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五皇一体の八幡大明神「三浦芳聖」立証の神風串呂(№45)

このオンラインブックは、神皇正統家極秘伝 神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)について記述したものです。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)とは、元伊勢伝承で皇祖神が各地を行脚しながら構築した「元伊勢クシロ」の事です。

元伊勢クシロは、皇城守護の結界のことだといわれていますが、その結界とは、神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)のことだったのです。串呂は、極秘で構築されて来たので、そのように言われてきたのです。

地名(地文ちもん)に秘められた天地神明の啓示を解明する学問が神風串呂(串呂哲学)です。

ここでは、「五皇一体の八幡大明神・三浦芳聖 立証の神風串呂」をご紹介し、詳しい解説をしています。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を学ぶことによって、日本が神国である事実を認識し、皇祖神からの神妙なる息吹を体感体得することができるでしょう!

串呂主宰神(伊勢神宮の大神)が、長期間掛け苦心惨憺くしんさんたんの末に構築された神風串呂に学べば、我が国は天佑神助により日本民族本来の力を発揮出来るようになるでしょう。

神風串呂しんぷうかんろ(カミカゼクシロ)を無視もしくは敬遠していると、無秩序な群雄割拠ぐんゆうかっきょの戦国時代(120年以上)に無辜むこの民が味わった塗炭とたんの苦しみを、国際的な規模で再体験することになるのではないかと心配しています。


🔴日本国再建の為の必読書!神風串呂の集大成!オンライン復刻版!



🟡五皇一体の八幡大明神を表わす大明神岬!

京都府京丹後市久美浜町湊宮に「大明神岬」という地名があります。国内唯一のユニークな地名です。

この大明神岬は、串呂主宰神・天照大御神様が大宝天皇に約束された「五皇一体の八幡大明神」を表わす地名です。

京都府京丹後市久美浜町  大明神岬

大明神岬は、久美浜湾の中央部に突き出た岬で、丘に抱かれた円塚は、丹波道主命(たんばのみちぬしのみこと)の古墳と伝えられ、多数の陪塚を伴っています。標高20m程度の海岸段丘地形が広く発達し、湾景の中では最も美しく、古来からその風光の美をたたえられてきました。
(「大明神岬」)

串呂主宰神・天照大御神様は、このように芸術的な才能をも発揮して、五皇一体の八幡大明神を表わす地名を風光明媚な場所に設定され、八幡大明神のこの世への出現に彩りを添えられているのです。

日本発の精神世界「神風串呂」は、日本民族の宝です!串呂主宰神に感謝いたします!


🟠「なぜ神風串呂は構築されたのか」について詳述!


💫串呂哲学の理解を助ける予備知識

初めての方は、下記の記事を参照してください。


🔴五皇一体の八幡大明神立証の神風串呂

三浦芳聖は、三浦芳聖の符号である「由良」(京都府宮津市)と「ありし日の三浦芳聖家」(愛知県豊川市諏訪二丁目)とを串呂すると次の様になると述べています。

🟡串呂図

三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』復刻版 第二章

大明神岬(京丹後市)-大宮(京丹後市)-三重(京丹後市)-由良(宮津市)-⛩白鬚神社(高島市)-⛩八幡神社(東員町)-⛩尾張八幡宮(知多市)-戸田家(東浦町)-卍萬松山大通寺薬師堂(豊川市)-⛩三河八幡宮(豊川市)-天王(豊川市)-在りし日の三浦芳聖家(豊川市)-三浦湾(神津島村)

(『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』本文66頁、現住所に改め、一部新たな研究成果を盛込んだ。)
 
【地文のみ掲載】
大明神岬-大宮-三重-由良-⛩白鬚神社-⛩八幡神社-⛩尾張八幡宮-戸田家-卍萬松山大通寺薬師堂-⛩三河八幡宮-天王-在りし日の三浦芳聖家-三浦湾

🟡【地文の解釈】

(地文に地図がリンクしています。)

(1)大明神岬(だいみょうじんみさき、京都府京丹後市久美浜町湊宮)
大明神は、神名の下につけ、神の尊称である明神のさらに尊称。

八幡宮三串のこの串呂では「八幡大明神」をあらわす。岬は甲(きのえ)の生まれを表わす。五皇一体の八幡大明神・三浦芳聖は明治37年(1904年)9月17日、甲辰年生まれです。

また、白鬚神社(白鬚大明神)とで「大明神二串の確定立証の串呂」を構成しています。

【参照】『ウィキペディア(Wikipedia)』八幡神

(2)大宮町(おおみや町、京都府京丹後市)
大宮は、皇居や神社への敬称。 皇太后への敬称。この串呂では、三浦芳聖の晩年の住所「三浦皇統家大神宮」を表わすと解釈することもできる。

【参照】この京丹後市大宮町には、天照大御神に仕え天皇を守護する八神の一柱であり、織物と酒造を司る大宮売神(おおみやめのかみ)と、食物・穀物を司る女神である若宮売神(わかみやめのかみ、豊受大神)の二神を祀る⛩大宮売神社がある。

(3)三重(みえ、京都府京丹後市大宮町)
文字通り三重(さんじゅう)で、三串 -〇-〇-〇- の神風串呂、即ち重要な串呂であることを昭示する地文。

【参照】三重県三重郡の「御在所山」は、多くの御在所山の中で、日本一重要な御在所山(八大串呂起点)。

🟣御在所山の神風串呂(№211)

(4)由良(ゆら、京都府宮津市)

宮津市由良
京都府宮津市 由良(地図マピオン)

由良は、「よしなが」と読み、三浦芳聖を表わす串呂上の符号です。

【参照】下記の「由良」(宮津市)と同じです。
🟡坂井市正善と宍粟市御名との神風串呂(№43)
「正善」-「由良」(宮津市)-「⛩内宮・元伊勢皇大神社」-「御名」

後醍醐天皇の皇子の名前には「良」が付いていて「よし・なが」の両方に読める。ここから、「よしなが」は、後醍醐天皇の嫡孫家を表わすのではないかと思います。

【参照】由良についての詳細はこちらを参照ください。

(5)白鬚神社(しらひげじんじゃ、滋賀県高島市鵜川)

御祭神は、猿田彦命。延命長寿白鬚の神。別社名「白鬚大明神・比良明神」。この串呂の守護神。大明神岬とで「大明神二串の確定立証の串呂」を構成している。

白鬚しらひげ神社の湖中鳥居(滋賀県高島市鵜川)
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滋賀県高島市鵜川 白鬚神社(地図マピオン)

近江最古の大社で、社記によると垂仁天皇の25年(第11代・2000余年前)、皇女倭姫命が社殿を御創建(御再建とも)、天武天皇(第40代)の白鳳3年(675年)勅旨を以て「比良明神」の号を賜るとある。
『ウィキペディア(Wikipedia)』白鬚神社

【参照】後醍醐天皇御陵と金ヶ崎神宮の神風串呂
親の谷-後醍醐天皇御陵-霊仙寺-⛩白鬚神社-⛩金崎神宮

【参照】三浦芳聖降誕地(岡崎市牧平町)の氏神様は、この白鬚神社(白鬚大明神)を勧請して、祭礼の日には「小松白鬚大明神」という幟を立てたと述べている。下記を参照ください。三浦長太夫助廣の名前が出ている。

崇徳天皇御代、永承3年(1134)12月18日・近江国(志賀県)三井寺の住僧光件、近江国滋賀郡小松村鵜川より、白髭神社を当村深沼(暮田)に勧請し尊号を深沼大明神(白髭大明神の別号なり)と称し、神職を立て神領を納め同時に神宮寺を建てて自ら別当となる。後、明応2年(1493)3月・神宮寺、浄心阿闇梨(あじゃり)男川の辺りに遷座し奉る。後、男川の辺りは水音高く水難多き故に、明暦4年(1658)2月29日・三浦長太夫助廣、現今の所に遷座す。岡崎市と神社「豊富神社」

(6)八幡神社(はちまんじんじゃ、三重県員弁郡東員町八幡新田)
三重県員弁郡東員町にある八幡神社。主祭神「誉田別命」。他の「八幡宮」とで「八幡神社三串」(地名も八幡)の絶対確証の串呂を構成している。

三重県員弁郡東員町八幡新田 八幡神社(地図マピオン)

(7)尾張八幡宮(おわりはちまんぐう、愛知県知多市八幡)
知多市八幡にある八幡神社。尾張八幡神社。主祭神「誉田別命」「息長帯姫命」「玉依姫命」。他の「八幡宮」とで「八幡神社三串」(地名も八幡)の絶対確証の串呂を構成している。

愛知県知多市八幡(地図マピオン)

(8)戸田家(とだけ、愛知県知多郡東浦町)
三浦芳聖が奈良、京都へ出張するときに宿泊する行在所。近くの生路町森腰には三浦佐久姫を祭る伊久地神社・神后庵がある。

この地域一帯には大宝天皇を最後まで支えた「三浦佐久姫」の家来や新田氏の家来の末裔たちが住んでいる。

(9)萬松山大通寺薬師堂(愛知県豊川市御油町西沢5)

大通寺
愛知県豊川市御油町西沢5(地図マピオン)

萬松山大通寺薬師堂(ばんしょうざん だいつうじ やくしどう)は、松良天皇が開基した薬師堂で松良天皇隠棲の地。御油町美世賜(西沢5)にある。

岡崎市夏山町「寺野薬師堂」には、大宝天皇が松良天皇を薬師如来として陰祀された。

伝統的に皇室と結びつきが強かった天台宗(台密)では、薬師如来が東方浄瑠璃世界の教主であることから、東の国の帝たる天皇と結び付けられもした。『ウィキペディア(Wikipedia)』薬師如来

三浦芳聖は「神武・応神・後嵯峨・後村上・松良、五皇一体の八幡大明神」ゆえ、三浦芳聖の串呂上に松良天皇(正良)に関連した地文(萬松山大通寺薬師堂、松長、松永、正吉など)が通る。

松良天皇は、萬松山大通寺薬師堂に隠棲中の1417年(応永24年)5月24日、三州平原(愛知県西尾市)の最巌寺に出張中、何者かにおびき出され三州高浜の衣浦湾(愛知県高浜市)にて暗殺され崩御(54歳)。

(10)三河八幡宮(みかわはちまんぐう、愛知県豊川市八幡町)
国分寺鎮護のために建てられた神社。創建年代は白鳳時代(7世紀半ば)で、大分県宇佐八幡宮から勧請されたと伝えられている。

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三河八幡宮

御祭神は、第一殿に応神天皇、第二殿に天照大神の三姫神(田心姫命 、湍津姫命 、市杵島姫命 )、第三殿に神功皇后が祭られている。社殿は国の重要文化財に指定されている。他の「八幡宮」とで「八幡神社三串」(地名も八幡)の絶対確証の串呂を構成している。

愛知県豊川市八幡町(地図マピオン)

三河八幡宮のHP
この「三河八幡宮」は、戦後、三浦芳聖が太陽凝視直拝の行を敢行し、神界より秘法を伝授された所で、三浦芳聖の晩年には、毎月2回ほど門人を随行せしめて参拝し、一時間ほどの秘法祭祀を厳修していた。

(11)天王(てんのう、豊川市八幡町)
天皇に同じ。五皇一体の八幡大明神・三浦芳聖の串呂ですから、「八幡町天王」が串呂するのは道理です。

豊川市八幡町(地図マピオン)

(12)在りし日の三浦芳聖家(愛知県豊川市諏訪二丁目)

三浦家
愛知県豊川市諏訪二丁目(地図マピオン)

三浦芳聖は、昭和25年(1950年)8月13日より昭和46年(1971年)3月30日に帰幽するまでの約20年半、豊川市市田町諏訪林三十七番地(豊川市諏訪二丁目)に居住し、神風串呂講究所を開設して、神風串呂を解明し公表した。三浦芳聖終焉の地でもある。詳細はこちらを参照ください。

(13)三浦湾(みうらわん、東京都神津島村字三浦)

神津島三浦湾
東京都神津島村字三浦(地図マピオン)

三浦をあらわす。神津島村字三浦の三浦湾で三浦二串に相当する重要地文。神話によれば伊豆の島々を造った神様が集まる所ということから「神集島」が生まれ、それが転訛して神津島といわれる。古文書のなかには「神集島」と書いているものもあるという。

【参照】「三浦」について

🟡この串呂の解釈と串呂哲学的考察

大明神岬-大宮-三重-由良-⛩白鬚神社-⛩八幡神社-⛩尾張八幡宮-戸田家-卍萬松山大通寺薬師堂-⛩三河八幡宮-天王-在りし日の三浦芳聖家-三浦湾

この串呂は、三浦芳聖(由良)は、大宝天皇の祈念によって、天照大御神よりこの世に派遣された、五皇一体の八幡大明神に間違いないことを昭示する「大明神岬」「八幡宮三串」で「三浦芳聖晩年の住所」「三浦湾」を貫く実証の神風串呂です。「白鬚神社(白鬚大明神)」は、この神風串呂の守護神です。

【参照】大宝天皇の祈念については、こちらをご覧下さい。

完璧な素晴らしい神風串呂で、串呂主宰神のご苦心・ご配慮のほどが偲ばれます。只々感謝のほか有りません。

串呂主宰神・天照大御神様は、日本国が外国軍によって占領されるという歴史上未曽有の国難の時に、日本民族を救済するために、五皇一体の八幡大明神を派遣して下さったのですが・・・

三浦芳聖が、串呂を解明して公表しても、高度経済成長に眩惑された、日本国政府および有識者は、これを敢えて理解せず、敬遠もしくは無視する状態でした。

某愛国団体にいたっては、よく調べもせずに、機関紙を使って三浦芳聖を糾弾したので、天照大御神様は、お怒りになって、昭和34年(1959年)9月、伊勢湾台風が発生した事は既に述べました。(串呂哲学研究ノート№43

それから、約9年後の昭和43年(1968年)8月、日本神界は、三浦芳聖による日本民族の救済計画を放棄されまして、三浦芳聖の神界への引き上げが決定したのです。その象徴的事件が、大勢の犠牲者が出た「飛騨川バス転落事故」でした。

三浦芳聖には、「これまで解明した神風串呂の著書を出版するように」という御神諭があり、二年後の1970年10月『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』が出版されるや、天照大御神様は、その翌年3月30日、三浦芳聖を神界に召し返されてしまわれました。誠に残念なことでした。

『ウィキペディア(Wikipedia)』飛騨川バス転落事故

濁流に沈んだバスから、乗客ではただ一人生き延びた成田良正さん(64)が、岐阜新聞の取材に応じた。

乗客で唯一生存の男性 14歳の記憶、初証言(2018年08月21日)

🟢後醍醐天皇の皇位を継承したのは誰かについて、歴史資料を示し、さらに串呂で証明した串呂哲学の概説書かつ神風串呂の入門書!


💟串呂文庫

🔴三浦芳聖著「神皇正統家極秘伝 明治天王(睦仁)の神風串呂」復刻版
🟢三浦芳聖著「五皇一体之八幡大明神 三浦芳聖 降誕号」復刻版
🟠三浦芳聖 著「神風串呂神伝」
🟢三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』(デジタル復刻版)
🔴神風串呂入門-神皇正統家極秘伝(鈴木超世志)


🔴バックナンバー(総合)

🟡情報拡散のお願い

 この記事に到着された貴方様とのご縁に感謝しています。これは皇祖神・天照大御神から地上に派遣された神皇正統嫡皇孫・三浦芳聖が解明した神風串呂の紹介記事です。
 三浦芳聖が解明した神風串呂には、日本民族の進むべき道が、明確に示されています。日本民族の危急存亡の時に当たり、一人でも多くの方に読んで頂けるよう、この情報を拡散下さいますよう、宜しくお願い致します。

串呂主宰神は、なぜ、長期間かけて神風串呂を構築し、このように神皇正統の天皇を顕彰されるのか!この一点を徹底的に講究しますと、神風串呂の要諦が理解でき、今我々は、何を第一とすべきかが分かります。ここに日本民族の存亡が掛かっているのです。真実に目覚めましょう!

2千年以上の長年月を掛け神風串呂を構築された、串呂主宰神・天照大御神様のご苦心と、生涯を掛けて神風串呂を解明された三浦芳聖師のご努力が、日本国と日本国民の皆様の幸せの為に生かされますよう願ってやみません。

神風串呂は、神界から日本民族への目に見えるメッセージ(啓示)です。

神風串呂と神風串呂に昭示されている「神皇正統家」は日本民族の宝です!さらに研究を進めましょう!

一人でも多くの方に、神風串呂の存在をシェアして頂きますよう宜しくお願いします。

神風串呂を主宰しておられる神様は、天照大御神様ですので、串呂の存在を一人でも多くの方々にお知らせすると、天照大御神様がとてもお喜びになられます。

出典は三浦芳聖著『徹底的に日本歴史の誤謬を糺す』を始め『串呂哲学第一輯』『神風串呂』『串呂哲学』『串呂哲学と地文学』『神風串呂の解明』等、通算181号(いずれも神風串呂講究所発行、1955年~1971年) を参考にして、研究成果を加味しました。

🟡前号(№44)   
🟢次号(№46)

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🟡最後までお読みいただき有り難うございます。
串呂哲学研究会 鈴木超世志
ブ ロ グ 串呂哲学研究会
メ - ル(shinpukanro024@yahoo.co.jp)
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読者の皆様方のご支援に感謝しています!三浦芳聖先生の著書を復刻し、地文の住所を新住所に改め、プロのグラフィックデザイナーに依頼して串呂図のCG化を推進しています。今一層のご支援のほど、何卒よろしくお願いいたします。