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たかがハグに試される

地下鉄に乗っていたら、
目の前のカップルがハグしてキス。
ありふれた光景。

道端で、
泣く子に父親がハグしてキス。
ありふれた光景。

バッタリ出くわした友人と、
いつものようにハグ。
ありふれた光景。

一仕事終えてほっとして、
仕事仲間と思わずハグ。
ありふれた光景。

ハグとキスは、
ここではどこにでもある普通の一コマ。
ハグは特に、気軽に使えるせいか、
老若男女問わず、そこここで見る。
着膨れしたおばあちゃん二人が雪の降る中、
別れ際にギューッとしているのなんかを見ると、
素直に、ああ、いいなあと思う。

元気だった?
気になってたよ。
顔が見られてうれしい。
ありがとう。
よくやった。
あなたと一緒でよかった。
大丈夫。
またね。元気でね。

言葉にもするけれど
ギュッとした時に一瞬感じる、
ほんわりあたたかい感覚は、
言葉からはみ出してしまうその他諸々の感情を、
一括で伝えてくれるような気がする。

私はこういう文化で育ったわけではないが、
慣れてしまえばこれほど便利なものはない。
言葉がつたないうちは、
これでかなり乗り切った。
言葉を介さないという意味では、
ある意味もっと本質的でプリミティブな、
「つながりたい」自分の感情に呼応する。

だから、音楽療法の現場で
子供がハグしてきたら、
ちゃんと受け止めるようにしている。
いろいろな文化が共存し、
さまざまな権利が叫ばれる中、
ハグを強制しない心遣いも、また必要な時代。
でも相手がしてきたら、私に断る理由はない。

ないはずなのだが。

今日、仕事場でウイルスの話が出た。
そのうちキスもハグも禁止されたりして。
仕事仲間は笑ってそう言ったが、
私はそれを聞き、軽くショックを受けた。
そうなるかもな。
いったん感染者が出始めたら、
キスもハグも「ダメ」になるかもな。

生活の隅々に行き渡り、
体にすっかり馴染んだやりとりを、
突然禁止されたら、
きっとしんどいだろうな。

その一方で、
そうなったら助かるなと思っている自分もいた。
感染云々がここでも具体性を帯びれば、
自分がハグをためらい始めるのは
時間の問題だ。
いっそ禁止でもしてくれれば、
ハグされたらどうしようと悩むこともない。

でも、子供たちはどうなんだろう。
いつもの調子でハグしようとして、
相手に拒否されたら。
頭では理由がわかっていても、
その瞬間、たぶん、
心も体も相当に痛いんじゃないか。

ハグ命のあの子たち、どんな風に感じるだろう。
自分のハグを、私が一瞬でもためらったら。

「ダメ」の果てに何があるのかは、
やってみないとわからないけれど。
「ダメ」と言われたところで、
守れるのかどうかわからないけれど。

たかがハグに、自分が試される。

今日の歌。
Vaundy  ”不可幸力”。

やっぱりキスもハグも、いるんだよなあ。
歌とアニメーションの幸福なコラボ。
ちなみに私は、このカラスが好き。



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