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アーシュラ・K・ル=グウィン『文体の舵をとれ』にて(物語の流れ)

今回の記事は、過去の記事「アーシュラ・K・ル=グウィン『文体の舵をとれ』にて(文体のリズム)」のつづきです。

やはり、ル=グウィンは、スピリチュアリストだな。

わたしは、自分の書くものが聞こえるのです。本当に若かったころは、詩の執筆から始めたものです。かつてはいつもそれが、自分の頭のなかに聞こえました。執筆のことについて書く人でも、どうやらそれが聞こえておらず、耳を澄ませもしていない人が多いということは、わかっています。その人たちの知覚では、理論や理屈がもっと優先されているのです。でも、自分の体のうちにそういうことが起こっているのなら、自分の書くものが聞こえているのなら、正しいリズムにも耳を澄ますことができるはずで、その助けを借りれば、文章もはっきりと流れていくことでしょう。それに、若い書き手がいつも話していることですが――〈自分の声を見つけること〉――そう、それに耳を澄ませもしないで、自分自身の声が見つかるわけありません。自分の文章のひびきは、その行為の核になるものです。

――p.243 訳者解説 『執筆をめぐる談話集』からの引用

 語りの文章の主な役割は、次の文へとつなぐこと――物語の歩みを止めないことだ。前へ進む流れ歩調リズムとは、本書でこれから何度も立ち返る語である。歩調と流れは、何よりもリズムに左右される。そして自分の文体のリズムを実感して制御する第一の手段が、文に対する聴力――文のひびきに耳を澄ませることなのだ。

――p.23 第1章「自分の文のひびき」

ル=グウィンが創作する物語の流れは有機的な時間です。その流れは、決して、科学的なエントロピーの法則に従う無機質な時間ではない。

 技芸アート制御コントロールの問題とみなす人がある。わたしは、技芸を自己の制御の問題と見ている。つまりはこんなふう――わたしのなかに、語られたがっている物語がある。それがわたしの目的であり、自分こそがその手段だ。もし自分で自己と自我を、自分の願いや意見を、心中のくだらないことを、邪魔にならないよう何もかも追い出した上で、物語の焦点を見つけ出し、物語の流れに従ってゆけたのなら、きっと物語がおのずから語り出す。
 本書で話してきたあらゆることは、物語に自らを語らせるための準備に関わり合うはずのものだ。技術を得ることも、技巧を知ることも。それがあれば、魔法の船がやってきたときにも、そこに乗り込んで舵がとれよう――その船の行きたいところへ、その船の行くべきところへ向けて。

――pp.215-216 第10章「詰め込みと跳躍」

二カ月前の私には気づけなかったことだが、物語の作家とファシリテーターは、どちらも、有機的な時間の創作に挑戦していたようですね。

物語作家の時間は、全身の細胞から湧く発想の連鎖であり、ファシリテーターの時間は、言語共同体に参加する人たちの意見の連鎖なのだ。

以上、言語学的制約から自由になるために。別の記事へ派生させます。