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今井むつみ/秋田喜美『言語の本質』にて(アイコン性の輪)
今回の記事は、過去の記事「今井むつみ/秋田喜美『言語の本質』にて(オノマトペ)」のつづきです。記号接地問題とオノマトペに触れました。
著者たちの感性で迫る哲学的平面は、深いですよ。
本章前半では、世界を模倣して始まった言語が、語彙が成長するにしたがってアイコン性が薄まり、言葉の形式(音)と意味の関係が恣意的になっていく過程について述べた。しかし、単語の数が増えると、単語同士が関係づけられ、体系化されていく。体系化によって、語彙が整理され、同じ要素やパターンを持つ単語のクラスターができてくると、クラスターの成員の間で「似ている」感覚が生まれる。二次的なアイコン性が生まれるのである。結局言語は、……「一次的アイコン性→恣意性→体系化→二次的アイコン性」と、アイコン性と恣意性の間の関係を変えていき、最終的には両者の間の絶妙なバランスができる。私たちはこれを「アイコン性の輪」仮説と呼ぶ。
本書の用語を、次の図に、黒色のゴシック体で取り出しました。
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この哲学的平面に、次の四つの気づきも集約しておきたい。
・記号接地問題は「一次的アイコン性」が解決するのでは。
・言葉遣いのカスタマイズが「恣意性」を助長するのでは。
・単語には意味があるという洞察が「体系化」の原動力か。
・認知バイアスは「二次的アイコン性」で固定されるのか。
この哲学的平面は、井筒俊彦『意識の形而上学』と同等に深いのです。井筒さんは、仏教系の思想哲学「大乗起信論」を読み解いて、コトバ以前、意味が偶成される前のカオスに迫っています。しかし、用語が専門的すぎて、近づきがたい。「不覚」の構造とか、「熏習」的メカニズムとか・・・。
以上、言語学的制約から自由になるために。つづく。