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アートとエンタメ

こんにちは。今回はアートとエンタメについての考えをまとめてみます! サクッと自分の中の感覚を言語化してみようと思うので、かまえずにサラサラっと読んでみてください。


3年前のバイト先で

僕が最初にアートとエンタメについて定義してみようかなと思ったのは、居酒屋バイトの休憩中に先輩に声をかけられた時でした。
僕は大学に入り、卒業制作ではなく卒論を書くことで卒業する道を選んだので、わりと在学中に本を読むことに対して抵抗がありませんでした。バイトの休憩中も、やることがなかったのでよく本を読んでいました。内容は小説からビジネス書、人文書、戯曲と様々でしたが、そんな僕をみて先輩がある質問をしてきました!

「しょうい(僕の名前)めっちゃ本が好きなんやね。一つ聞いていい? よく純文学っていうじゃん? 俺本全然読まないからわかんないんだけど、純文学って何? 小説とは違うの?

僕はこの質問にすぐ答えることができませんでした。皆さんはどうでしょうか? 
皆さんなりに純文学ってなんのことだと思いますか? 文学というのはなんとなくわかるのですか純文学の【純】ってなんやねん!? って感じでした。
そこから先輩と次にシフト被る時までお時間をもらいシフトが被った時に質問に答える約束をしました。
僕なりになんとなく純文学と呼ばれてるようなもの、例えば夏目漱石とか芥川とか太宰とかと、自分の読んでた本と何が違うのか? を考えてみました。
その中で僕なりに感じた違いが二つあります。

1、長く残っている
2、歴史的な価値がある

純文学と言われる作品は1か2もしくは両方の特徴を持っています。
1の長く残っているということをもう少し噛み砕いてみます。長く残ると言うことは、大勢の人に読まれているが飽きられてない、言いかえるとどれだけ消費されても簡単に消えない強度を持っているということです。
2の歴史的な価値があるというのは作品の中やそれが書かれた経緯に、分析していくと作品が描かれた時代背景や文脈が見えてくるということです。

他にも人によっては定義が違うかもしれませんが、僕の中で大きくこの二つが軸であることを先輩に説明しました。

ちなみに世間一般の定義では、
【純文学】とは、大衆小説に対して「娯楽性」よりも「芸術性」に重きを置いている小説を総称する、日本文学の用語。
だそうです。(Wikipedia)


演劇に置き換える

このことは、演劇にも置き換えられることにも気付きました。時々演劇はアートなのか? エンタメなのか? という話を聞きます。僕自身としてどちらが上でどちらが下と言うこともないですし、アートかエンタメか? という問いはくだらないとさえ思います。
しかし、あえて作品をアートとエンターテイメントを分類分けしてみると、その作品が消費されて終わる作品なのか? その作品が歴史的、文化的に意味があるのか? というところが一つの基準になると思います。

先程も言ったようにアートとエンタメの間に優劣はありません。
アートは消費されずにより残っていくものだとは思いますが、肌感で感じるだけではなく文脈の理解や解釈などが必要になり多くの人に届けることが難しいのも事実だと思います。
その点、エンタメは敷居が低く感覚的な基準に沿って観客が判断しやすいので、多くの人に届けやすいところにメリットがあります。しかし、消費されるだけだと時間が経てば忘れ去られてしまったり、飽きられてしまったりする危険性もあります。


自分の表現を理解しているか?

ここで僕が言いたいことは、アートがいい! いやエンタメの方がいい! ということではなく表現者(特に若い演劇人)は自分が今作ってる作品はアートとエンタメのどの要素を使っているかを考えられてるか? ということです。
これは、観客に作品をどう受け取ってもらいたいかという作品の最終目標とも置き換えられるかもしれません。
最終目標が違えば作品の中身だけでなく、広告の仕方や劇団のブランディングも変わってきます。

アートを目指した作品づくり

散々アートとエンタメの間に優劣はないと言いながら、僕たちは活動を続けていく中でアート作品を作りたいと思ってきました。
それは僕らが大学で演劇を学んだことも大きなことだと思います。
演劇にも色々な楽しみ方があると思います。
楽しいお芝居を見て、気持ちが楽になったり、明日から会社頑張ろう! と思ったりして救われる方もいると思います。
しかし、僕が演劇を見ることで人生が変わったと思うことは、世の中に対して興味が生まれたということです。芝居を見ることで世の中の矛盾に気付いたり、それについて考えたり自分の内面を掘っていく作業ができるようになりました。これは演劇に触れてなければ考えなかったことだとも思います。
なので僕はその日その時間だけに気持ちが晴れたり救われたりする素敵な作品よりも、たとえ楽しくなくても何年も観劇した人の心臓をじりじりえぐり続ける作品を作りたいと思いました。
明らかに万人に受け入れられるような作品でなくても、見た人の人生を片手で数えられるだけでもいいので確実に変えられる作品を作りたいと思っています。
そう言った中で少しずつ自分たちを知ってもらえればいいかなと思います。


まとめ

アートであれエンタメであれ作品を制作することには、とてつもない孤独と苦痛がつきものだと思います。だから全てのクリエイターを尊敬しています。そんな中で、自分たちはアートを生み出したいということと、まだ自分たちの表現が固まっていない同世代の若いクリエイターの方は、自分の作品を通しての目標を決めてみてはいかがでしょうか?
【有名になりたい】【人を楽しませたい】【世の中を変えたい】【自分が楽しみたい】などいろいろな欲求が出てくると思います。その中で1番自分に合ってる方向性を模索してみてください! より人を豊かにする作品がこの世に生まれることを願っています。ではまた!

QoiQoi 吉次匠生


QoiQoiプロフィール
2018年2月9日に大橋悠太と吉次匠生によって結成されたアートユニット。 当初はano(アノ)として活動していたが、2020年10月1日より団体名を改めQoiQoi(コイコイ)として新たな活動を始めている。

また、「想像力を創造する」を信念に演劇、映像、インスタレーションなどさざまな分野を飛び越え作品制作を行う。団体名のQoiQoiもquality of imaginationが由来である。 また、社会問題から個人の体験まで幅広い事象を可視化し、常に観客に「当事者性」を提示する作品作りが特徴である。

このnoteでは作品制作のことを中心に、被災地のことや原発のこと、その他考えたことなど、読んでくれている方へなるべく為になるような記事や僕らをより知っていただける記事を書いていくことを目指しています。
もしも気に入った記事や活動の参考にして頂けたら、スキやQoiQoiをフォローをしてもらえたら嬉しいです。
また、僕たちの活動を応援・サポートしてくれる方を募集しています。
サポートして頂いた資金は現地取材や稽古など全て作品作りに使用させていただきます。
今後とも我々QoiQoi(コイコイ)をよろしくお願いいたします。

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