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地文学への招待-「神母野」(串呂哲学研究ノート第276号)

💖このオンラインブックは、高知県高岡郡中土佐町大野見おおのみ神母野いげのという地名は、伊勢神宮の大神の叡智えいちに基づく神経綸かみしくみによって、真日本国再建のために用意周到よういしゅうとう、計画的に構築され命名された串呂地文である事を考証した世界で最初の小論文です。


💫真日本国再建のため、霊戦を開始しよう!

🔴真日本国再建のため、いますぐ霊戦を開始しよう!
私は、朝夕「大祓祝詞おおはらいのりと太祝詞ふとのりと斎鏡斎穂之神勅さいきょうさいすいのしんちょく十言神呪とごとのかじり神名奉誦しんめいほうしょう三種祓詞みくさのはらいことばなど)」を約40分ほど掛けて奏上し、真日本国の再建を熱禱祈願しています!

🔴残念ながら、今のままでは我が国は、異民族の隷属れいぞく国(保護国)に甘んじつつ、ついには亡国への坂道を転げ落ちる道しか残されていないように思えてなりません(満州国がその前例です)。

🔴この亡国の危機にひんしている日本国再建の大道は、わが国の守護神であり指導神霊である伊勢神宮の大神(天照大御神)に中心帰一して、日々惟神かんながらの生活を実践し、日高見国ひだかみのくに・縄文日本国としてよみがえることであると確信しています。

🔴神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)は、地文ちもん(地名)を研究することで天地神明の存在を認識することのできる神道皇霊学しんとうこうれいがくで、真日本国再建のため皇祖神(天照大御神)によって構築されました。

🔴主権在民の我が日本国です!良きにつけ悪しきにつけ、現在の我が国については、われわれ国民一人一人に責任がありますし、悪政を放置した結果、痛い目にうのも我々一般国民です。真実に目覚め、真日本国再建の為には日々の研鑽けんさん・学習・戦いが必要です!

🔴真日本国再建のため、いますぐ霊戦を開始しよう!

著者 鈴木超世志


💫祈りには想念以上の力がある!

あなたの熱心な祈りは確実に全人類に影響を与えます!いま我が日本国は存亡の危機にひんしています。宇宙に向って全身全霊を尽して祈りましょう!


💫串呂哲学の理解を助ける予備知識
初めての方は、下記の記事を参照してください。


💖「神母野いげの」-地文学への招待 №12

四万十川(高知県高岡郡中土佐町)

🟡神母野(いげの)について

高知県高岡郡中土佐町大野見おおのみ神母野は「いげの」と読みます。例によって国内唯一の地名で、清流「四万十しまんと川」の中流域にあります。

高知県高岡郡中土佐町大野見 神母野(地図マピオン)

神母(いげ)は、四国特有の言葉(地名・姓名)のようで、高知県香美かみ市土佐山田町に「神母ノ木いげのき」という類似の地名があります。

神母(いげ)の地名の由来(語源)は、「イ=稲、ゲ=毛で稲の意味」や「池(イケ)⇒イゲ=井」から来ているという説が有力なようです。
神秘な地名「神母ノ木」

串呂哲学では「神母」は「じんぼ」と読み、文字通り母神ははがみを表わす地文で、五皇一体ごこういったいの八幡大明神・三浦芳聖の五人の「母神たち」(五人の皇太后)を表わします。

🟣始神はじめがみ=五皇一体の八幡大明神・三浦芳聖
🟠神母じんぼ=「天母てんぼ妙覚之大神みょうがくのおおかみ」とたたまつる母神たち=五皇太后

(詳細後述)最後まで、ご一読下さい。


高知県高岡郡中土佐町


🟡伊東市小室山と小室門院元子媛命御陵妙覚塚みょうがくづかとの神風串呂

それでは、この高知県高岡郡中土佐町大野見の「神母野いげの」という地名を串呂哲学による「地文学ちもんがく」で考証しましょう!

三浦芳聖が解明した大野見「神母野いげの」を串線する串呂の中で、代表的な串呂は下記の図の静岡県伊東市の「小室山こむろやま」と静岡県牧之原市大寄おおより小室門院こむろもんいん元子媛命もとこひめのみことの御陵、通称「妙覚塚みょうがくづか」とを結んだ串呂です。

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第五章

祭場まつりば」—「小高島こだかじま」―「神母野いげの」―「始神はじかみ」—「小室門院こむろもんいん御陵・妙覚塚」—「小室山こむろやま」―「芳賀はが

今回は、この南西から3つ目に位置している「神母野いげの」について考察を深めていきたいと思います。

🟡神母野(いげの、高知県高岡郡中土佐町大野見)

繰返しになりますが、神母野いげのは、例によって国内唯一の地名です。串呂哲学では「神母」は「じんぼ」と読みます。

高知県高岡郡中土佐町大野見の解読 
岡―小島―森町祭場・・・標高135.5mの妙覚塚
大野―王野=皇野(野は墓地を表わす。野辺の送り)=御陵

神母じんぼ」は文字通り母神ははがみを表わす地文で、始神はじめがみ五皇一体ごこういったいの八幡大明神・三浦芳聖の母神ははがみたち(五皇太后)を表わします。

五皇
神武じんむ天皇・応神おうじん天皇・後嵯峨ごさが天皇・後村上ごむらかみ天皇・松良まつなが天皇

*三浦芳聖の晩年の著書には「尊良天皇」を五皇の一人としている記述もありますが、これは今後の研究課題と致します。

母神たち(五皇太后)
玉依媛命たまよりひめのみこと神功じんぐう皇后・源通子みなもとのみちこ(贈皇太后)・新待賢門院しんたいけんもんいん小室門院こむろもんいん

🟣始神はじめがみ=五皇一体の八幡大明神・三浦芳聖
往昔、大宝天皇の熱闘祈願により、天照大御神がこの世への派遣を約束された五皇一体の「聖皇せいこう

🟠神母じんぼ=「天母てんぼ妙覚之大神みょうがくのおおかみ」と称えまつる母神達(五皇太后)

三浦芳聖は、静岡県牧之原市大寄の小室門院御陵・妙覚塚に、昭和35年(1960年)頃、おやしろを建立し、「天母てんぼ妙覚之大神みょうがくのおおかみ」として鎭祭ちんさいしました。

小室門院元子媛命御陵「妙覚塚」昭和35年(1960年)頃

🟡五皇太后についての資料

🟠玉依媛命(神武天皇の母)
*賀茂御祖河合神社にて奉斎
*御陵は兵庫県多可たか岩座神いさりがみ千ヶ峰せんがみね中腹(霊示)

🟠神功皇后(応神天皇の母)
*御陵は奈良市山陵町の五社神ごさし古墳
*神宮は、御香宮ほか多数
*三浦芳聖の訓育監督神

🟠贈皇太后・源通子(後嵯峨天皇の母)
*御陵は未確認
*1221年辛巳かのとみ年帰幽

🟠新待賢門院・廉子(後村上天皇の母)
*御陵は観心寺境内のコウボ坂陵墓参考地ほか(未確定)
*1301年辛丑かのとうし降誕、1359年己亥つちのとい年帰幽
辛丑かのとうし辛巳かのとみ辛酉かのととり辛丑かのとうしと転化する(干支学・三合)。

干支の転化は「丑→巳→酉」と転化する
巳が中心的な干支

🟠小室門院元子内親王(松良天皇母)
*御陵は妙覚塚(1948年9月発見)
*天母妙覚之大神として奉斎(妙覚塚)
*1341年二黒土星じこくどせい辛巳かのとみ年生れ(三浦家系図)
*1394年三碧木星さんぺきもくせい甲戌きのえいぬ年帰幽(霊示と串呂で判明)
・・・・・
🟠河合元子(籍名もと、通称茂登子、三浦芳聖の母)
圓室えんしつ妙覚みょうがく大姉たいし、墓地は神戸市高坐たかくら(霊園開発で移転した)
* 1881年5月10日、二黒土星じこくどせい辛巳かのとみ年生れ
*1934年6月26日、三碧木星さんぺきもくせい甲戌きのえいぬ年帰幽

【解説】
五皇一体の八幡大明神が三浦芳聖であるなら、その神母(天母)は、三浦芳聖の母「河合元子」であるというのが道理であります。

三浦芳聖の母・河合元子の法名「圓室妙覚みょうがく大姉たいし」と「妙覚塚」の「妙覚」がおなじである点、神秘的な一致現象です。

三浦家の系図には、小室門院元子媛命の降誕年は、興国2年(1341年)二黒土星じこくどせい辛巳かのとみで、48歳の時、足利義満率いる15万の大軍に急襲され、富士谷の御所が壊滅したと記載されていましたが、終焉の地は不明で、妙覚塚についての記載は一切ありませんでした。

小室門院元子媛命の帰幽年は「霊示と串呂」で判明したのです。小室門院元子媛命は三碧木星さんぺきもくせい戌年いぬどしに崩御されたので、芳聖に霊示で「三碧の日は(参拝に)来てくれるな!」とおっしゃったそうです(50年後の現在は不明)。

三浦芳聖の母「河合元子」の誕生日は、明治14年(1881年二黒土星じこくどせい辛巳かのとみ)5月10日です。

三浦芳聖の母「河合元子」(圓室妙覚大姉)が帰幽したのは昭和9年(1934年)で、妙覚塚が発見されたのは昭和23年(1948年)です。

三浦芳聖の母「河合元子」の法名(戒名)「圓室妙覚大姉」と小門院元子媛命の御陵「妙覚塚」や、両者に「」が付いているなどの一致現象は神秘的ですね。(感応道交)。

🟡三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』第五章には、五皇太后のうち、お宮、御陵・お墓の位置が判明している、玉依媛命、神功皇后、小室門院元子内親王、河合元子の母神たちが、同魂同霊であることを昭示した神秘的な神風串呂が数本解明されていますので、1本だけ紹介します。

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』第五章 復刻版

奈良市山陵町の神功皇后の御陵と治定されている「五社神ごさし古墳」は、「実際の被葬者は明らかでない」とされています。
(全国では第12位の規模の古墳)

この山陵町の「五社神古墳」は、「妙覚塚が五皇太后を奉斎した母神たちのお宮・御陵であることを昭示する地文である!」と解読できますね。


🟡まとめ

祭場まつりば」—「小高島こだかじま」―「神母野いげの」―「始神はじかみ」—「小室門院こむろもんいん御陵・妙覚塚」—「小室山こむろやま」―「芳賀はが

この串呂は「興国天皇の皇女小室門院こむろもんいん元子媛命の御陵・妙覚塚は、神母(天母)のお宮・御陵で、始神・三浦芳聖の祭場である。」と解読します。

💖串呂の的確さに驚嘆いたしますね!まことに感激です!

串呂主宰神が、この「神母野いげの」という地名を構築するのに、どんなに苦心されたかは想像を絶する世界です。とうてい人間の力の及ぶところではありません。まさに神風串呂です。

直観力の優れた方なら、もうこの地文を見ただけで、日本の本質は神国であり、この串呂を構築された天照大御神の存在を認識できると思います。ぜひ、国土地理院発行の20万分の1の地勢図をつなぎ合わせて、実際にご確認いただきたいと思います。

🔴串呂地文学で皇祖神の存在を認識したなら、いますぐ行動しなければなりません。目先の欲得で行動していると、国家が滅亡し無辜むこの民が塗炭とたんの苦しみに沈潜ちんせんしなければならない不幸な時代に突入してしまいます。

🔴日本国再建のため、いますぐ霊戦を開始しましょう!


参考資料
三浦芳聖『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(神風串呂講究所/1970年)
三浦芳聖『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版(串呂哲学研究会)
藤原丸山『南朝正統皇位継承論』(南朝史学会/1988年新版)
藤原石山『三河に於ける長慶天皇伝説考』(南朝史学会/1979年)


💖串呂は、実に神秘的に構築されている神道皇霊学であり、地図上ではありますが、視覚により実際に認識できる明確な世界であることが特徴です。
💝信念や想像の世界ではないと言う事です。



串呂クシロ(かんろ)とは

串呂クシロ(かんろ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。

元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだと言われていますが、その結界とは、神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)のことだったのです。串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。

神風クシロ(串呂)は、地文ちもん(地名)を研究することで天地神明の存在を認識することのできる神道皇霊学しんとうこうれいがくで、神国日本再建のために皇祖神によって構築されました。

地名(地文ちもん)に秘められた天地神明の啓示を解明する学問が神風串呂しんぷうかんろ(串呂哲学)です。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!

串呂主宰神(伊勢神宮の大神)が、長期間掛け苦心惨憺くしんさんたんの末に構築された神風串呂に学び、天照大御神の御霊代みたましろである神宝(御鏡)を、富士山麓に奉遷ほうせんして同床共殿にお祭りすれば、いま危機にひんしている「日本国」を救済する道を切り開き、天佑神助により日本民族本来の力を発揮出来ると確信しています。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を無視もしくは敬遠していると、群雄割拠の戦国時代(120年以上)に無辜むこの民が味わった塗炭とたんの苦しみを、国際的な規模で再体験することになるのではないかと心配しています。


🟡串呂哲学研究ノートバックナンバー(総合)

🟠情報拡散のお願い
この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。

三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(№275) 
地文学への招待-小高島
🟢次号(№277)
地文学への招待-芳賀

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串呂哲学研究会 鈴木超世志
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