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後醍醐天皇御陵と⛩金崎神宮との神風串呂 (№37)

このオンラインブックは、神皇正統家極秘伝 神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)について記述したものです。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。

元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれていますが、その結界とは、神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)のことだったのです。

串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。 地名(地文ちもん)に秘められた天地神明からの啓示を解明する学問が神風串呂しんぷうかんろ(串呂哲学)です。

ここでは、「後醍醐天皇御陵(吉野山)と金崎神宮(敦賀市)とを結ぶ神風串呂」をご紹介し、詳しい解説をしています。 

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!

串呂主宰神(伊勢神宮の大神)が、長期間掛け苦心惨憺くしんさんたんの末に構築された神風串呂に学べば、我が国は天佑神助により日本民族本来の力を発揮出来るようになるでしょう。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を無視もしくは敬遠していると、無秩序な群雄割拠ぐんゆうかっきょの戦国時代(120年以上)に無辜むこの民が味わった塗炭とたんの苦しみを、国際的な規模で再体験することになるのではないかと心配しています。


1、授禅じゅぜん(譲位)を表わす串呂の地文「親の谷」

奈良県十津川村に雌滝・雄滝で有名な「親の谷」という地名が有ります。「親之谷」とも表記しますが、日本国内唯一のユニークな地名です。

串呂哲学では、この「親之谷」は、授禅(譲位)を表わす地文です。

また和歌山県東牟婁郡古座川町に「一雨」という地名があります。日本国内唯一のユニークな地名で、難読地名のひとつです。地元の人以外は読めないでしょう。もちろん「ひとあめ」でも「ひとさめ」でもありません。

今回は、吉野の「後醍醐天皇御陵」と敦賀市の「⛩金崎宮」(⛩金崎神宮と尊称)との神風串呂をご紹介します。


2、串呂哲学の理解を助ける予備知識

始めての方は、下記の記事を参照してください。


3、後醍醐天皇御陵と⛩金崎神宮との神風串呂



三浦芳聖は、「後醍醐天皇御陵」から、「金崎神宮」に串呂すると次の様になると述べています。

  「親の谷」(十津川村)-「後醍醐天皇御陵」(吉野町)-「霊仙寺」(栗東市)-「白鬚神社」(高島市)-「金崎神宮」(敦賀市)

(『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』本文20頁、現住所に改めた)

【地文のみ掲載】
「親の谷」-「後醍醐天皇御陵」-「霊仙寺」-「白鬚神社」-「金崎神宮」

【地文の解釈】(地名に地図がリンクしています。)
(1)親の谷(おやのたに、奈良県吉野郡十津川村小井)

親ノ谷(奈良県吉野郡十津川村小井)(国土地理院地図)

親之谷とも書く。三浦芳聖は、皇位の継承を表わす地文だと述べている。

「後醍醐天皇」には、五十六人の皇子、皇女がありますが、他の皇子、皇女の宮や墓と串呂しても「親之谷」と串呂しているのは、「尊良天皇」と「興国天皇」と御二方のみであります。(同上著21頁)

「親の谷」は、授禅(譲位)を表わす地文であり、この串呂上にこの地文が存在しているのは、後醍醐天皇が皇位を譲ったのは「金崎宮」の祭神である尊良親王(南朝東山天皇)であることを天地神明が証明しているのです。

昭和25年(1950年)8月15日、豊川市市田町諏訪林(諏訪二丁目)に転居した三浦芳聖に、後醍醐天皇が神懸かりして「次の皇位継承者は守永親王に譲位する事という条件はつけたが、私が譲位したのは尊良親王だけである。他には誰にも譲位していない。どうか信じてもらいたい。」と告げられたことを証明している地文です。

【参照】三浦芳聖伝 48、豊川市へ転居 3、後醍醐天皇の御神示

神器の授受と皇位の継承について滝川政次郎博士は『日本歴史解禁』(58~59頁/創元社/1950年)で次のように述べています。

神璽としての三種の神器は観念であって物ではない。皇位の継承に当って重んぜられるべきは被継承者たる天皇の御意思乃至は天皇家の家長である上皇の御意思であって、三種の神器ではない。三種の神器の授受は、被継承者たる天皇の意思を認証する登記手続きのようなものに過ぎない。従って被継承者たる天皇の意思に反して授受された神器は無効であるべきである。脅迫、詐偽、強奪によって獲られた神器は、縦えそれを取得した者が皇胤であっても、断じて皇位の表徴と認むべきでない。
 (新漢字・新仮名遣いに改めた)

(2)後醍醐天皇塔尾陵(吉野郡吉野町大字吉野山如意輪寺裏山)  
後醍醐天皇 塔尾陵(ごだいごてんのう とうのおのみささぎ)は、塔尾山椿花院如意輪寺裏山にある北面の後醍醐天皇の御陵

塔尾御陵
後醍醐天皇塔尾陵

後醍醐天皇、「諱は尊治(たかはる)。 大覚寺統の天皇。第96代の天皇および南朝初代天皇。元弘の乱で鎌倉幕府を倒して建武新政を実施したものの、間もなく足利尊氏との戦い建武の乱に敗れたため、大和吉野へ入り、南朝政権(吉野朝廷)を樹立し、尊氏の室町幕府が擁立した北朝との間で、南北朝の内乱を開始した。」(『ウィキペディア(Wikipedia)』後醍醐天皇


(3)霊仙寺(りょうせんじ、滋賀県栗東市)

霊仙(りょうせん)=霊線(りょうせん)で、この線(串呂)が重要な串呂であることを昭示するしている。

滋賀県栗東市霊仙寺に「大宝西小学校」「大宝西幼稚園」がある。この串呂は後醍醐天皇から皇位継承されたのが、尊良親王(天皇と尊称)であることを昭示する串呂なので、着目してみました。


(4)白鬚神社(しらひげじんじゃ、滋賀県高島市鵜川)
御祭神は猿田彦命。延命長寿白鬚の神。白鬚大明神。この串呂の守護神。

白鬚しらひげ神社の湖中鳥居(滋賀県高島市鵜川)

近江最古の大社で、社記によると垂仁天皇の25年(第11代・2000余年前)、皇女倭姫命が社殿を御創建(御再建とも)、天武天皇(第40代)の白鳳3年(675年)勅旨を以て「比良明神」の号を賜るとある。


(5)金崎神宮(かねがさきじんぐう、福井県敦賀市金ケ崎町)
尊良天皇と恒良親王を祭神とする神社。天皇を祭神とする神社ですので、串呂哲学では「金崎神宮」と尊称しています。

【参照】金崎神宮についての詳細はこちらをご覧ください。

4、この串呂の解釈と串呂哲学的考察

[親の谷]-[後醍醐天皇御陵]-[霊仙寺]-[白鬚神社]-[金崎神宮]

三浦芳聖は、この串呂は「尊良天皇」が「後醍醐天皇」から皇位を継承したことを表わす串呂だと述べています(同上著21頁)。「親の谷」という地文が、授禅(譲位)を表わす地文であるというのです。

「⛩金崎神宮」は、後醍醐天皇から皇位を継承した「尊良天皇」のお宮であると「⛩白鬚神社」が立証している。

三浦芳聖は、神風串呂137号22頁で(昭和42年2月28日発行)で、「親の谷」から南方に延長すると、「高瀬峠」(和歌山県田辺市本宮町蓑尾谷)、「一雨」(和歌山県東牟婁郡古座川町) を串呂すると述べています。

高瀬峠は尊瀬峠で、尊良・尊治、両天皇に通ずる地文です。

和歌山県田辺市本宮町蓑尾谷(国土地理院地図)

一雨(いちぶり)は、三浦芳聖が金崎神宮へ参拝すると必ずパラパラと雨が(冬なら雪が)降るというのであります。

数えの34歳という若さで御自害された尊良天皇の無念の思いが、この「一雨」という地文に昭示されていると云うばかりか、実際に雨が降るというのですから、串呂とは不思議な世界です。

和歌山県東牟婁郡古座川町(地図マピオン)

蛇足の感がしますが、「後醍醐天皇御陵と⛩金崎神宮との串呂」を地図検索で細部に渡って研究した所、下記のような地文が串呂していましたので、参考の為ご紹介します。(新出地名には、地図がリンクしています。)

一雨」(古座川町)-「高瀬峠」(本宮町)-「親の谷」(十津川村)-「後醍醐天皇御陵」(吉野町吉野山)-「霊仙寺」(栗東市)-「大門町」(滋賀県守山市)-「⛩白鬚神社」(高島市)-「⛩金崎神宮」(敦賀市)-「上野」(福井県丹生郡越前町)-「天王」(福井県丹生郡越前町)-「上野町」(福井県福井市)
 
金崎神宮は、後醍醐天皇から皇位を継承した「尊良天皇」のお宮であり、その皇位継承者は、上野太守・守永親王であると「白鬚神社」が立証しているとなります。

「尊良天皇」とその第一皇子「上野太守・守永親王」は、セットであるようです。下記の神風串呂と同じ地文「上野」が二つも串線しています。

尊良親王が皇位継承者である事を昭示する神風串呂(№18)
[上野]-[与位]-[高長]-[高御位山]-[高甲良山]-[八尺鏡野]
この串呂は、甲辰年生まれの尊良天皇は、神皇正統の皇位を継承した天皇であり、上野太守・守永親王に譲位したと解釈いたします。

最後までお読みいただき有難うございます。私は、現在は日本歴史始まって以来の国難到来の危機だと考えています。なぜかといいますと、ほとんどの国民にその自覚(危機意識)がないからです。

現在、世界に先駆けて進行中のわが国の少子高齢化社会の本質は、皆さんよくご存じのとおり「人口の減少化」ということです。

帝京科学大学の山田健司教授によれば「この人口の減少化は止まる所を知らず、日本の人口は、2105年には約4000万人となり、人口減少が止まるのは約3000万人前後になった時」との予測が出ています。(10年前の話です。)

現在は、この人口減少予測に、福島第一原子力発電所事故による影響と疫病での死者数増加(原因は〇入り〇クチン)が加わって、日本はもうじき「毎年100万人ほどが消滅する国へ」という情報が出ています。

我が国は、実に大変な状況にあるという中で、その危機意識が乏しいことが国難到来だと思うのです。

なぜ、我が国が、このような危機的な事態に到っているのかを考える一つの材料として、神風串呂をご紹介しています。

読者の皆様方のご感想をお待ちしています。



💟串呂文庫

🔴三浦芳聖著「神皇正統家極秘伝 明治天王(睦仁)の神風串呂」復刻版
🟢三浦芳聖著「五皇一体之八幡大明神 三浦芳聖 降誕号」復刻版
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🟢三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(デジタル復刻版)
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🔴情報拡散のお願い

この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。


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串呂哲学研究会 鈴木超世志
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