました(たかが英語のテストで真っ白なんて、矢吹丈には申し訳ないのですが)。
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そんな訳で、最悪を覚悟したテストでしたが、驚いたことに結果は予想を大きく上回り、おかげで私はカナダに渡ることができました。
休憩後の二教科で点数をぐっと上げたのを見ると、あのトイレで飛んだ瞬間、私は蝶になったのかもしれません。
というわけで、ギリギリ「結果オーライ」になるのかな。なるといいなと思いつつ、筆を置きたいと思います。
文字通りしょうもない話に、ここまでお付き合いくださり、本当にありがとうございました。
このバトンは指名制ではないので、一旦ここに置きます。「引き継いでもいいよ〜」あるいは「ぜひ引き継ぎたい!」という方がいらっしゃれば、コメント欄でお知らせください。
ではみなさん、よい連休を!
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。いただいたサポートは、難民の妊産婦さんと子供達、そしてLGBTTQQIP2SAAの方々への音楽療法による支援に使わせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。