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明日、死んでもいい。

誤解がないよう明記しますが
死にたがりではありませんし、推奨もしていません。

プロフィールにも書いてある
「できるだけ後悔のない日々を送る」と言うことについて
その、私の日々の過ごし方を極端に言ってしまえば
「明日、死んでもいい」となり、丁寧に言えば

「明日、死んでしまっても”出来るだけ後悔しない”今を生きたい」。

このライフスタイルについて、
なんとなーく心の隅っこに置いている、という感覚です。

字面があまりにも強いので、かなり重い印象を与えますが
それとは反対に軽く、制限は1つだけ。

【出来るだけ、後悔しないように生きる】

ということ。
もしも、これが「後悔しないように生きる」だと
かなり窮屈だと思いますし、生きにくいと思います。

だから「出来るだけ」なんです。

なぜ、この考え方になったのか。
辿り着くまで、そこそこ長い月日があります。

でも、この生き方は
多くの人が憧れを持つ、自由気ままな生き方、という風に
とてもキレイな日々に誤解されてしまうように感じました。

私自身としては、自分が呼吸がしやすいように生きているだけなんです。

なので「明日、死んでもいい」と思いながらも
平凡な人間らしく、悩んだり、怒ったり、悲しんだり、
マイナスな感情になることがあります。ゼロではありません。

それでも、この生き方がいまの私にとってベストなのかな?と思っています。

せっかくなので、言語化という備忘録もかねて
この考え方に至るまでの振り返りをしてみようと思う。
※一部、不安など増長させてしまう可能性があるため詳細をぼやかす。機会があれば、その時に書きたいと思う。

▶︎幼少期の話

とある田舎町に誕生。
家業が人と関わるサービス業だったため
物心がつく頃から、いろんな大人たちに出会う。

田舎にありがち
●誰が、いつ、どこで、何をしたが筒抜け
●兄弟と比較される
(筒抜けゆえに、いろんなことを比較される)

個人的に一番、キツかったのは兄弟の比較
自分以外の兄弟がいろんな意味で優秀だったため劣等感を覚えた。
その劣等感に拍車をかけたのは、大人たちの言葉。
相手の意識が、悪意や善意の有無は関係なく、傷つくことがあった。

大人になった現在いまとなっては、
自分の努力が足らなかったな部分があった、と反省することはある。

そう言った点で、大人の言葉に翻弄されて、
選択を間違えた部分があると思っていて、正直、後悔している部分がある。

また性格にも影響が出ているらしい(私はよく覚えてはいない)
どちらかと言えば大人しい性格から明るく行動的な性格キャラ変
これは劣等感から、何かしら目立って自分の存在をアピールしたいという
子供ながらの生存戦略だったのだと思う。

現在は受け入れているが、このキャラ変によって
のちのち、ちょっとした事件を引き起こすことになる。

▶︎青年期の話

幼少期の環境によって形成された生存戦略がいろいろこじれまくったまま成長。

中学生時代
●明るく真面目、先生の言うことを聞く良い子ちゃん。
●ただし、一部の生徒には評判が悪い、うるさい&ウザいキャラに進化。
(本人に自覚なしだったが、周囲の目もありトラブルは起きなかった)

総じて、大きなトラブルはなかったものの、
ある意味、目立つことで、存在を主張していたと思う。

高校時代
●子供の一つ覚えである生存戦略により、うるさい&ウザいキャラ継続。
●クラスのリーダーを中心とした、いじめが発生する
(いろいろあったが、主に精神をボッコボコにされた)

いまもなお影響が残る、いじめの経験。
現在(令和)にあるような陰湿なものはなかったし、
学校側も出来る限りの対応はしてくれたとは思う。

ただ、この事件をきっかけに
形成された明るいキャラには欠点&リスクがあることに気づく。
みんな仲良しになれる、は存在しない。
自分は嫌われてしまうキャラである自覚した。

しかし、幼少に形成されてしまった性格は、
簡単に修正することもできず、相手の顔色が気になるようになる。

現在も頭の隅に、この考えは根付いており、
ある意味、自分のキャラが暴走しないブレーキにもなっている。
また、自分にも悪いところがある、と振り返り反省することが出来る。
だがこれは、私自身に欠点があったことと
長い時間をかけて前向きに変換できたからであって、
お互いにどんな事情があったとしても
いじめは経験するものではないし、なくなってほしい。

▶︎成人期の話

都会に出て社会人デビュー。世間知らずな部分があることが露呈する。

●世間知らず、大人の事情に翻弄されまくる
(身の丈に合わず、周囲の優秀さにますます劣等感が強まる)
●知り合いに騙されて、ウワサに翻弄される。
(金銭的なことではなく、人間関係などに影響する)
●趣味が高じて、別業界のいろんな生き方にふれる。

このあたりで、社会の荒波にのまれまくって
1人で生きることの大変さや、ままならさ
大人の事情という、業の深さなどなどを思い知る。

1人では、どうにもならないことがあることがある。
出来ることと、出来ないことがある。

とくに、人の言葉だけで選択してきたことで
悔いが残る場面に遭遇することが多々あった。
大人になって、より強く感じた。

他人の言葉の、無責任さ。

他人のせいにすることで、心が軽くなる人間もいるが
私には、不毛に感じることが多く、心も軽くならなかった。

そこで、私は、
後悔ばかりする人生は送りたくない。
出来るだけ、後悔しないように生きたい。
と考えるようになった。

▶︎出来るだけ後悔しない

明日、死んでしまっても”出来るだけ後悔しない”今を生きたい

この生き方をするにあたって、ゆる〜い目安がある。

●明確な、理想の自分像は作らない
(理想があるゆえ、出来ない自分が苦痛になるため)
●他人の意見を聞いても、あくまで参考。他人に委ねない。
●自分の出来ること、頑張れる範囲を理解する
(他人ができるからと言って、自分が出来るとは限らない)

理想の自分を目指せれば、それは素敵なことですが
理想があればあるほど、理想に近付けなかった時、
日々が苦しく、つまらなくなります。

苦しみながら自分を追い込むことと、
自分を高める努力は違う、と言うのが持論です。

また「後悔しない=楽しく生きたい」でもあるので
死ぬ時に余裕があれば、笑って死にたいと思っています。

でも、これも不謹慎だと思う人もいると思いますし
私もこれが「絶対的な正解」だとは思っていません。

あくまで「いまの私にとってベストなのかな?」程度です。

言葉1つでも、タイミングや環境で
考え方も、受け取り方も、人それぞれ違ってくる。

この記事でも、私が伝えたいことが
うまく言語化できていないかもしれないし、
伝わらないこともあると思う。

だけど、

自分ができる範囲の中で、出来ることをしていく。
線引きをどこにするか。
すべては、自分次第で、決めることができる。

後悔ゼロは目指さない、出来るだけ後悔しない。

を心の片隅に置きながら

私は「明日、死んでもいい」と、今日もゆる〜く生きています。


#創作大賞2023 #エッセイ部門
#人生 #生き方 #ライフスタイル


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