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井筒俊彦『意識の形而上学』を読む

とくに、第三部で説かれる「九相」を取り上げます。それが、深い。

『大乗起信論』では、「覚」を否定する「不覚」を分析しているそうです。

個的実存の意識を「妄」界のしがらみに巻きこんでいく「不覚」形成のプロセスを、『起信論』は九の段階に分けて記述する。その九段階を、述語的に「九相」と呼ぶ。――p.115

さて、九相は、次の図で示すように、渦を巻いているのではなかろうか。

この図は独学の具体例の一つにすぎません。

私は九相を四つに見分けます。そして、業相と相続相と業繋苦相は直感を、見相と執取相は自我を、現相と計名字相は認知を、智相と起業相知覚を、それぞれ深刻化しているものと読み取りたい。

また、九相の展開を促す作用を想定して灰色の矢印で表します。矢印が指す言葉は作用の特徴です。より適切な言葉があるかもしれないが……。

「保管」作用は、無意識的な揺らぎを意識へ運ぶ。
「修身」作用は、生き延びるための自我を企てる。
「対峙」作用は、非自我を対象として気づかせる。
「交錯」作用は、認知内容を知覚内容にかぶせる。

私としては、たぶん、「保管」「修身」「対峙」「交錯」の四つが、第三部の後半で説かれる「薫習(くんじゅう)」現象の中身だと思います。

ところで、智相と起業相知覚領域は、カオス性が最も高い領域です。その領域で、哲学者ハイデガーが指摘する「おしゃべり」やウィトゲンシュタインが指摘する「言語ゲーム」が現象しているのではないでしょうか。

以上、言語学的制約から自由になるために。つづく。